17 追加講義「岩嶺ハルミ」
10月23日(日) 午前十一時過ぎ
「呼びつけたようになって、すまなかった。ちゃんと話をしたかったんだ」
「……楓からのメールだったんで。でも私、ちょっと先生にムカついてますから」
日曜日の二年B組の教室。
人気もなく静まりかえっている。職員室の周辺よりも、人目に付かなさそうだったのでこっちにした。小柳先生には、荷物を取りに来るので、と事前に話を通してある。
「ムカついてる……その秋山さんのことだね」
「何もしないでくださいって、お願いしましたよね。なんで……楓が危なくなるようなこと、したんですか」
秋山と荻野達は、お店に正式に謝罪に行った。万引きした商品の弁済も、保護者がお金を出し合って立て替える形で行われ、万引き事件は終わった。
でも、事情を先生に話して事態を動かした秋山の立場は少々危うくなった。小柳先生にも、秋山が心配なので宜しくお願いします、と実習を終えるときにお願いした。
「俺は何もしてない。秋山さんは、自分から本当のことを言った。自分が言わなきゃいけないことだって、覚悟して……彼女は、君に真実を隠されたまま、身代わりになって守られることが堪えられなかった。それは、卑怯な人間のすることだと」
岩嶺の顔が赤くなった。怒りとも哀しみとも、羞恥とも取れるような、微妙な表情をする。
「私……せっかく自分を使えるって……」
やはり。
岩嶺を動かしていたもの。それはきっと、俺とよく似ている。
俺に教壇に立つ資格があるのか……そんなことを考えて、教育実習前に悩んだ。
でも今、岩嶺を前に思う。
そんな俺だから言えることもある。
――追加講義みたいだ。
「君は、万引き事件のとき、自分のためだ、と言った。君は、自分を誰かの犠牲にすることを望んでた」
「……!」
岩嶺の顔が強ばる。
「以前の担任の先生が書いた君の記録を読んだ。前の学校にいたときの、君の家族のこと、君のしたこと……詳しく書かれていた」
「私、問題児でしたから。今の奈月たちみたいなことだって、もっと酷いことだって。お父さんの力で見逃してもらったこともあります。軽蔑……しますよね」
確かに書類には、そんな記録があった。
でも、その先も。
「君の記録には、その続きもあったよ。あの日……震災の日から、君のまわりが、君自身がどれだけ変わったかも書いてあった。君がどれだけのものを失ったか」
家族、家、心の拠り処の数々を、生活そのものを……本当に多く。
「……」
岩嶺の眼差しが揺れる。
「……半年前、転校する直前の君は、あまりにも辛そうで……自分を責める気持ちが強すぎて心配だと担任の先生は書いていたよ。君が自分で言ったとおり、今回の君の行動は自分のため……自分のことを罰するためだった」
「……」
岩嶺の身体から、すうっと力が抜けていく。
彼女は大きく、長いため息をついた。
椅子の背もたれに身体を預けた。
「……震災の日」
ぽつり、と話し始める。
「あの日、私はお父さんといました。お父さんはすぐ私を避難所へ連れていってくれました」
記録に残っていない、彼女だけのあの日。
「でも、私を置いて町に戻ったんです……きっと、最後まで近所の人とか、職場の人とか、助けてたんだと思います……お父さんだけじゃない。お母さんも、おばあちゃんも。それっきり……」
どういういきさつで、逃げ遅れてしまったのかは、岩嶺にもわからないまま。
「避難所を抜け出して家を見に行きました。でも、本当に全部なくなってて、はじめは家がどこかもわからなくて。隣の犬……丸っこい柴犬のゴンを……結んでた杭が、半分だけ残ってたのを見て、本当に、間違いなくここだったんだって。やっとわかって」
津波に押し流された家のまわりは、あまりに様変わりしていて、まるで現実感がなかったという。折れた杭を見たとき、やっと無くしたものが実感できた。
「避難所でみんな私を励ましてくれました。お父さんにはお世話になってるって……私は何もいいことしてないのに。お父さんの会社の人や、保険会社の人がやってきて、お金の説明をされました。私に大金が残ったって。それがなんだか、私への罰みたいに思えました」
「……罰?」
「家もなくなって、みんないなくなった。なのに遺産とか、保険とかお見舞いとか……とにかくお金だけいっぱい。なんで私なんかが一人生きてて……お父さんもお母さんもおばあちゃんも、ゴンも、もう誰もいないのに」
ほどなくして、叔父叔母の家に引き取られ転校した。
「この学校で楓に会ったとき、いつも優しい感じで、笑ってる子だなって。なんだかゴンに似てるって思っちゃって……彼女のために、なんかできたらって……楓とゴンが別なのはわかってます。こんなの、ただの自己満足だってことも……」
代償としての行為。でも、彼女自身それをわかっていて縋った。
もう瞳に険しさはない。
潤んだそれを伏せた。
「君は犯人と名乗り出て、万引きを大きな事件にした。その姿を見せれば、荻野さんたちも警戒してこれ以上はやめるだろう……秋山さんを犯罪者にしないまま終わりにできる。そう考えた。だから、聞き取りの翌日、すぐ噂が学校に広まった。あれは、君が犯人である、ということを周りに認めさせるため、自分で広めた噂だった」
「……小さいことでもいいから、誰かを助けることに……自分を使いたかった。荻野さんたちがしてることも……昔の自分みたいって思ってたから。私に責める資格なんてないから」
「君の考えた結果とは違ったけど……秋山さんが、勇気を出すきっかけになった。心配もあるけど、悪い結果では決してないと思う」
岩嶺が長い息をついて、黙った。
彼女の前に、名前のない感想文をファイルから取り出して置いた。
「ザネリは、どう生きたか……その問いは、君自身についての問いだね」
わら半紙に書かれた感想文を、彼女が手に取って眺める。
カムパネルラが身代わりに死んで、生き残ったザネリ。彼はそのあとどうやって生きたのか。
「……私には、ザネリの気持ちが一番わかります。生きていくこと自体が、きっと辛くて、自分が許せなくなる」
彼女の気丈過ぎる振る舞いは、全て根で繋がったもの。
そして本心が裏返ったもの。
「……その問いの答えは、俺にもわからない」
なぜなら、俺も――。
「でも、銀河鉄道の夜の最後、カムパネルラのお父さんが、ジョバンニに家に来てほしいと言う。自分の息子が亡くなっても、お父さんは取り乱して誰かを責めることをしない。じっと時計を見て冷静に判断を下す。そして彼は息子の沈んだ川をじっと見つめ続ける」
息子の生き方を正面から認めて、受け止めようとする強い意思。
「……宮沢賢治が描いたのは、カムパネルラを愛しながらも、彼の高潔な生き方を認める父親だった」
カムパネルラがもっていた、金の苹果――その高潔さを。
「岩嶺、君のお父さんは、自分が助からない、となったとき、人を助けに戻ったことを後悔しただろうか」
岩嶺の目がすぐにこちらを向いた。
「お父さんは強い人でした。後悔なんて、きっと、しません」
「……そうだね。そんなお父さんを君は誇りに思ってる。だから、揺るぎなくその答えが言える。君の中にはお父さんから受け継いだ価値観がちゃんと息づいてる。君には、本当はわかっているんだ。お父さんが、君に望んでいることはなにか……助からなかった人が、助かった人に望むことは何か」
「……」
「君が、自分を認められるようになるには、まだ時間がかかるかもしれない。でも、命がけで価値を君に示してくれたお父さんの思い……その存在は、忘れてほしくない」
「先生……?」
「……俺は、君のお父さんと違った……助けられなかった」
ハルミの目が大きく見開かれる。
俺の言葉を「理解した」顔になっていくには、しばらくかかった。
「……先生、も――」
「自分にいくら問い続けても後悔は終わらない……終わらない宿題なんだ。せめて今……生きている君には、託されたものを大切にしてほしい」
岩嶺の瞳をじっと見つめた。伝わってほしい一心だった。
見返すハルミの視線が、俺の深いところに入ってきた。
「……生きなきゃ、いけないんですね。どんなに辛くても……」
◇
中学卒業と同時に、岩嶺ハルミは本来の漢字で名乗るようになったと聞いた。
本名は、岩嶺晴海。
震災の日から、彼女は漢字で名前を書くことを拒否するようになった。彼女を受け入れた中学校は特例として、校内で使う書類とリストの名前をカタカナに書き換えて受け入れていたのだった。




