神でなければ客にあらず
街外れにひっそりと建つ小さな喫茶店ノワール。
草木や花に囲まれたその喫茶店には、まるで日常生活から切り離されたみたいなゆったりとした空気が流れていた。
こじんまりとした店の中には、テーブルが五つ程。カウンター席が数席。
店の中には喫茶店のマスター自慢の珈琲の香りが充満している。
控えめで洒落た音楽が流れるこの喫茶店には、いつも数組の客が雑談をしながら珈琲を楽しんでいる。大抵の場合は。
ガシャン、と大きな音がして、明里はビクリと肩を震わせた。
音の発生源は真ん中のテーブルで、そこには普段の客層とは全く違う、所謂ヤンキーと呼ばれる類の男が三人座っている。
先ほどからメニューを開くこともなく、品のない大きな笑い声を響かせながらバカ話に花を咲かせていた。
明らかに、あのテーブルだけおかしい。
ちなみに、さっきの音は男の一人がテーブルに足を置いた音だ。
このまま放って置くわけにもいかず、明里は覚悟を決めて男達に近づく。
普段だったら絶対に近づかない類の人種だが、今はバイト中。
ここでなにもしなかったら、ヤンキーよりも怖い先輩に怒られてしまう。
「あ……あの」
明里の声に、話をしていたヤンキーたちが会話を止める。
同時に自分に向いた視線に少しだけビビった。
それでも、バイトバイトと心の中で繰り返して言葉は止めない。
「失礼ですが、お客様は神様ですか?」
「は?」
明里の言葉にヤンキーが一斉に瞳を丸くする。
しまった、聞き方を間違えたと思うよりも早く向こうが楽しげな声を上げた。
ニヤニヤとした瞳が明里を捉える。
「そうだぜ姉ちゃん、俺たち客は神様なんだ。ちゃんと敬ってもらわねぇと」
立ち上がったヤンキーの一人が明里に向かって手を伸ばした。
肩を組まれてしまって思わず怯む。
「いえ、そういう意味ではなくって。だからつまり、お客様は神様なのかなって、そう聞いただけで」
「もちろん神様だってー。なあ雪野ちゃん連絡先教えてくれよぉ、神様の命令」
制服の胸元に付いた名札を見て、ヤンキーの一人が名前まで呼んでくる。
ダメだ、全然話が伝わらない。
始まってしまったナンパの手をなんとか躱す。
私の聞き方も悪かったけど、ここまで伝わらないことなんてあるの? 馬鹿なの?
ヘラヘラしながら触ってくるヤンキーに、次第に周りの視線も集まってくる。
明らかに毛色の違う客が紛れている事に他のお客様も気がついたらしい。
少しずつ変わっていく空気にこれはまずいと身構えた。
「お客様」
見かねたのか、呆れたのか。
そう声を掛けてきたのは明里の先輩の透だった。
教育係も務める彼は、明里がこの店で唯一恐れる先輩だ。
「先程はうちの従業員の言い方が悪かった様なので言葉を変えます。ここは神々が集まる喫茶店。神でなければ客ではない。見たところ、貴方たちはただの人間に見えますが」
「何言ってるんだ、お前」
怪訝そうなヤンキー達に、透は呆れて息を吐き出した。
仕方なく彼が指を鳴らすと、同時に店に掛けられた対人用の魔法が解ける。
この店が人の世に近い為に、こうして紛れてしまった人間用にマスターが掛けた魔法だ。
今みたいに間違って入ってきてしまった人間を驚かせないように、客も従業員も人の目には同じ人間にしか見えないけれど、それはただのまやかしでしかない。
透をはじめ、ここにいる者は店員も客も皆が人間とは違う生き物であり、本来ならば人間が見ることも出来ない存在。
特殊なフィルターが外れたヤンキー達の前には、先程までとは全く違う景色が映る。
人ならざる姿のモノたちが、興味深げに自分たちを見ている事に気がついた。
自分が肩を組んでいる女の子を除いて、声を掛けてきた男の従業員までが獣のような姿をしているのだから、驚くの当然だ。
映画の撮影かなにかだろうか。それとも、ドッキリカメラ?
表情からして一瞬はそう思ったみたいだけれど、呼吸が止まってしまいそうな程の空気や威圧感に、さすがのヤンキーたちからも表情がきえた。
可哀想なほど顔は真っ青になり、ガタガタと体が震えている。
今にも泣き出しそうなヤンキー達に、透は容赦なく闇夜でも光りそうな鋭い瞳を向けた。
金色の光を帯びたその瞳は、まるで飢えた獣のソレだ。
「お客様は、神様ですか?」
凄みのある声に、今度こそヤンキーたちは大きな悲鳴をあげながら我先にと店の外へと走り出した。
もつれた足で何度も転び、一秒でも早く逃げ出そうと、仲間を蹴飛ばしてでも必死に扉を目指す。
殺される!助けてくれ! とみっともない叫び声を上げて、ヤンキーたちは転がるように店の外へと這い出していった。