前提その2
驚いてしばらくボーっとしていたが、ハッと我に返る。見回してみると遠くの方に家が見えた。茅葺の屋根にベージュ色の壁の写真や絵で見るような異国風の平屋だった。あまりの状況の変化に彼女は混乱したが、とりあえず家に行ってみた。
そして、家から出てきた外人さんに驚き、何故か言葉が通じることに驚き、とにかく全てのことにミチルは驚いた。
助けてくれた家の夫婦は親切な人だった。しかし、人間不信になりかけていたミチルは、最初は自分のことを話さなかった。何か聞かれるたびに俯いて黙り込んだ。
哀しげに黙り込むミチルを余程酷い目に遭ったのだろうと気の毒に思った夫婦は、国に彼女の失踪届が出てないか確認したり、都会に働きに行っている娘の部屋を使わせてくれたり、落ち着いて考える時間をミチルに与えてくれた。
しかし世話になってばかりでは悪いので、彼女は畑作業や家の手伝いをさせてもらうことにした。役に立つのが分かれば悪い扱いもされないだろうと考えてのことだった。
見たこともないレトロなものばかりだし知らない事ばかりで戸惑ったが、夫妻は何でも丁寧に教えてくれた。そして手伝った後には必ず感謝の言葉をかけてくれた。
最初は叔母夫婦のように騙すつもりで優しくしてくれるのではと思っていたが、実はそうではなかった。ある晩の夫婦の内緒話を聞いてそれが分かった。
(夫婦の内緒話)
しばらく彼女に接してみて分かったが、どうやらあの子は家に帰りたくない事情があるらしい。もしかしたら家族に傷つけられたのかもしれない。このまま役所に引き渡すのは心配だ。こちらが何も言わなくても自分から畑や家事を手伝ってくれるようないい子なんだから、自立できるようになるまでうちで面倒をみてやろう。何があったか言いたくなるまで、こちらからは聞かないでおこう。
そう話し合っていた。
夫婦は本当に善い人だった。
だから彼女は思い切って自分の境遇を話すことにした。夫婦はミチルの話す想像もできない世界の話を根気よく聞いてくれた(当時は怖い思いをして気が触れたのではないかと思っていたそうだ)。
それからは気になることは何でも訊ねるようになった。そして、夫婦から聞く話と周りの環境が元居た場所とあまりに違いすぎることで、自分は違う世界にいるのだと気付いた。そうではないかと薄々思ってはいたが…。
ミチルはそれでもよかった。どうせ戻ったところで自分は叔母に食い物にされるだけなのだ。あっちの世界には大好きな家族はもういない。そう考えると過去は全部捨ててもいいように思った。
その時からミチルはこの世界で生きることを考え始めた。といっても何をすればいいか、当時は見当もつかなかった。
ある日、畑作業を終えて小父さんと帰る途中、彼女は親指大の綺麗な光る石を見つけた。それはこの世界に来る前に見た天然石にそっくりで、誰も拾わないのが不思議なほどに綺麗な石だった。
彼女は伯母の影響で天然石に興味を持っていたので、石の種類や石の持つ意味について勉強し、好きな石については今でも空で言えるほどよく覚えている。
伯母は多趣味な人で、本業の他に副業で趣味を生かして天然石のアクセサリーを作っており、それをネット販売していた。いい値段であってもすぐに売れてしまうほどの人気だった。
そんな伯母に憧れてミチルも細い麻紐などを編んで作っていたが、恥ずかしかったので伯母に見せたことはない。
多趣味な伯母だが家事は苦手で、祖母亡き後はミチルが家事を担当していたが、いつも『家事の代金ね』と言って月に数万円くれるような気前のいい人だった。
その伯母が最後に興味を持っていたのが占いで、ミチルの手相を視て色んなことを言っていたが、伯母はプロではないので殆ど聞き流していた。後で思い出してみると少しばかり当たっている所もあったようだけど…。
道で拾った石は透明な黄緑色の石で、夫婦円満を意味するペリドットに似ていた。とても綺麗な石だったので余った紐と編んでストラップを作った。
いい出来だったのでお礼代わりに小母さんへプレゼントしたら、彼女は大変喜んで鍵の束に付けてくれた。それからは帰り道で石を拾ってはアクセサリーなどを作っていた。
後日、綺麗な石であってもこの世界では何の価値も無いと知ったが、ミチルの気持ちが嬉しかったので余計なことは言うまいと黙っていてくれたそうだ。
ミチルがこちらに来て三か月程経った頃、都会から娘さんが休暇で帰ってきた。彼女の名前はスーザン(現在は二十九歳)。茶色い髪と茶色の眼を持つ気の強そうな美人。ミチルがちょっと見上げるくらいの身長でスタイルもいい。彼女は都会でお針子として働いており、ミチルの話は聞いていたようで二人はすぐに打ち解けた。
彼女との話で小母さんに作ったストラップのことを聞かれ、作って貯めておいたアクセサリーを彼女に披露した。すると一目見た途端に彼女は目を輝かせる。こんなものは見たことが無い、不思議な魅力があるし皆が欲しがるだろうと彼女は言った。
嬉しくなったミチルはスーザンにアクセサリーの幾つかを贈り、転移前の世界の話をした。スーザンは興味深く色んなことを質問してはメモを取った。彼女の休暇の間、二人は一緒に楽しく過ごし、休暇を終えてスーザンは都へと戻った。
その後、今の店の開業へと話が進んでゆく。
ミチルの話を聞いたスーザンは、店を実現するために職場の垣根を越えて有志ある者を募った。そしてミチルにも作ったアクセサリーを売ってこの世界で手に職をもつことが出来ると教えてくれた。
どのみちいつかは一人で生きていかなければならないのだ。怖がってばかりいてはダメだと思い、ミチルはこの機会に賭けることにした。