第九話
かつての地球上のどこにでも人類の溢れていた世界はある事件をきっかけに”変革”した。
”変革”によって、地球上の人間種は当時の人口の60%まで減少した。
短期間で急激な人口減少に見舞われたため、世界各国で中程度の規模の衛星都市は放棄され、大都市に人口が流入した。
インフラやマーケットを維持するためには、ある程度以上の人口水準は必須だったのだ。
逆に都市部から距離のある、小規模な町は人口が少ない中でも運営ができたため、機能は維持できた。
特に農業中心の広大な畑のある地区は、そもそもが人手が足りないため、自動化を余儀なくされていたため、人口減少の余波はほとんどうけなかった。
逆にロジスティクスの機能不全による大都市の食料不足で、農作物の値段が高騰し、大きな儲けを得たくらいだ。
大都市に流入した人々でも、身内や知り合いをたよれる者はまだよかった。
単に生活に困窮して伝手もなく、大都市に流れてきた人々はなんの足がかりもないため、多数の空き家に居を構えるしかなかった。
それがたとえ不法占拠だとしても。
そうやって、占拠された地区も徐々に地区の中の力関係でヒエラルキーが構築され、お互いに生活に必要なサービスを提供し合った結果、雑多で無秩序ではあるが、コミュニティが形成されていった。
無秩序に拡張された結果、街は統一感も清潔さもない、無国籍で無遠慮に無計画に店が建ち並ぶ商店街がそこかしこに自然と形成されていった。
ここ、キャピトルヒル自治区もそんな成り立ちをもつ商店街をかかえた自治区だった。
かつてはこの地は人種差別の抗議運動が巻き起こるきっかけとなる事件の発祥の地。人種差別抗議デモの聖地だったらしい。
いまではさまざまな人間種が生活を共にする、自由の地区だ。
タイタンはゴミを収集ボックスに捨てた後、繁華街を目指して歩く。
はでな原色を組み合わせたLEDの看板が、無秩序に配置されていて、どんよりと降りはじめた霧雨を照らし出す。
さまざまな人間種が張り上げる雑多な喧噪のなか、路地に歩を進める。
食料品店や屋台の呼び込み、怪しげな風俗店の勧誘、客引き……そうした、騒々しいかけ声はすべて聞き流し、裏路地の看板のない店に入る。
ここはエボニー&アイボリーという使いきりのマジックアイテム専門店だ。
毛並みの整った凜々しい顔の黒猫のアイボリーと、くせっ毛で愛らしい顔つきの白猫のエボニーが出迎えてくれる。
タイタンの背の高さは猫にとって恰好のキャットタワーなのか、いつも入店すると同時にダッシュで両肩に登ってくる。
「防弾護符は役に立ったぜ、ありがとよ」と奥に向かって大声をあげる。
受け答えは特にない。
タイタンは気にせず、「防弾障壁護符、防火障壁護符、治癒パッチ、解毒パッチ、疲労回復パッチ、集中力増強パッチを12ユニットづつ頼む」と、こんどは左肩のエボニーに告げる。
右肩のアイボリーが一旦、奥にさがり商品のはいったバスケットを咥えて尾をピンと立てながらドヤ顔でもってくる。
背中をやさしくなでながら商品を受け取るタイタン。
エボニーが甘えるようにクビを差し出すので、喉をなでながらついでに首輪の読み取り装置に右の手首に埋込まれた非接触ICチップを近づけ、ジェンコインで支払いをすませる。
「またくる。魔女によろしくな」といって去る。
魔女とは、この店の店主で、ここに並んでいる商品はすべて彼女の作成したマジックアイテムだ。
護符は呪文と魔方陣が紙に刻まれた縦長で長方形の札だ。
魔女の店の護符は東洋の漢字と図案で記された特別な護符で、シアトルで取り扱っているのはこの店だけだ。
通常のルーン文字で描かれた護符より精度が高い。
強力な魔力が込められているのは魔女の能力が高いのかこの図案に特別な力が込められているのか……タイタンの理解の範疇を超えているが、性能が良ければ護符の原理については特に気にしていない。
パッチは、シールタイプの肌に張ることにより、効果を発揮する医療用のテープだ。
通常、製薬メーカーが取り扱っている気管拡張パッチなどが有名だが、この店のパッチは魔法が込められており、肌に張る事により魔法の効果を得る事が出来る特別なパッチだ。
もちろん、他のマジックアイテムの店でも取り扱ってはいるが、他に比べて効果が高い。
そのかわり多少、高価だが、値段に見合うだけの価値はある。
ちなみに防弾障壁護符は効果範囲に設定されたニュートン力を上回る力を受けた場合、障壁を自動起動して衝撃をそらす魔法を込めた護符だ。
通常の防弾障壁魔法は直径6フィート(約180センチ)に防弾障壁を展開し、その効果範囲に到達した、ニュートン力の強さで効果を発揮する。
魔女の護符はこの防壁の範囲を護符を貼った物質の形に添って、4インチ(約10センチ)の範囲で防弾障壁を展開する。
防弾障壁の維持時間は10秒。これはどちらも変わらない。
防弾の障壁は外部からの銃弾を弾くが、当然、内部からの銃弾も弾く。
すなわち、通常の防弾障壁魔法は外からの銃弾を防ぐ効果が発動したら10秒は自分も銃撃を中断せざるを得ない。
結界のなかで銃弾をぶっ放しても相手には届かないし、下手すると跳弾で自分が傷つく羽目になる。
魔女の防弾護符は指先から銃身が4インチより離れていれば、防弾障壁が発動しても銃撃をとめる必要は無い。
これは明らかに戦闘に置いては優位に立てる。
そのためタイタンは魔女の防弾障壁護符を常に必要以上にストックしている。
慢心は人間の最大の敵だ。
備えのなくなった状況で戦闘しか選択がなくなることは、死活問題だからだ。
また、防弾障壁魔法は設定されたニュートン力より小さい力には反応しない。
これは感度の良すぎるセンサーが役に立たないのと同じだ。
小さな力で反応してしまうと、極端な話、走り出す時に腕振りをしただけで防弾障壁が起動してしまう。
”防弾”とは通称であり、正確な魔法の名前ではない。
衝撃をそらす防御魔法の効果を追求していった結果、銃弾を防ぐという一点に特化されて研究されたためにつけられた通称だ。
したがって、銃弾の速度と質量から計算した最低のニュートン力を起動条件に設定する必要がある。
そのため、手斧やナイフによる攻撃はは防弾魔法では弾けないのだ。
もちろん手斧やナイフを銃弾と同じ早さで射出できれば、防弾障壁は起動する。
この障壁は銃弾そのものを認識しているわけではなく、衝撃力を認識しているだけだからだ。
魔女は付与魔術の腕は立つのだが、極度の引きこもりで、接客は飼い猫に任せっきりだ。
エボニーとアイボリーにも直接、魔術を付与していて二匹……いやエボニーとアイボリーの二人はちゃんとタイタンの言葉を理解しているようだ。
少なくとも店主よりはよっぽど愛想が良くて売り子むけの性格なのは確かだ。
どうせ店主が出て来ないならいくらでも万引きできるんじゃないか? と思うかも知れない。
でも実行にうつすのはおすすめしない。
店全体に、防犯の付与魔術が施されているからだ。
万引きを実行したマヌケが、消し炭になったとか、塩の塊になったとかの物騒な噂は絶えない。
魔女に面と向かって聞けない以上、実際にどんなめにあうか、知りたければ試すしかないが、タイタンには好奇心を満たすつもりは微塵もない。
そのくらい魔女の付与魔術には信頼を置いている。
今日はとなりの仕立屋には寄るつもりはなかった。
この店はガンマニアと呼ばれる武器商人の店主が経営している。
足のつかない銃と銃弾を取り扱っているので重宝する店だ。
多少高くついても銃弾を補充するときはいつもここだ。
正規品でないので、豊富に在庫があるわけではないが、ガンマニア曰く、品揃えは一級品だけ、だそうだ。
注文品は取り寄せになるし、リピーター優先なので新規の品は納期が遅い。
まあ、納期は金額の上乗せでいくらでも短くなるのだが。
銃器の調達においてはタイタンはガンマニアを信用している。