第八十九章 兄妹
「サフィ……リン?」
カイの言葉に、エロヒム・ツァバオトは、訝し気にじっとりと睨みあげる。
「ちょっと……なんで、アンタがこの躰の主の名前を、知ってるのよ」
「いや、だって……ホラ……」
カイは自分の顔を指さす。
髪がいつもの長さではないから、わかりにくいか……と思ったが、間もなく「あーッ!」と、エロヒム・ツァバオトの甲高い声が九天内に響き渡った。
「ちょっと! 待って! なんでアンタがモルガ兄ちゃんの躰に……えーッ!」
信じられないッ! と驚き、戸惑いの声をあげていたエロヒム・ツァバオト。
しかし……。
「ちょっと……アンタまさか、モルガ兄ちゃんを取り込んで殺したんじゃ……」
「え……」
そうよ……きっとそうだわ……。わなわなと震えだしたエロヒム・ツァバオトに、ぎょっとカイが、目を見開く。
この際、カイ自身に自覚は無かったのだが、思わず彼の目の色が赤から紫に変わったことが、エロヒム・ツァバオトの癇に障った。
「ちょ、違……もしもーし」
慌てるカイをよそに、エロヒム・ツァバオトの四肢の黒ずみが、体中に広がる。
「モルガ兄ちゃんを返せッ!」
「聞けよ話ッ!」
エロヒム・ツァバオトは、カッと見開いた燃える炎の色の瞳を爛々と輝かせ、背の三対の翼は、羽が抜けて、黒い皮膜の翼へと変わった。
『危険。限界です。一度離れます』
ガクンッ! と振動が響き、ヘルメガータの九天へ強制的に戻されたカイは、大きくため息を吐きながら、ルツに礼を言う。
「サンキュー。ルツ」
『相手の攻撃、すぐに来ます』
塩対応でスルーする封印者に、「もうちょっと打ち解けてくれてもいいんじゃないかなー」と再度ため息を吐きながら、カイは身を構えた。
間もなくデウスヘーラーがヘルメガータを振りほどき、間合いを開く。
黒く染まった光の精霊機の背中の砲門が、ヘルメガータに照準を合わせた。
「のわぁッ!」
連射された攻撃を数発避けきれず、振動がヘルメガータの九天を襲う。
「おい! カイッ! 無事か!」
通信と同時、白い精霊機が不意に現れた。
慌てて馳せ参じた風の神が、ぜーはーと荒い息を整える間もなく、黒いデウスヘーラーに細身の剣を振りかぶる。
「あーもう、ややこしい時に……」
「なんじゃその言い草はッ! 陛下がどこにおるかわからんけぇ、ワシ単独で助太刀に来ちゃったのに」
ムッと口を尖らせるアックスは、ばさりと三十六対の翼を羽ばたかせながら、ガンガンと、まるで打撃武器のように何度も剣を振り下ろした。
相手が精霊機故か、はたまた操者の技量の違い故か、ユーディンのように、一刀両断──とはいかない。
「あぁ、おい……」
例によってのアレスフィードの装甲の薄さと、それを踏まえつつも接敵しながらデウスヘーラーに向かって容赦ない剣戟をぶちかますアックス。
それを受け止めるデウスヘーラーに乗ってる相手がサフィリンであることと、彼女もまた本気でアレスを打ち落とそうと総攻撃を仕掛け──。
なんだ。この、不安と心配に押しつぶされそうな胸の痛みは。
初めて感じる言いようの無い感覚に、カイは目を白黒させる。
息苦しく、胸のあたりが、バクバクと煩い。
(ダメだ……止めなきゃ……)
しかし、そう思う反面、意識は薄れ、そして、カイは九天の冷たい床に倒れた。
◆◇◆
一人、自らの神殿に戻ったダァトは、神殿の奥に安置された、生命の木を見上げる。
ここから、精霊機に宿る神々は生まれた。
生命の木に宿った実は、全部で十。
一番目の白の実から、風の神が。
三番目の黒の実から、闇の神が。
四番目の青の実から、水の神が。
五番目の赤の実から、火の神が。
六番目の黄の実から、光の神が。
七番目の緑の実から、緑の神が。
九番目の紫の実から、地の神が生まれた。
しかし。
二番目と、八番目、十番目の実に光が宿ることは無く、今に至る。
そのはずであったのだが……。
(八番目が、六番目に寄生することで、既に誕生していたとは……)
まさか、残り二つも……そう思ったところで、ダァトは頭を振った。
そう、いくら何でも、考えすぎだ。
だが……。
(………………)
ダァトは、ふと目に入った光宿らぬ虹色の実から、しばらくの間、視線をそらすことができなかった。
◆◇◆
ぞくり……思わず身震いをし、アックスは動きを止めた。
振り返ると、目の前のデウスヘーラー同様、黒く染まりつつヘルメガータが、空中に浮かんでいる。
「に……兄ちゃん?」
アックスは慌てて通信を開く。
言葉にできない禍々しい気配に、思わずデウスヘーラーも動きを止めた。
服を破るほど姿は変わらなかったが、皮膚にうっすら浮かぶ虹色の硬質な鱗に、頭から伸びる、王冠のような複数の角。
肩までのざんばらな髪は、水銀のような艶のある、濃い銀色で──。
『……ルツ、眼球展開』
『はい! 主様』
抑揚の無い、兄の声に、先ほどとは打って変わった、嬉しそうなルツの声が重なる。
肩の格納スペースから、人間の赤子の拳大の丸い眼球が、周囲にバラバラと散らばった。
それは無秩序に動きつつ、アレスフィードとデウスヘーラーの周囲を囲む。
「ちょ、兄ちゃん、たんま!」
アックスの言葉を無視し、眼球が容赦なくレーザーを発射した。二機は避けながら、次第に間合いを開けてゆく。
その動きは的確で確実に、デウスヘーラーとアレスフィードを引きはがした。
『そう。それでいい。……いい子だね。二人とも』
微かに、赤い両目を細める兄。
しかし。
「ッ! コイツ……」
デウスヘーラーが、眼球ごとヘルメガータを狙い、何発も連続で打ち込んだ。
「兄ちゃんッ!」
『悪い子には、お仕置きが必要……』
ブツブツつぶやきながら、ヘルメガータは空に手を伸ばす。
遠く離れた地表から砂埃が巻きあがり、その手にはアレスフィードの剣より太く大きな剣が握られていた。
まるでそれは、創造主と対峙した際に兄が握っていた、あの時の剣を、そのまま大きくしたような──。
デウスヘーラーの攻撃を避けることなく、足や肩に受けながらも、ヘルメガータはそのままデウスヘーラーに突っ込む。
『これ、邪魔』
アレスフィードでは歯が立たなかったデウスヘーラーの背中の砲門の一本を、ヘルメガータが掴みつぶした。
体制を立て直そうと、デウスヘーラーが機体をひねらせたところで、モルガは剣を振りかぶり、そして──。
『これで、よし……』
うぇぇ……と、思わずアックスの口から、悲鳴のような、そうでもないような、よくわからない声が漏れる。
ヘルメガータは、接続している根元に狙いを定め、丸ごと力まかせに、砲門を斬り落とした。
そして、そのまま背中のスッキリしたデウスヘーラーを、抱えるように膝に載せると、お尻の部分を、おもいっきり叩いた。
何度も何度も叩いているうちに、黒かったデウスヘーラーが、徐々に金色に戻ってゆく。
そして──。
「うわぁぁぁん!」
聞き覚えのある泣き声に、アックスは耳を疑った。
「まさか……そこに乗っとるの、サフィリンかッ!」
「お兄ちゃんたちのばかぁぁぁぁぁぁ!」
パァンッ! パァンッ! と、まさしく、悪いことをした子どものお尻を叩くように、ヘルメガータはデウスヘーラーを叩く。
対して、全く反省してないらしいエロヒム・ツァバオトが、泣き叫びながら何度も何度も悪態をついては、繰り返しモルガに叩かれた。
「これ、ホント、一体どういう状況なの……」
『さ……さぁ……』
アックスは思わずエノクと顔を見合わせて、しばらく二機を眺めていた。




