16 銀河鉄道の夜 授業・結
10月21日(金) 教育実習最終日
今日で実習が終わる。三週間の総括となる研究授業が行われる。
俺が授業を行う様子を、教室の後ろで、校長、教頭、国語科主任をはじめとした国語科の先生方、そして小柳先生が並んで見学する。
昨夜仕上げた授業案のコピーに、じっと視線が注がれている。この授業の後、一時間ほどかけて研究討議が行われる予定だ。
生徒の後ろにずらりと並んだ視線。これは緊張する……が、やりきるしかない。
『銀河鉄道の夜』の最終回だ。
「二人きりになったジョバンニとカムパネルラ。ジョバンニは『ほんとうのさいわい』を探しにいこう、とカムパネルラに言う。しかし、カムパネルラは遠くの野原に母親の姿を見つける」
――「ああ、あすこの野原はなんてきれいだろう。みんな集ってるねえ。あすこがほんとうの天上なんだ。あっあすこにいるのぼくのお母さんだよ。」
この言葉を最後に、カムパネルラは突然車内から姿を消してしまう。座っていたはずの椅子に姿はなく、ジョバンニは叫び、泣き出し、周囲が真っ暗になったと感じ――現実で目を覚ます。
――もとの丘の草の中につかれてねむっていたのでした。胸は何だかおかしく熱てり頬にはつめたい涙がながれていました。
ジョバンニは母親の食事の用意を思い出し、牛乳屋に寄って自宅に戻ろうとする。
が、町の人々の様子がおかしい。川にかかった橋を見る人々。橋の上に並んだ灯火。悪い予感に襲われて、河原に近づく。
河原で会った友人のマルソが言う。カムパネルラが川に落ちた、と。
――「ザネリがね、舟の上からうりのあかりを水の流れる方へ押してやろうとしたんだ。そのとき舟がゆれたもんだから水へ落っこったろう。するとカムパネルラがすぐ飛びこんだんだ。そしてザネリを舟の方へ押してよこした。ザネリはカトウにつかまった。けれどもあとカムパネルラが見えないんだ。」
ザネリは家へ連れて帰られたという。
川にカムパネルラの父親がやってきて時計をじっと見ている。カムパネルラは見つからない。ジョバンニは、カムパネルラはもう銀河のはずれにしかいない、と感じる。
さっきまでの二人の旅……銀河鉄道に乗っていた人々は皆、天上へ向かったのだから。
――「もう駄目です。落ちてから四十五分たちましたから。」
きっぱりと告げるカムパネルラの父親。彼は目の前に来たジョバンニに、漁に出ていたジョバンニの父親から連絡を受けたこと、間もなく家に帰ってくるであろうことを教えてくれる。
――「ジョバンニさん。あした放課後みなさんとうちへ遊びに来てくださいね。」
そう言いながら、父親はまた銀河の映った、カムパネルラの沈んだ川を見つめる。
胸が一杯になったジョバンニは母の待つ自宅へ駆け出す――そこで、物語は終わる。
◇
あらすじの解説に続けて、生徒たちに話す。
「ジョバンニと、カムパネルラ。二人は宮沢賢治自身と、妹がモデルだという説がある。宮沢賢治には、二歳年下のトシという妹がいた。彼女は若くして結核に罹り、二十四歳で亡くなった。賢治はトシの死をテーマにした痛切な詩を三遍書いた。そのあと彼は半年以上に渡って詩を作ることをやめてしまった」
三編の中で最も知られた一遍。
『永訣の朝』を印刷したプリントを生徒に配る。
「この作品は、君たちが高校に進学したとき、より詳しく授業で扱うかもしれない。今日は銀河鉄道を読み解くヒントに、一度通して読んでみよう」
けふのうちに
とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゆとてちてけんじや)
「冒頭では、妹を失う兄の苦しみが描かれる。高熱でうなされる妹の頼みで、雪を取ろうとする兄。しかし、そこで兄は、どんなときでも人を気遣う優しい妹を思う。雪を取ってきて、という願いも、きっと兄に仕事をくれた優しさだったのだと。そして自分のあるべき姿を考えはじめる」
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまつしろなのだ
「詩は、哀しみの描写から、祈りへ変わっていく。『今度生まれてくるなら、こんなに自分のことばかりで苦しまないように』……けなげに願う妹の美しさに、兄の心が導かれていく。最後に兄は、自分の全ての幸を差し出すから、妹に、みんなに恵みを与えて欲しい、と祈る」
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ
ひたすらに、純化されていく心と祈り。人の生きる意味と、残された人の意味。
残された人にできることは何なのかという問いかけが詩に組み込まれている。
「きっと、これこそが、賢治の中にずっと残った問いだった。この詩を書いた二年ほど後、銀河鉄道の夜は書き始められて、約十年、賢治自身の死が近くなるまでずっと手を入れられていたそうだ。命をどう使うべきなのか、残された者に何ができるのか。答えを求め続けた心を、童話の形にまとめ上げたのが銀河鉄道の夜だったんだろう」
正しいことをしたが、母親は許してくれるだろうか、と悩んだカムパネルラ。
ボートを譲り、自ら海に沈む選択をした三人組。
無意味な死を悔やんだ蠍。
正しいことのため……己よりも誰かのために命を使えるような高潔な魂。それが賢治の金の苹果だった。
「君たちに、誰かの犠牲になってほしいとは思わない。でも、本当にただしいこと、とは何なのか、先生は宮沢賢治の作品に触れると考えてしまう……みんなはどう感じただろうか」
残り五分を切ったので、それぞれに感想を書くように指示した。
チャイムが鳴る直前で回収し、最後の授業の挨拶をした。
二年B組の生徒たちの拍手を受けてお辞儀したとき、不覚にも涙が出てしまった。
◇
授業と、冷や汗まみれの研究討議を終え、ぐったりして職員室に戻った。
生徒から回収した感想文を読む。これに赤字で添削とコメントを付けて、小柳先生に返却をお願いしたら、いよいよ教育実習の業務も終了だ。
・死をそこまで考えたことはありませんでした。
・カムパネルラのように、とっさに自分は命を使うこと、ただしいこと、なんてできるだろうかと思いました。きっと怖くなってしまう。
・尊くても、やはり死んでしまうのは哀しいです。
・死なない道を選ぶことは卑怯なことと、私は思いません。
……生徒それぞれの個性が出ていて面白い。教室では無口な生徒が作文では熱っぽく語っていたり、意外な発見もあった。
一枚だけ、名前のない感想文があった。
『私は、カムパネルラや三人の乗客よりも、助けられた人のその後が気になります。
誰かのために自分の命を使った人達はたしかに立派かもしれません。でも、命をかけられて、誰かの身代わりに生かされた人は、どうやって生きればよいのでしょうか。
ザネリは、クラスメイトのカムパネルラに助けられて、そのせいでカムパネルラを死なせてしまいました。ザネリは、どうやって生きたのでしょうか。とても辛い人生になったのではないでしょうか。私は、宮沢賢治の作品が嫌いです。余計なことをする人が嫌いです』




