5 あの頃へ
講座が終わったあと、それぞれのご婦人が席を立って退室していく。
ほとんどの方が部屋から出たタイミングで、まだ窓の近くにいた宮本先生が、軽く会釈をしてきた。
「お久しぶりです。宮本先生」
春まで同じ高校で勤務をした美術の先生だ。柔らかな物腰に大人っぽい落ち着きと洒落っ気で、生徒に慕われていた。
教養講座を聴きに来る、と聞いたときはびっくりしたが。
「辰巳先生、楽しい講義をありがとうございました」
「わざわざ聴きに来ていただき、こちらこそありがとうございます。先生に聴かれている、と思うと緊張します」
宮本先生が柔らかい表情になった。
「本当に気負わないでください。もう今回は生徒になりきって勉強しにきたんです。先日自分の創作、絵で一つ成果というか……納得いく作品が描けたので。もっと自分の幅を広げる勉強をしたくなって」
そういえば夏のはじめころ、宮本先生が大きな絵のコンテストで入賞した、という話を美術部OBから咲耶経由で聞いていた。画像も見せてもらったが、降り注ぐ太陽と海の深みが印象的な風景画だった。
「……咲耶から入賞の件、伺ってます。その作品ですか」
「はい。教師の仕事に追われてばかりでしたけど……ようやく自分の絵を描きたい、とまた本気で思えたんです。学生時代に憧れた作品にもう一度向き合って、自分なりの絵を悩みながら描いて……そしたら、評価してもらえました」
教育者と表現者。両立は大変だろうと思う。
「で、欲が出て、もう一回初心に戻って勉強し直そうと思いました。日本画を見ていく中で源氏絵にも触れて。ビジュアルとしての芸術性は当然ですが、やはり描かれた背景もある程度踏まえておきたくて、こちらにお邪魔を」
「……なるほど」
美術の宮本先生が、わざわざ古典の講座を聴きに……そういう事情だったかと納得した。
国語の資料集にも源氏絵はよく掲載されている。斜めの平行線を用いた独特の立体感で描いた背景に、ふっくらした人物を配して源氏物語の名場面を描く。金箔や貴重な画材が用いられ、貴族達が贈答品として描かせたものが多いといわれる。
「お話を聴いていると源氏絵のイメージというか……源氏物語ってやっぱり華やかなんだなぁって。それにしても光源氏は本当にエリートで、特別な存在なんですね。いや普通の、私たちの感覚……現代人と比べるものでもないのでしょうけど」
「神話や伝説と言われる物語の登場人物に近い感じもありますし。光源氏――名前からして世を照らす『光』の象徴です。輝いて周囲の女性を惹きつけ、その力を得てより光を増す……それに相応しい傲慢さももっていますが、そもそも根本的にそういう英雄的な存在なのです、と」
「……女ったらしで、たくさん泣かせておいて、それで魅力的になっていく男。現代だと完全に女性の敵ですね。ああ、でもわかるかなぁ。そういう男性って魅力的で、時にどうしようもなく惹きつける」
宮本先生の目がすっと細まった。
自分を見ているのか、その後ろに誰かを見ているのか。
「……困ったものですが、そんな感じでしょうね」
「わかります……わかりたくないけど。腹立つけど。ほんとに……」
宮本先生は、ふっと寂しそうな、でも優しい目で言った。




