第八十六章 蜥蜴の尻尾
「ほう……首謀者が、余に会いたいと……」
ようやく現れたか──と、朱の目を細め、ユーディンは大きくため息を吐く。
首謀者──それは、宰相ベルゲル=プラーナに他ならない。
しかし、謁見の間にて、ユーディンの前に通された二人の男のその顔に見覚えはなく、あからさまに皇帝は顔をしかめた。
「誰だ?」とユーディンが問う前に、年の多い──老齢に差し掛かったくらいの年齢の男が、膝をつきながら、口を開く。
「宰相、ベルゲル=プラーナの従弟にあたります、スルーズ=プラーナと、その息子、アウルにございます」
「班長殿……ソル=プラーナと三等騎士・プラーナ兄妹の父親と、一番上の兄貴ですよ」
男たちに聞こえないよう、そっとギードがユーディンに耳打ちした。
案の定、「貴族たちの顔なぞ憶える価値も無し」とばかりに、ユーディンは彼らの事を把握してなかったらしく、なるほど……と素直な表情を見せる皇帝に、思わずギードは渋い顔を向ける。
性格は苛烈極まりないのに、妙なトコだけ、ホント、素直で正直……。
「一応陛下、三等騎士・プラーナと婚約したんでしょ? 義理の父親と兄貴の顔ぐらい憶えて……痛ッ!」
余計な一言のせいで顔面にユーディンの裏拳が炸裂し、ギードは顔を押さえてうずくまった。
スルーズとアウルも、「なんで貴様が此処にいる」とばかりに、放逐された元・同派閥のギードに、冷たい視線を向けた。
ゴホンッと咳ばらいをし、ユーディンは二人に問う。
「反乱の首謀者がやってくる──と余は聞いていたのだが。宰相ではなく、貴様たちが現れたという事は、宰相は無関係……と、そう言いたいのか?」
冷たいユーディンの声に、「否」と、はっきりとスルーズは否定する。
「今回の騒動の首謀者は、我が従兄、ベルゲルに間違いございません」
「ならば、何故この場に……」
イライラと声を荒げるユーディンを止めるよう、スッと一歩、アウルが無言で前へ出た。
彼の両手には、大きな布包みが抱えられている。
アウルの代わりに、包みを解きながらスルーズが淡々と口を開く。
「我が従兄殿は、こちらに……」
恭しくユーディンに差し出されたのは、怒りで表情を歪ませたま硬直した、ベルゲル=プラーナの首であった。
◆◇◆
「うーん……うるさぃ……」
周囲の騒々しさから眉間にしわを寄せつつ、ラキアは寝返りをうった。
「まったく、肝が据わっているというか、なんというか……非常事態に、よく大きないびきをかいて寝れるな……」
「んなッ!」
間近から聞こえた、覚えのない男の声に、ラキアは慌てて飛び起きる。
その拍子に、思わず目の前にあった、男の頭に額を勢いよくぶつけてしまった。
衝撃に、頭を抱えてうずくまる男の朱に近い赤の髪が、明かりに照らされ、さらに黄色がかって見える。
「アレ……? 貴公は確か……そうだ、アルファージア公?」
「………………」
じっとりと赤い瞳に睨まれ、ラキアも思わず、金の目を細めた。
はて。どうして自分は、この男の前で、失態──げふん、無防備に寝ていたのだろうか……?
「私は確か、陛下を殴……じゃない、本国からの通達を伝えに、陛下の私室へ行ったハズでは……」
「貴様、陛下の寝所に殴りこんだのか」
驚きを通り越し、唖然と口を開くカールに、ラキアはハタと気がつき、慌てて首を横に振った。
「ち、違う! はしたない真似はしていないぞ! 私は単に、本国からの通達を伝えただけだ! その、ちょっとだけ、物理的に!」
アリアートナディアル大使の打撃系じゃじゃ馬皇女の話は、カールも耳にしていたので、そこまで驚きはしなかったのだが──陛下の女性恐怖症が、悪化していないことを、切に祈る。
「その様子じゃ、何があったか、貴殿も覚えがないのだろうな」
「……?」
無言で首をかしげるラキアを見て、カールはため息を吐いた。
自分も、三等騎士・オブシディアンと、義妹の弟と、突然現れたよく解らないモノと一緒に、陛下の私室の前まで行った記憶はある。
しかし、そこで意識は途切れ、気がついたときには、この医務室の寝台の上だった。
何か──場合によっては陛下の身にも、何かあったのは間違いないだろう。
「それにしても、騒々しい医務室だな。此処は」
「詳しくは解らないが、錯乱している者がいるようだ」
隠すことなく──というか、隠すつもりも無いらしい、イライラと気が立っている感情的なラキアに、カールは再度、ため息を吐いた。
◆◇◆
「よく、我慢しましたね……陛下」
ギードは静かに、口を開いた。
見開き、血走った目で、誰もいなくなった謁見の間の──先ほどまでスルーズとアウルが立っていた場所を、睨み続けるユーディン。
彼の手は、いまだに仕込杖にかけられたままで、深く息を吸って、吐く──これを何度も、繰り返していた。
「隊長殿も、きっと褒めて……」
「黙れッ! チェーザレは関係ないッ!」
ユーディンは杖の剣を抜き、空を斬った。
「黙れッ! 黙れ黙れ黙れッ!」
型など無い、振り回すだけの、デタラメの剣。
雑念を払うよう、ユーディンは刃を振り回し続けた。
ギードは目を細め、そして小さく息を吐く。
そう、ユーディンはよく我慢した。褒めてもいいと、ギードは思った。
スルーズとアウルは、首謀者である宰相ベルゲルの首を手土産に、ベルゲルの息子、ヴェーリルを含む、一族の保身をユーディンに提案したのだ。
全ては、耄碌した宰相の、独断による暴走──。
自分たちはそんな彼を、ユーディンの為に、とめたのだ。と、スルーズはいけしゃあしゃあと宣った。
「あああぁぁああぁぁぁぁぁあああああぁぁあああ」
先ほどのもう一人と同じよう、ユーディンの声は、いつの間にか、慟哭に変わる。
相変わらず、デタラメに剣を振り回しながら、彼は叫ぶ。
蜥蜴の尻尾切り──ベルゲルの死に顔は、身内にさえ裏切られた恨みで染まっていた。
修羅の性格上、即刻その場で二人を斬り捨てるのではないかとギードは覚悟したが、皇帝は意外にも、一旦、この件を保留とする。
宰相の首を預かり、今回の件に関与した、プラーナ一派全員を城の地下牢で監視付きで軟禁する事を条件に、二人を五体満足な姿で返した。
以前の彼なら、こんなことは出来なかっただろう。
──なんだかんだで、舌先三寸口八丁で丸め込む、黒髪の元素騎士隊長の、毒ある助言が無い限りは。
(アンタ無しでも、案外陛下は、やっていけるかもしれねぇな……隊長さんよ……)
もっとも。
(厄介な案件は、全然片付いてないけどよ……)
暗闇に染まり、太陽の登らない空を窓越しに見上げ、ギードは首を横に振った。




