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掌編小説集 「太陽が近かったなんて」 収録例

掌編「新幹線」

作者: 蓮井 遼


お読みいただきありがとうございます。

こちらは詩「君に」の着想を得、乗り物シリーズでボーイミーツガールシリーズと合わせて

書いてみました。



 邦子は、朝早くに起きて台所に向かい、朝ごはんを作っていた。冷蔵庫から卵を取り出し、フライパンに油を敷いて、卵焼きを作っていた。その合間にレタスをちぎって、みそ汁を作る準備をした。台所がカタカタと忙しなくなっていく。奥の部屋の寝室では、まだ幸助が眠っていた。幸助は邦子の大切な人であった。けれど、二人が一緒になる時間はそう多くはない。部屋を一緒に借りた時に合い鍵を作っておいた。

「なくさないでね」と邦子は言った。ふと、渡したときに昔読んだ漫画で、沢山の合い鍵を持っている男のことが思い浮かんで、少し不安になった。彼もそうなるのかなと。

「おう」と彼は答えたのを邦子は覚えていた。あの日から、一年は経ったのだろうか。相変わらず二人が一緒に過ごせる時間は限られていたから、邦子はもどかしさを感じた。幸助は邦子が心配するような性向の持ち主ではなかった。どちらかというと、彼女一筋だったから、会えない日々の気の持ちようが大変だった。二人は電話で連絡は取れなかった。相手のいやなことは極力しないように配慮した。どちらかが苦手なくらいだった。けれど、色々な場面で歩み寄ろうとした。

「じゃあ、行ってくるね」

 邦子は眠っている幸助に顔を近づけ、彼の耳元で伝えた。幸助はいまだ起きる気配はなかった。邦子にとって彼はふと現れた人だった。前に邦子が働いていたアルバイトのスーパーマーケットに幸助はよく買い物をするお客さんだった。

 棚の商品を整理しているときに、彼から商品の場所を尋ねられたのがきっかけだった。

「すみません、チャッカマンってどこにありますか」

 彼、一人では物の置き場がわからなかったらしいが、生憎商品も在庫切れだった。商品の管理が雑だったのか、発注忘れか何れにしても取り寄せが必要だと邦子はわかり、伝えた。

「ごめんなさい。いま丁度品切れなようです。取り寄せますから、二、三日後には入荷すると思いますよ」

「そうですか、・・どうしようかな」

 思わず幸助からぽろっと本音が出て邦子は気になった。

「何かお困りですか」

「あつ、ごめんなさい。今日、丁度法事の前の買い出しで、すぐ用意したかったんですよ。ほら、マッチだと怖いじゃないですか、沢山の線香に火をつけるのに」

「ライターじゃ駄目なんですか」

「あっ、ライターね。駄目じゃないね。駄目じゃないけど、俺使い慣れていないんだよね」

 邦子はこの人は煙草を普段吸わない人なんだなとふと思った。

「そんなに難しくないですよ。ほら、このライターだったら、この分かれているところを押せば、ほらっ、火が簡単に点くでしょ」

 手に取ったライターを邦子は持って、親指で着火部分を押すとぼうっと火が点いた。

「へえ、これなら俺でもできるかな、ありがとう。川田さんっていうんですね。お店のなかで火を点けて大丈夫だったんですか」

 勝手に火がつかないように、ライターにはロックが付いていたが、邦子はそれを外してしまったのだった。

「あっ、でも説明のためですし。私はたまにライター使うからもし、商品として駄目でも自分で買いますよ」

「いやいや、そりゃよくないよ。わかりました、これ下さい。他のレジ員に渡すとおかしくなりそうですから、川田さんにレジお願いしますよ」

「あっ、なにか気を使わせてしまいましたね、すみません」

 二人してレジに向かった。邦子が金額を伝えると、幸助は財布を取り出したが、その財布の紙幣が入っているところに邦子は目についた。彼が千円札を取り出すと、そこに邦子のよく行く飲食店の名刺が入っていた。

「あの、すみません、見えちゃいましたが、そこのイタリア料理屋さん私もよく行きますよ」

「えっ、あ、うわお恥ずかしい。まだ閉まっていなかったか、ここのリゾットが好きなんです」

「あのチーズがかかったリゾットですか、わかりますよ!美味しいですよね」

こう共感されると、幸助は誘わざるをえないなと感じた。今までそんな共通点を誰かと共有したこともなかったから猶更だ。

「川田さん、このお店は毎日いるんですか」

 御釣りをもらいながら、彼は尋ねた。

「学校が遅い時はいないかもしれませんが、土日ならいますよ」

「そうですか、ここでいうのもなにか変なんですけど、また話しさせてください。貴方ともっと話してみたい、じゃあ」

 邦子もまたそんな言葉を久しく言われていなかった。だから嬉しくなった。それから幸助は土曜か日曜には買い物に行って、彼女と少し話をしていた。話していくうちにお互いに惹かれ合っていたのだ。お互いに好きな人と出会えることは素敵なことだろうが、出会うまでの頃が辛い時期だったのなら、尚更だろう。幸せを感じた時間は確かに経過した。でも、数ヵ月だった。

 ばたんとドアは閉まった。幸助はまだしばらく寝ていた。ようやく起きた頃には彼はまた二人でいられるには一月先だと感じた。台所に向かうと、彼女が用意してくれた朝ごはんの上にラップが掛かっていた。幸助はラップを剥がして、味噌汁をそのまま啜った。ぬるくはなっていた。

 テレビは点けないで、静かにご飯を一人食べていた。玉子焼きを箸でつつくと、柔らかくほぐれ、口に入れた。美味しくて、ご飯をまた掻きこんだ。

「ごちそうさま」

 支度をして、メモを食卓のテーブルに書き残した。

『玉子焼き、美味しかったよ。ありがとう、行ってくるね』


 ばたんとドアは閉まった。彼は新幹線に乗った。

 二人は出会って数か月後、幸助の職場で人事異動が出て、幸助が対象になった。彼は東京から仙台に移ることになった。それを告げた時、まだ二人は付き合いを伝える告白はしていなかった。タイミングが早すぎるのか、それとも決断をさせるために状況が変わらせようとするのか。

「邦子さん、俺は貴方と一緒にいたいなって思ったんです。でも、あなたが中々会えないのを嫌だというのなら、俺は自分の身に降りかかったことを断るわけにはいかないから、あなたとのことも諦めますよ」

「幸助さん、私もあなたと一緒に過ごしたい。辛い日々になるかもしれないけれど、あなたに逢えたことが嬉しいの。だから、がんばってきて。待っているから」

 この時、思わず彼は邦子の思いに感激して泣いたことを新幹線のなかで一人思い浮かべていた。幸助はできることなら、自分で彼女を幸せにできればと思った。けれど、互いの生活には色々な人が関係していくのも事実であり、会えない時にお互いにどんな振舞をしているのか、互いに嘘をついていないか、なんの保証はなかった。だから不安にはなる。けれど自分の気持がぶれないのならと柔らかな期待が残っていた。




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