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スマホアプリの疑似シャッター音が耳に入ったか、もがく須美の目が唐突に押入れへ向き、隙間から覗く俺とまともに視線がぶつかった。
「あっ!」
あまりのヤバさに思わず大声が出かけ、自分の口を自分で塞ぐ。
須美の方は唖然、呆然。
目を大きく見開き、ドS男に首をギュ~ギュ~絞められながら押入れの隙間、俺のいる場所を見詰め続けている。
発作的、って言うかさ……何か、いきなり胸が締め付けられる感じで、どうにかしなきゃ、と思ったよ。
何でだろね、ホント、助ける気なんて全然無かったのに。
こいつの目に今、俺しか見えてねぇ。手を差し伸べられるのも俺だけって思うと、妙にハイな気分になってさ。
気付いたら俺、押入れを飛び出してた。
「お、お前……そんな所で何を!?」
驚きの余り声がひっくり返った菅野は須美から離れ、リンゴと一緒に卓袱台へ置かれていたフルーツナイフを引っ掴む。
刺されると思い、俺は先手を取った。潜入用の必須アイテム、トンカチやドライバー入りのショルダーバッグを思いっきり振り回したんだ。
広いオデコへジャストミート!
ンで、菅野の奴、綺麗に廊下まで吹っ飛んだよ。白目を剥いて、哀れ半失神状態って奴だ。
握っていたフルーツナイフも床の隅へ転がり、俺はバッグを放り出して、過呼吸気味の須美を抱き起した。
「おい、大丈夫か、須美ちゃん? 何処か怪我してねぇ?」
「あ、あなた……誰ですか?」
須美の目は怯えきっていた。
俺は書店で買い物をする時に使う一般人の常識的微笑みって奴を、取り敢えず浮かべてみる。
「わかンねぇかなぁ。ほら、お店で何度もあってるじゃん。あんたのレジで、いつも写真雑誌を買う常連の、ほら」
須美の瞳は強張ったままだ。
そりゃまぁ俺、只の客だし、押入れに隠れてた不審人物だけど、一応、命の恩人じゃねぇの?
そう内心でこぼす内、廊下で身を起こす気配に気付いた。
「この野郎、彼女から離れろ!」
額の傷から血を流し、足元をふらつかせる菅野の手に小ぶりの万能包丁が握られている。廊下へ吹っ飛んだついでに、台所から持ってきたらしい。
刃物、どんだけ好きなんだよ、お前! そう思ったけどさ、俺へ向ける刃先が小刻みに震えていやがる。
さっきまでと違う神経質な口調から強い動揺が伝わってきて、殆ど別人の有様だ。
ドS男にしちゃ、ヘタレ過ぎだよな。でも、あん時、奴の様子に気を回す暇なんて無かったね。
須美は俺の背中側へ回り込んで隠れ、迫って来る菅野と闘うにも武器になりそうな物は手元に無い。
放り出したトンカチ入りショルダーバッグは少し離れた位置にあり、床へ落ちた筈のフルーツナイフは見当たらない。
咄嗟にスマホのフラッシュ機能を使い、ギリギリまで引き付けた奴の目前でシャッターを押したのは、我ながらナイスな判断だったと思う。
暗い部屋に瞬く閃光で菅野は俺を見失い、包丁ごと前へつんのめった。
バランスを崩したままドドッと突っ込んで来やがるから、俺、反射的に横っ飛びで避けて……甲高い悲鳴が上ったのはその後だ。
俺、すぐあやまちに気付いたよ。
この場合、かわすのはNGだった。勢い余った万能包丁が、俺の真後ろにいた須美の腹部を突き、深く抉ってしまったんだ。
「あ……嘘だろ、須美さん!?」
女のカットソーを赤く染め上げる鮮血の迸りに、さっきまでの勢いは何処へやら、菅野はすっかり怯み、狼狽えている。
俺も逆上し、ショルダーバッグを拾い上げて、トンカチの出っ張りを奴の頭へ振り下ろした。力任せに何度も繰返し、ドSの頭が割れて、潰れて……ピクリとも動かなくなるまで、な。
二人分の血溜まりが広がる床へ力なく膝をついた時、最初に考えたのは逃げる事。
実際、部屋の外へ駆け出そうとして、足首を須美に掴まれた。
「助けて、お願い……」
振り絞る声は切実で、放っておいたら確実に死ぬ。スマホで救急車を呼ぼうとし、すぐマズイと気付いた。
俺のスマホを使えば履歴が残り、警察にバレちまう。
実は前にも別の女にストーカーしててさ、俺……刑務所行き寸前までいってんのよね。スネにキズ、有りまくりなんよ。
須美の首を絞める菅野の画像がスマホのSⅮカードに記録されてる。だから、女を助ける為だったと言えば殺人には問われないだろうが、押入れに隠れていた件の説明がつかない。
部屋を見回してみても、備え付けの電話は無かった。その上、須美のも、菅野のも、争った時に携帯は壊れちまったらしい。
「あ~、ちょっと待っててね。すぐ救急車呼んで来てやっから」
常識人の一般的微笑を浮かべ、俺は須美にそう言い残して、ソッコー外の路地へ飛び出したよ。
わかんだろ? もうトンズラ気分マックスって奴ね。
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