第八十八章 神託
泣き疲れて──いつの間にか眠ってしまったルクレツィアを起こさないよう、カイはそっと彼女を抱え、部屋に運んだ。
もちろん、人に見られて余計な混乱を起こさないよう、姿を隠しつつ、三対の翼をはばたかせて。
幸いなことに、執務室のある区域は、留守中──また、混乱の中、特に荒らされた形跡も無く、彼女の部屋は、綺麗に整えられていた。
もっとも、メタリア遠征から帰還して、掃除などする暇など無かった故に、少々寝台の上が埃っぽいのは勘弁願おう、と、以前、ルクレツィアに埃まみれの寝台に投げ飛ばされたカイは、あの時の事を一人思いだし、苦笑を浮かべた。
「おやすみ。ルツィ……」
彼女の髪を撫で、そっと部屋から出る。
そして隣のモルガの部屋へ行き、鱗と羽をバラバラとまき散らしながら、人間の姿をとった。
クローゼットから予備の制服を引っ張り出して着替えていると、外から微かに誰かの話声が聞こえ、カイは静かに耳を澄ます。
「──聞いたか? 神託の話」
「あぁ、なんでも、デウスヘーラーに宿る光の神が、七人の生贄を求めているとか……」
陛下は、どうされるおつもりなのだろう──と言いながら、遠のく声を聞きながら、カイは眉間にしわを寄せた。
生贄──人間が神に祈る際、そのような信仰の仕方が古来からあることは事実であるし、あくまでも信仰の受け手であるカイが、方法に、拒否や否定をするつもりはない。
なにより神の負の側面は、そのテの信仰の力が、大好物であった筈だ。
しかし──。
カイは意を決し、机の上の鋏に手を伸ばした。
長く伸びた髪を元の長さに切ろうと思うと、一人ではどうしようもないので、とりあえず、肩のあたりで適当に鋏を入れ、切り落とす。
もちろん綺麗にそろっておらず、ざんばらで、後でアックスあたりに見つかると文句を言われるだろうが、今は許してもらおう。
上着に腕を通すと、カイは鏡を見る。
癖のある茶色の髪に、赤い瞳の青年が、ジッと見返してきた。
パンッと両頬を叩いて気合を入れると、扉を開け、先ほどまで居た神殿へ、両足を使ってカイは駆けた。
◆◇◆
暗闇の中、明るく燃え盛る街。
その遥か上空に、金色の機体がジッと、燃える街を見つめるように制止していた。
劫火に照らされたその機体は、光の堕ちた世界で、なお、明るく輝く。
「随分と、派手にやったようじゃのぉ!」
突然、無理矢理ねじり込んできた通信と同時、金色の機体の目の前に、巨大な影が不意に現れ、デウスヘーラーを鷲掴んだ。
そのまま何かが金色の機体にいくつもぶつかり、そして炸裂する。
「くぅッ……」
不意打ち故に尻餅をついた相手を、カイはまじまじと観察した。
意外なことに、反転どころか、黒ずんでいる様子も無い。
自分と同じ、体をびっしりと包む鱗に、三対の巨大な翼。
ただし、その色は自分とは真逆で、鱗は白銀、髪と翼は金色に、淡く、柔らかく輝いていた。
そして、衝撃に歪む、その顔は、間違いなく──。
(チェーザレ=オブシディアン……)
カイはルツに叫んだ。
「同期開始。座標固定! ルツ! ワシをあそこに送り込め!」
「……了解」
隙なぞ与えんッ! とばかりに、カイはヘルメガータの九天と、デウスヘーラーの九天の座標を重ね、固定した。
しかし。
「ぐッ……」
「阿呆か。貴様は。地属性のクセに、わざわざ光属性で満ちた領域へ踏み込むなどと……」
呆れたようにため息を吐きながら、チェーザレの顔をした男が睨んだ。
「フンッ……舐めるなッ!」
と言いつつも、誰がどう見てもやせ我慢にしか見えない。
言ったそばからカイの呼吸が、ぜーはーと、既に荒くなっている。
「貴様の無謀さに免じて、何がしたいのか……いや、どういうつもりかだけ、聞いてやろう」
面白そうに、男はニヤリと笑う。
カイはムッと眉間にしわを寄せ、怒鳴った。
「どういうつもりか……は、こっちの台詞じゃしッ! そもそも、お前、誰じゃ!」
そう、対面して、確信した。
生贄の話を聞いたとき、カイは最初、らしくないと思った。
光の神はそもそも穏和な性格で、自ら生贄を求めるような性質ではない。
チェーザレの肉体を得た段階で、彼の毒ある性質を取り込んだのではないかとも考えたのだが、チェーザレ自身も毒があるのは対面的というか表層的な部分だけで、その本質は高潔なる騎士そのものだ。
エロハとチェーザレが綺麗に混ざって融合したとしても、また、どちらかが、残りのどちらか一方を取り込んだとしても、両者の性格的に、生贄という要求は、まず出てこないだろう。
そもそも、守るべき民が滅亡した自分とは違い、光の砂漠の帝国が存続している現状、ほったらかしても祈りの力は得られて枯渇する心配もないので、生贄を求めて無理に人々の信仰心を集める必要も無い。
そして、七人という、これまたどこから出てきたかわからない数字。
精霊機の数とも取れるが、敵国の水の精霊機の数もわざわざ入れる意味が解らないし、カイから見れば、どちらかというと──。
「まるで、処刑された七人の、復讐の、ような──」
それも、チェーザレを含めた、復讐──。
「……知ったような事を」
怒りに顔を歪めた男が、翼を羽ばたかせた。
その様子から、図星であることが察せられる。
風に吹き飛ばされて九天の壁に背中を打ち付け、カイは顔を歪めた。
「えぇ、そう。そうよ。私は、エロハじゃない」
甲高い、癇癪のような少女の声。
チェーザレの姿がぼんやりと歪み、縮み、そして……。
「私はエロヒム・ツァバオト。不完全に生まれ、消えゆくハズだったまがい物の神……」
ギラギラと輝く、オレンジの瞳。
それはまるで、外の燃え盛る、炎のような色。
小さな少女の姿をとった神は、徐々にその四肢を黒く染めながら、カイに向かって手を伸ばした。
「そうよ。反転してるのはエロハじゃないの。優しい彼は、邪神……貪欲の、影響を受けているだけ……」
「ぐぅッ……」
か細く小さな手が、信じられないほど強く、カイの首を絞めてくる。
「ねぇ、地の神。私もね、一応神様だから、創造主の最後の審判の約束に縛られて、貴方を殺せないの」
残念ながら……ね。クスクスと笑いながら、少女はその両手を離して、カイを解放した。
「だからね。お兄ちゃんを殺したヤツを殺すまでは、貴方には自発的に、黙って静かにしててほしいの。もっとも、暴れるなら徹底的に痛めつけるまでだけれど」
ふと、彼女の声に、カイはピクリと反応する。
思わず顔をあげ、そして、じっと彼女を見つめた。
「お前、もしかして……」
彼女の面差しが、モルガの記憶の中にある、ある少女と一致する。
思わずカイは、少女を、別の名前で呼んだ。
「サフィ……リン?」




