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「僕は中学は地元の公立ではなく、B市のアカデミーに行きたいんだ」
夕食時にその話を切り出した僕に、祖母は不快の表情を全く隠さなかった。
「この辺の子はみんな地元の中学に行くんだ。アカデミーに行きたいだなんておかしなこと言う子は誰もいないよ」
母はあえて何も言わず、父の様子を伺っていた。
父はしばらく黙考した後、口を開いた。
「どうして、アカデミーに行きたいんだ?」
もちろん、ここでおとかと同じ学校に行きたいと言う程、僕は馬鹿じゃない。
「これからはどんな職業につくにしろ、英語とディベートはますます重要になると思う。早いうちにアカデミーでそういったことを勉強したいんだ」
幸い僕の学業成績はアカデミーに行けない程悪くはない。父は再び黙考した。
「わたしはずっとこの町で暮らして来たけど、英語だのそのディベ何とかだの使ったこともないよ。余計なことはしない方が幸せに暮らせるんだ」
祖母がそこまで言ったところで、祖母の実の娘である母が制止した。ここは父の答えを待とうというのだ。父は婿養子であるが、母には一目置かれていた。
父は再びゆっくりと口を開いた。
「懸念は二つある。一つはアカデミーに行くとなると電車通学だ。片道1時間往復2時間を毎日だ。体力がもつ自信はあるのか? もう一つはアカデミーへの編入となると競争試験だ。当然、不合格もある。高校受験と違って、滑り止めの学校なんてない。アカデミーに落ちたので公立に来ましたと周囲に言って、冷たい視線にも耐える必要がある。その覚悟はあるのか?」
僕は大きく頷いた。来年、おとかと同じ学校行くためなら、多少の障害は乗り越えてやる。
「あるっ! あるよっ!」
父は静かに言った。
「分かった。だが、これはこの場だけで決められない問題だ。少し時間をくれ。おい、ちょっと」
父は部屋の片隅に母を呼ぶと何やら話していた。母はしきりに頷いていた。
この時の僕は今までの経験から父の反応に手応えを感じていた。
きっといい方向に行く・・・・・・そんな風に思っていた。
たとえ、妹に
「ねえ。お兄ちゃん。アカデミーってとこに行くの?」
と問われた祖母が
「ふん。変なところ受けて、落第して泣きを見るのは自分だ」
と言い放ったとしても。
◇◇◇
だが、僕のそんな期待は早くも翌朝木っ端微塵に砕かれた。
その日の朝のホームルームで坂上先生は二枚の通知を全員に配った。
一つは県内小学生の研究発表募集、もう一つは、中学進学に当たっての希望調査だった。
坂上先生は不機嫌を全く隠そうともせず、こう言った。
「教頭が配れって言うから配るが、言っておくが、俺はこういうのは大嫌いだ。子どもは研究発表なんて、変な大人の真似なんかしないで体を動かしてればいいんだ。もう一つ、中学進学だが、このクラスには私立中学に行きたいなんて頭のおかしい奴は一人もいないと信じている。みんなと同じ公立中学に行く。それが素晴らしいことなんだ。もし、そんな届け出が出ても、俺は受け付けない」
目の前が真っ暗になるとはこういうことをいうのだ。僕は本当にそう思った。
春先、坂上先生に胸倉を掴まれた時もこれほどの絶望感はなかった。
あと、半年ほど我慢すれば、堂々とおとかと一緒にいられる。
一度、そういった希望をもってしまった後、それを砕かれた時の方が、初めから希望をもっていなかった時より、より深い絶望感を味わうことになる。
11年生きてきて、それを初めて知った。
◇◇◇
体が重い。
よく鉛のよう・・・・・・などという例えがあるけど、そんなもんじゃない。
足の一歩を踏み出すにも、いちいち「足を出す」「足を出す」と気持ちを込めないと、踏み出せない。
放課後の野球練習でも、それは顕著に表れてしまった。
最近は外野の最後方にいて、適当に飛んで来た打球を捕り、「やってますよ」アピールも上手になってきていたんだけど、今日は全然だった。
「佐貫っ! お前、やる気ねぇなっ! この俺にケンカ売ってるのかっ!」
ここのところなかったが、久々に怒鳴られ、胸倉を掴まれた。
僕はそんな状況にあっても、恐怖感すら湧かないほど心は潰れていた。
胸倉を掴まれても、ただそれにぶら下がっているだけで、目は完全に死んでいたと思う。
さすがの坂上先生も異様な僕の姿に当惑し、掴んだ胸倉を地面に向け、放した。
どおっという音と共に、僕はそのまま倒れ込んだ。
「おいっ、誰がこいつを家まで送ってやれ。全く救いのねぇ野郎だ。いいかっ、本ばっか読んでるとなっ! こいつみたいに体力がなくなって、こうなっちまうんだっ! よしっ、今日はいい機会だから、徹底的に鍛えてやるからなっ!」
坂上先生の剣幕に一部の児童は心底うんざりし、さぞや佐貫のせいでとばっちりがきたと思っていただろう。
◇◇◇
僕を送ってくれた男子は家まで送ってくれようとしたが、僕は断った。
家にこのまま帰っても、祖母は僕をなじるだけだ。
送ってくれた男子も一刻も早く帰宅して、読書とゲームをやりたいと思っていてくれたようで、帰る途中で別れた。
最後の力を振り絞って、僕は市立図書館に歩を進めた。
◇◇◇
「四郎っ!」
幽鬼のような姿で、市立図書館に入って来た僕に、おとかは思わず駆け寄って来た。
「四郎っ! どうしたのっ? 四郎っ! 学校で何かあったのっ?」
所かまわず声を張り上げるおとかを楠さんは静かに制し、僕たちを別室に誘導した。