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願いの対価

「すごい! ここが学校というところなのですね! 」


学校に着くなり、撫子はそう言ってはしゃいだ。

朝玄関の前で待っていた撫子の姿は、明里の目にはハッキリと見えるにも関わらず、どうやら自分以外の人には見えないらしい。


昨日寝ないで幼女を学校に連れて行く理由を考えていたのが見事に無駄になってしまった。


授業中は探すことが出来ないので、明里が授業を受けている間、撫子は明里の隣に座って一緒に授業を聞いていた。


聞く、といっても時折眠そうに目を擦っているので、人の真似をしているだけで内容はほとんど頭には入っていないのだろう。

まあ、私も人のことは言えないけれど。


勝手に出てくる欠伸を噛み締めながら黒板に瞳を向ける。

まるで眠りの魔法でも掛かっているのかと錯覚する様な、淡々と抑揚のない先生の声。

昼下がりの窓際は、暖かい日の光をふんだんに教室の中に招き入れた。

ノートに走るシャープペンの音。

カツカツと軽い音を立てて黒板に書かれていく記号は、もう解読することも出来そうになかった。


ウトウトと、頭が揺れる。

このままでは寝てしまうと、慌てて明里もノートにシャープペンを走らせた。


数学に使う記号をノートに書いているのが面白いのか、ヒマそうにしていた撫子が筆箱に入っているペンを一本取って明里のノートの端に落書きを始める。

イラストと呼ぶにはほとんど線や丸の類だけで、ただ握ったペンをグルグルと回しているだけだった。


(こうして見てると、本当にただの子供なのよね)


神と言われてもピンとこない。思わずクスリと笑ってしまう。


授業はなんとか寝ないで乗り切って、放課後になると同時に動き始める。

三学年しかないとはいえ、学校にいる人全員が対象なら二人で探すには随分と多い。


撫子が覚えている情報は少なくて、明里が今持っている手がかりは、この学校の女子生徒であることと、名前がよしこ、ということだけだった。


こうなったら聞き込みあるのみ。

人がいなくなる前に、まずは一年生からしらみ潰しに人を捕まえては聞き込みをした。


せめて苗字も分かればもう少し探しやすいけど、名前だけでも分かっているだけありがたいと思う事にする。


撫子は相手の顔はしっかりと覚えているみたいなので、手当たり次第によしこさんに会って、会って、会いまくって、撫子に見てもらうしかない。

だから、明里はただひたすら校舎の中を走り回った。


しかし。


部活も始まってしまった放課後だと、情報は集まりにくかった。

教室に残っている生徒も少ないし、なにより部活が始まってしまうので聞き込みも効率が悪い。


更に明里自身、学校の後にバイトがあるので、あまり長い時間人探しが出来るわけではなかった。


「あの、ちょっと聞きたいことがあるんですが」


歩いていた生徒を呼び止める。

話したこともない見知らぬ人に声を掛けられ、明らかに向こうは怪訝そうな顔をしていて、それだけで結構心が折れそうになってしまう。


そうだよ、冷静に考えたら私だっていきなり知らない人に話しかけられたら警戒するわよ。


「知り合いに、よしこちゃんって人いませんか? ここの生徒なんですけど」

「すみません、知りません」


考える素振りもなくピシャリとそう言い切られる。

不信な瞳を向けたまま、さっさとその子はいなくなってしまった。





「ダメだー」


それから何人もの生徒に声を掛けてみたけれど、結局良い反応をしてくれる人は一人もいなくて何一つ手がかりは掴めなかった。

これだけ聞けばなにか出てくるかもしれないと思っていたのに、まさかここまで空振るとは。


「雪野様大丈夫ですか? すみません、私の為に」


思わず蹲った明里に、心配そうに撫子が寄り添ってくる。

なんの役にも立てなかったのに気にかけてくれるなんて、なんて優しい子なんだ。


「ごめんね、全然力になれなくって」


本当は明里以上に落ち込んでいるはずなのに、撫子はそんな素振りを微塵も見せようとはしなかった。

気丈に笑顔を作り、そっと、明里の手に自分の手を重ねる。


「そんな事ないです。私は雪野様がいないと、人の世に来ることすら出来ませんから。こうして、よしこさんが通っていた学校に来られただけでも、私にとっては素晴らしいことです」


その優しさに思わず胸が締めつけられる。

なにか力になってあげたい。

ほんの少しでも、この優しい子の想いが報われるように。


「撫子……」


思わず小さな体を抱きしめる。


「今日は駄目だったけど、私明日もやるから。明日は昼休みも聞き込むし、絶対に見つけるから、約束するから」


少なくとも、全校生徒に聞き込みするまで、何日掛かっても絶対に諦めない。


「雪野様」


明里の言葉に、撫子は控えめに小さな手を彼女の背中に回した。

戸惑いがちに触れた手は、ほんの少しだけ震えている。


もしも、他の人だったら。

たとえば、ルーカスさんたちだったら。

もっと役に立てたのかもしれない。


高い志を持って始めた癖に、自分の無力さが嫌になる。


それでも。


力は足りないかもしれない。

ただの人間の私には、出来ることなんてほとんどないのかも。


だけどそんな私にも、一つだけ出来ることがある。それは、諦めない事。それだけだ。


「絶対に、見つけるからね」


力を込めて言った言葉に、撫子は小さな声で、はい、と答えてくれた。




そう、諦めないこと。

それだけが私に唯一無二の出来ることだ。そうなんだけど。


「また、なんの情報も掴めなかった」


次の日も、その次の日も。

放課後だけじゃなくて、休み時間も搜索に当てたにも関わらず、なんの手がかりも掴めなかった。

勝手に重たいため息が漏れる。


「おい、雪野」


急に声を掛けられて、ビクリと肩が跳ねた。

落としかけたトレイをいつの間にか目の前にいた透が寸前で掴む。


「お前、大丈夫か? 」


てっきり怒られると身構えたのに、透から出てきたのはそんな言葉だった。


「最近ぼんやりしてるし、変だぞ。顔色も悪いし」


言われたことには心当たりはある。

最近学校中を走り回っているせいか、ここのところずっと疲れが取れなかった。


体はずっと重たいし、寝てもあまり眠った気にならなくて。

だけど、その理由は言えない。


怒られるだけならまだしも、止めろと言われてしまったらと思うと、事情を話す気にはなれなかった。


心配してもらえるのはありがたい。

それでも、明里はなんでもないですとだけ返して、仕事に戻った。





「明里! 」


授業も終わり今日も聞き込みをしていると、不意に自分を呼ぶ声が聞こえた。

こちらに向かって走ってくるのはさつきで、明里の姿を見つけるなりすごい勢いで走り寄ってくる。


タックルでもするかの様に明里の腕を掴むや否や、明里よりも少しだけ色素が薄い茶色の瞳が明里を捉えた。


「ねえ! 今校門の前でイケメンの外国人が明里を探してる! 」

「イケメンの、外国人? 」


知り合いにそんな人いたかな、と記憶を手繰る。

そもそも外人の知り合いもいないはずだけど。


「ちょっと癖のある赤毛で緑の瞳がとっても素敵なイケメンだって! 」


興奮たっぷりのさつきの言葉にやっとハッとする。

一人だけ心あたりがあった。


でもなんでここにと考えて、いつか透が言っていた言葉を思い出した。


神様と違って、透とルーカスは妖。

そして、妖は人に化けることが出来る。

だから、人間の世界に紛れることも、人に姿を見せることも出来る。


「ルーカスさん」


明里の言葉に、さつきは瞳を輝かせた。


「ルーカス様っていうのね! 」


素敵、と両手を合わせる姿はどう見ても恋する乙女そのものだ。


「ルーカス、……様ぁ? 」


嫌な予感がする。そして、明里のその予感は見事に的中した。


「どういう関係? 恋人? 違うよね? 」

「ち、違う……! バイトの先輩」

「クソ教育係? 」

「そっちじゃない方」


胸ぐらを掴む勢いで重ねられる質問に、明里は思わず一歩後ずさる。


勢いが凄すぎる。


「良かったー! ねえ明里、紹介して! ルーカス様って、年下でも大丈夫かな」


そう言いながら、さつきは鏡を片手に癖のついた髪を整える。


年下が好きかどうか以前に、そもそも、人間は恋愛対象になりえるのだろうか。

神様にとってはご馳走だぞーと脅されたけど、妖的にはどうなのか。

怖くて聞けないけど。


明里の悩みなんてこれっぽっちも気に止めないで、さつきはグイグイと明里の背中を押した。


「あ、ユキちゃん」


そのまま校門前まで引っ張られ、想像通りの人と対面する。

バイトの制服では目立つからか、白いシャツにグレーのパンツというとてもシンプルな私服姿のルーカスの隣には、翔太の姿もある。

どうやら彼がルーカスの話相手になって、その間にさつきが呼びに来てくれたらしい。


「ユキちゃん連れてきてくれてありがとう、お友達ちゃん」

「お友達ちゃんなんて、さつきって呼んでくださぁい」


さつきはそう語尾にハートマークをつけながら甘えた声を出した。

ぶりっ子を決め込んで、完全にスイッチが入っている。


昔からの幼馴染で大好きな友人だけど、惚れっぽいところだけはなんとかした方がいいと常日頃から思ってる。


「ルーカスさん、なんで学校に」


バイトの時間はまだ先だし、私をわざわざ探しに来る理由が見つからない。


「あー、バイト先でユキちゃんが具合悪そうだから気になってたんだけど」


言いながら、ルーカスの瞳が明里と一緒にいた撫子に向いた。

一瞬だけ、緑の瞳が鋭く光った気がする。


「大体分かったよ。お人好しだな、ユキちゃんは」


ルーカスの瞳に驚いたのか、撫子が明里の後ろに隠れる。

ルーカスと明里以外には撫子の姿は見えていないので、さつき達はなにもない場所を見つめるルーカスに少しだけ不思議そうな顔をした。


その視線に気がついて、ルーカスが撫子から瞳を離す。

今度は、緑の瞳が明里の瞳を捉えた。


「とりあえず、場所を変えて話そうか」


いつの間にか、校門の前には外人のイケメンを一目見ようとたくさんの人が集まっていた。

これ以上ここで話せる話はないだろう。


ルーカスの言葉に頷く。

彼の瞳から、もう私のやっていることはバレてしまったし、今更隠すことも出来ないのは分かっていた。


「待て。場所を変えるって、二人きりでなにを話すつもりなんだよ」


ついていこうとした明里の腕を翔太が掴む。

その仕草に、ルーカスはへえ、と一言呟いた。


さっきまでの鋭い瞳は一瞬で消えて、いつも透に向けている様な楽しげな瞳が翔太を捉える。

安心して、とルーカスはすごぶる明るく笑った。


「僕の好みはもうちょっと美味しそうな子だから」


それって、食料としての好みですか、とは怖くて聞けなかった。

妖ジョークで固まった翔太にルーカスがニヤリと笑いながらウィンクを一つ。

そして、そのまま明里の手を取って、行こうか、と学校を後にした。





「トールに知られたら絶対に怒られるね」


事情を話すよりも早く、ルーカスは明里にそう言った。


彼の言いたいことはよく分かる。


あれだけ毎日のように神様に関わるなと言われているにも関わらず、今私はこうして小さいとはいえ神様と二人きりになっている。

そんなの知られたら、絶対に透に怒られる。

分かっているからこそ、黙っているんだけれど。


「先輩には言わないでください」

「それはいいんだけど」


明里の決死のお願いは、想像以上にあっさりと受け入れられた。

え、いいの?と思ってキョトンとした明里の隣で、ルーカスはうーんと声を出した。

ルーカスの瞳が明里を見て、それから撫子を見る。


「ユキちゃん、利用されてるだけだよ? 」


言葉の意味を掴み損ねている明里に、ルーカスが続けた。


「本来、彼女程度の神は長く人の世にはいられない。それなのに、なんで彼女はずっとここにいられるのか。理由はとっても簡単だ。ユキちゃん、君にとり憑いているからだよ」


ルーカスは短い言葉で淡々と言葉を紡いでいく。

事情を読み取れない明里のことはお構いなしで、容赦なく話は進んでいった。


「付喪神は元から人に害を及ぼす神様だもん。その子は人の世に居る間、ずっと君の生命力を吸って形を保ってる。最近ユキちゃん体の調子悪いでしょ? それも全部彼女のせいだよ。ちゃんと、その話は聞いた? その子がこの世界にいる時間に比例して、ユキちゃんの寿命が取られてるって。納得した上で協力してる? 僕には、そんな風に見えないけど」


明里は思わず反射で撫子を見た。

撫子は視線が絡んだ瞬間に気まずそうな顔をして明里から視線を逸す。

たったそれだけで、ルーカスの言葉が本当なのだと肯定している。

しかも自覚した上で黙ってこちらの寿命を取っていたのだと、そんなことまで気がついてしまった。


初めから、撫子は分かっていたのだろう。

こうやって私と一緒にいれば、私が寿命を取られることを。


そして、撫子は自分の目的を達成する為に初めから私を利用するつもりで近づいてきた。


たかが人間の命も、寿命も、彼女には大した価値はなくて、無知で馬鹿な人間がホイホイ寿命を差し出すのを狙っていたのだ。


「トールが君を神から遠ざけようとしたのは、こういう事があるからだよ。神様ってだけで人は勝手に聖人君子のように思うけれど、神は人のことなんてさして興味はないんだ。慈悲深い愛を無条件で注ぐような、そんな神はごく僅かだよ。トールには黙っててあげるから、もうやめよう。これ以上は君の体がもたないよ」


ね? と優しい瞳が私を映した。


彼の言うとおりだった。なにもかも。


守ってあげなきゃと勝手に思っていた神様は、私をただの電池替わりにしていただけだった。


撫子はもう私の方は見ない。

やめようと誘われているにも関わらず、ルーカスが言った事が全部本当だったから、取り繕うこともしないでただ黙って下を向いていた。


私は、本当に馬鹿だ。

なんの力もないくせに、誰かの為になりたいって思って。簡単に騙されて利用されて。


「ユキちゃん? 」


それなのに優しいルーカスさんの手を、取ることも出来ないなんて。


「すみません、ルーカスさん。それでも私、やりたいんです」


背中には、まだ撫子の手の感触が残っている。


確かに利用されたんだと思う。

撫子にとって、私の命なんて自分の目的に比べたら取るに足らないものだったのかもしれない。


だけど、だからなんだというのだ。


理由はなんでも、利用する為だったとしても、撫子が私の力を必要としてくれたのは本当だ。

それが電池替わりだとしても、私にしか出来ない事が目の前にあるのだ。


手段がどれだけひどくても、撫子が語ってくれた持ち主の女の子への想いは本物だ。

唯一の手段が消えてしまうというのに、言い訳もしないで、嘘で誤魔化しもしないで、罪悪感で瞳を伏せてしまう程優しい子が、こんな手段にでなくてはいけないくらい、それくらい、彼女に取って大切なことだったのだ。


だとしたら、私の寿命なんて大したことじゃない。



もう始めてしまった。

情も沸いた。

自分の理想とは少し違うけど、これだって私にしか出来ない唯一の神助けだ。


「私がやりたいって思ったからやってるんです。寿命の一年や二年、持ってけばいいんですよ。私長生きする予定なので、多少持って行かれても問題ありません。それよりも、私は今撫子の助けになりたい。彼女の探してる人を探してあげたいんです。だって、約束したから」


明里は、真っ直ぐルーカスの瞳を見つけてそう言った。


わがままなのは分かってる。

本当にバカだなって、自覚もある。


それでも、辞めたくない。

約束したから。絶対に諦めないって。必ず見つけるって。


だから、私は続ける。


数秒、ルーカスが明里の瞳を見つめる。

全く引く気がない明里の決意を察して、息を吐いて肩を竦めた。

呆れた様な瞳は、それでもどこか優しい。


「本当にお人好しだな、ユキちゃんは」


そっと伸びた手のひらが明里の頭に乗る。暖かい手が、優しく明里の頭を撫でた。


「いいね、気に入った。僕、ユキちゃんのそういうところ大好きだよ」


笑顔で言われた大好きという言葉に、反射で心臓が鳴る。

そういう意味じゃないと分かっているのに、単純な心臓は簡単に反応してしまった。


「だから、僕も協力するよ」

「え? 」


グシャグシャと、ルーカスの大きな手のひらが明里の髪を撫でて離れる。


「ユキちゃんが死んじゃうのは嫌だからね。僕も一緒に探す。二人よりも、三人の方が早く見つかるでしょ? 」


優しい言葉にドクドクと心臓は今も音を立てていて、思わず服の上から抑えた。

赤くなりそうな顔が気恥ずかしくて、なんとなく瞳を逸らす。


「ありがとう、ございます。でも大袈裟ですよ」


死んじゃうなんて。

そう続けると、ルーカスは笑顔で爆弾を落とした。


「大袈裟じゃないよ。持っていかれてるのは寿命というよりも生命力そのものなんだ。彼女がいなくなれば元に戻るけど、生命力を削られるっていうのは、寿命を一年とか二年持ってかれるなんて可愛いものじゃないよ。このまま放っておいたら一週間もしない内にユキちゃん死んじゃうし」

「え? 」


聞き間違いかと思って明里は思わずルーカスを見る。


マジですか? と明里が聞けば、ルーカスは笑顔でマジだよ、と返した。





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