第九十七章 謹慎解除
「それで……私たちは、一体、何のために呼ばれたんですの?」
長かった緑の髪を、バッサリと短く切ったサフィニアが、いぶかしげに口を開く。
隣に並ぶ、白髪のもう一人の皇女──光の帝国大使、ラキアも「そーだそーだ」と続いた。
「父帝からの国書と公式的な見解は、しっかり貴殿に伝えた通り。我らもすぐに荷物をまとめ、本国へ帰国せねばならないのだが……」
ラキアの一言で、状況を察した一同が、ざわめいた。
「静まれ。……あと、その方らも、一度に言うな」
順番だ順番──と、皇帝は眉間に皺を寄せながら口を開いた。
「まずはラン……ではないな。サフィニア=ビリジャンから。先日も沙汰を下した通り、騎士の位は剥奪。その撤回はしない。が、謹慎についてはそれを解き、新宰相ソル=プラーナの補佐官に任ずる」
……貴様も一応、長きにわたり、元素騎士として、我が国のアレコレに関わってきたんだ。と、ユーディンは口の端をニヤリと歪める。
「文官の真似事くらいはできるだろう?」
「僭越ながら。陛下! この者は、新宰相以上に、大罪人ではありませんか!」
先ほど以上に怒気を強め、オーランジェが叫ぶように口を開く。
ユーディンは一瞬、チラリとギードに視線を向けた。
微かに、ギードはうなずき返す。
「ルーブル公。……先のメタリアでの戦いにて戦死した五等騎士・ルーブルは、そなたの娘であったな……」
「ええ。私の末娘、カルタは、緑宮軍バテンカイトス隊所属。メタリア城にて、裏切ったその女に殺されました」
オーランジェの赤い瞳に貫かれ、サフィニアが思わず、顔を伏せ、視線をそらせた。
ユーディンはサフィニアを一瞥しつつ、オーランジェに向かい合った。
「貴公の怒りはもっともだ。が、先ほども言った通り、プラーナの一族郎党を全て牢にぶち込んだからな。あきが無いのだ」
「そんなの……」
詭弁だ! と、怒鳴る彼女に、「まぁまぁ……」と、カールが割って入った。
「ルーブル公も少し落ち着いて頭を冷やせ。感情むき出しの貴公のその様子だと、単なる『私情』ととられても、致し方ないぞ」
「くッ……」
年若いカールに正論を言われ、オーランジェは悔しそうに唇を噛む。
「陛下。こうは言いましたが、どうか真意をお聞かせ願いたい。ソル=プラーナの宰相就任といい、一体、何のつもりでこんな人選を?」
「真意……か……」
ユーディンは一同に背を向け、部屋の大きな窓に目を向ける。
その向こうは、太陽や星の無い──光の神が見放した、夜のように真っ暗な空が広がっていた。
「二等騎士……いや、チェーザレ=オブシディアン亡き今、ソル=プラーナおよび、サフィニア=ビリジャンの二人は、余が、この者たちがどういう人間であるか理解し、信頼に足る、数少ない者たちだからだ」
「陛下に反乱を起こした張本人が、信頼に足ると?」
忌々しそうに、オーランジェがサフィニアを睨んだ。
「少なくともルーブル公。貴公よりは、サフィニアの方が、余は人間として知っている。おっとりしたようで、やや苛烈な性格。食べれないことは無いが、甘いモノは好まず、酸味のある果物が好きであったり、大人しく家にいるよりは、体を動かすことが好きであったり。あと、勤勉そうに見えて、実は座学が苦手。そのくせへそ曲がりで負けず嫌いで、一夜漬けで予習したりといった努力家なことも……な」
「へ、陛下……ごめんなさい。それ以上はちょっと……その……おやめくださいませ……」
まさかの暴露に、思わずサフィニアが赤面してうつむく。
しかし無視して、ユーディンは続けた。
「裏切りについても、援軍に向かわせた後で国が滅び、家族を人質にとられたのだ。裏切った事実は事実だが、今となっては、タイミングが悪かったとも、言えなくはない」
サフィニアも、故国が滅び、元素騎士の資格を失い、メタリア自体が我が国に属した今となっては、敵国へ再度寝返る手段は無いだろう。と、ユーディンは再度、向き直る。
「今も他のメタリア皇家の人間は、アレイオラに居るのでしょう? 内側から混乱を起こす……とも考えられますが」
カールの言葉に、ユーディンは肩をすくめた。
「唆す臣のいない状況で、一人でできるモノか。それに、そんなことをしたら、今度こそ、目の前でソルを処刑するまで」
びくり……と、サフィニアの肩が震える。
「い……いや……」
先ほどは、我慢できたようだったのだが──目を見開き、そのままガクガクと震えて、サフィニアは立てなくなった。
慌てたソルが、彼女を支えて、耳元で囁く。
「大丈夫だ、サフィニア。これは、例えばの話だから」
目の前で──腕の中で大量の血を吐き、死にかけた夫の顔が心的外傷となって、以降、彼女の心を蝕んでいた。
オレは、ちゃんと此処にいる。と、ソルは何度も、サフィニアに言い聞かせる。
嗚咽を漏らす彼女を一瞥し、「こんな様子では、反乱なぞ無理だろう?」とでも言いたげにユーディンは鼻で笑った。
「もっとも、窮鼠猫を嚙む。ソルはともかく、サフィニアは追い詰められたら何をしでかすかわからないからな。とりあえずソルの身の保証をたてた上で、二人まとめて、一緒においておけば、問題は無い。むしろ、ソル自身が目を光らせておいた方が、有益となるだろう」
決して、手を出すなと、暗に一同に、ユーディンは釘を刺した。
「して、本題だ。待たせたな。姫」
姫呼びに、ラキアはムッと眉間に皺を寄せた。
「余は、お前たちに国を任せ、しばらく帝都を留守にしようと思う。……暴走した、光の精霊機を鎮めるために」
またいきなり、この皇帝は何を言ってるのか──唖然と口を開く一同を無視し、ユーディンは一人で話を進める。
「その為、協力願う。光の国の、姫君よ」
◆◇◆
光の神は、ゆっくりと目を開く。
水に体を浸して、浅瀬に横たわっていた体を、重力に抗うよう、ゆっくりと起こした。
「エロハ様?」
「………………」
ユディトはエロハに近づき、躊躇うことなく水に足をつけ、様子のおかしい主の体に、そっと触れた。
長く淡い金の髪が──そして、白銀の鱗が、薄汚れたように、黒ずんでいる。
「エロハ様!」
しっかりなさってください! と肩をゆする小さな手を振り払うよう、光の神はアウインを突き飛ばした。
「………………」
焦点の定まらない金の目が、周囲を見回す。
一周するような首の傷からは、相も変わらず血が筋のように流れていたが、その量は、体中の黒ずみが広がるたびに、だんだんと増してゆく。
ぷはぁと、水から顔をあげたユディトは、鼎の中で眠る、もう一人の主に向かって叫んだ。
「エロヒム・ツァバオト様! 起きてください! 非常事態です!」
巨大な繭の糸がプチプチと切れて、中から光の巨人が、手を伸ばす。
しかし。
『 』
言葉の無い、光の神の叫び声。
正確に、その音を拾える者など、居なかっただろう。
直後、力が抜け、崩れるように、光の神が倒れた。
「ちょ……何? 大丈夫!」
慌てて飛び起きたエロヒム・ツァバオトがその場に駆けつけた時には、既に何事も無かったかのように、光の神は、小さく寝息を立てていた。




