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続・辰巳センセイの文学教室~ふたりが紡ぐ物語~  作者: 瀬川雅峰
Ⅰ 銀河鉄道の夜_辰巳祐司×岩嶺ハルミ
1/53

序  再会


 2017年 2月某日

 

 コートの前を合わせながら、待ち合わせの店に着いた。


 ドアを開けると、店内の柔らかな空気に包まれて眼鏡が曇った。

 眼鏡の曇りをハンカチで軽く拭き、かけ直して店内を見渡すと、彼女は喫茶店の一番奥の席にいた。


 首を心持ち伸ばすように、こちらを伺うような目で見ている。

 彼女は少し戸惑った表情をしてから……やがて確信をもったのだろう。目が優しくなって、小さく手を振った。

 俺も目で答えて、小さく手を振り返した。


 あまり広くない店内を奥へと進み、そのまま彼女の正面に立った。

「おひさしぶりです」

 軽い会釈。柔らかな声で挨拶された。

「この近くで実習を始めたんだってね。ずいぶん、久しぶりだ」

 椅子を軽く引いて座る。

 微笑む彼女に、まっすぐ向き合った。


「あのときから数えるともう……五年も経つんですね。先生も、ずいぶん先生らしくなって……ってすみません。あの頃はまだ、あんまりそれらしくなくて」


 失礼なことを言った、と気づいてあたふたする彼女を見ていると、時間が経ったのだと感じる。こんなに柔らかな空気を纏うようになったのだと。彼女も変わったのだと。


「……いいよ」

 こっちも笑ってしまった。あの頃とギャップがあるのはお互い様だ。

「あの頃は……本当に先生とは名ばかりの、まだ、卵だったからね。これでも、だいぶ先生らしくなったかな、と自分では思ってるんだ」


 彼女がお返しに、もう一度くすりと笑う。


 あの頃――中学生だった彼女は、今年で十九歳になったはずだ。ストレートの美しい黒髪、色白で整った顔立ち、大きくて真っ直ぐな、遠くまで見通すような深い瞳はあの頃から変わっていない。


「こっちに出てくることにしたんだね」

「はい。いろいろ一人になって頑張ってみようって。家の人は少し心配していましたけど」


 家の人……彼女のこの言い方には理由がある。彼女が半年前まで生活していた実家に住んでいたのは、叔父、叔母の夫婦だった。


 彼女に、実の両親はいない。


「園での実習は、もう慣れた?」

「まだまだです。毎日、沢山失敗して……自分って、こんなにできないことばかりだったんだって。学校でちゃんと教わったつもりなのに」


 彼女の表情は、それでも暗くない。きっと充実して、毎日多くを吸収してるのだろう。


「つくづく立派になったね……見違えた。ずいぶん大人っぽくなった」

「ありがとうございます。先生にそう言ってもらえると、嬉しいです」


 彼女とは、五年半ぶりの再会だった。

 先週になって突然、短大で学ぶ彼女から連絡がきた。近くの幼稚園で実習を始めたので、一度お会いできませんか、と。


 五年前、彼女は中学二年生で、俺は大学四年生の教育実習生。

 実習期間に起きた万引き事件は今もよく覚えている。彼女は店に犯人として頭を下げ、弁償するために大金を用意した。


「地元にあのまま残るっていう選択肢は、選ばなかったんだ」

「それは……先生も……」


 今、二人で座っているこの場所は、彼女の地元からそれなりに離れている。都心に近い場所に彼女は一人で住み、生活している。俺の一人暮らししている部屋も、この近くにある。


 彼女も、俺も、地元から離れた人間だ。


「君は、新しい目標を見つけた」


 彼女は遠い目をして、少し考えたように、顎を傾けて見せる。でも、その動きは今考えている、というよりは、何度となく繰り返してきた「考える」をまた一回重ねたように見えた。しっくりと、なじんでしまうほど、彼女は考えて、考えて、生きてきた。


「……正直、わからなくて。これが正解なのか、そうでないのか。この先で、私は自分をどう思うのか。ときどき、そんなことを考えます。でも、今は前に進むしかないって」

「……それでも、前に進んでいる。立派だと思うよ」

「先生も……そうしてきたんじゃないんですか」


 答えに詰まる。


 二呼吸、考えてから言った。


「そうだね。先生になって、三年経った……正直まだわからないことばかりで、日々必死に仕事をしてる」

 彼女が考える、を重ねてきたように、きっと俺も同じように、何度も同じ逡巡を繰り返してきた。でも。

「……でも、自分にもできることがある、と思えたのは、五年前に君と会ったからなんだと思う」

 あの頃の彼女とのこと。それが、今の自分に繋がっている。


 彼女と向き合っていると時間が遡っていく。


 あの頃の、今よりも沈んだ、感情の読めない顔つき。細い肩と、痛々しいほど真っ直ぐで強い瞳。


 記憶の中にあった小さな白い少女が、目の前にいる彼女に重なった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 連載再開おめでとうございます! 既にエモいです( ˘ω˘ )
[良い点] お疲れ様です。 連載再開おめでとうございます。 そしてありがとうございます。嬉しい!ヽ(゜∀゜)ノ 過去と重なる表情描写が素敵です。 過去あって今があって、感慨があって、これから回想へと…
[良い点] こんばんは、瀬川様。 連載再開おめでとうございます。 瀬川様らしい温かみのある物語の滑り出しに、とてもわくわくさせてもらってます。CONSOME+の「サクヤコノコイ」と「月明かりの君へ」…
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