第七十六章 六人の怨霊
酷い顔だ、と自分でも思う。
ルクレツィアは、泣き腫らした顔でムニンの横たわる棺に寄り掛かり、ぼんやりと考える。
ユーディンたちが帰城し城を制圧、皇帝派に回収されるまで、何日も炎天下に晒されていた父や大叔父たちの遺体の損傷は、顔をそむけたくなるほど酷かったが、それでも、側を離れたくはなかった。
神殿の一室に与えられた部屋に並ぶ、七つの棺。
しかし、うち一つはからっぽだ。
「兄上……」
カタンッと、突然、背後から音がした。
入り口のドアがゆっくりと開き、腫れぼったいルクレツィアの視界に、ふらふらとした人影が映る。
「モルガ……」
「る……つぃ……?」
様子がおかしい。ルクレツィアは立ち上がり、モルガに駆け寄った。
「どうした? モルガ……」
「よばれた……こえが、きこえた」
ぼんやりと、赤く輝く瞳に、室内で風も無いのに、ざわざわとうごめく髪の毛。
なにより、入ってきたのはモルガ一人なのに、何故か、複数の、視線を感じ、ゾッと背筋が凍った。
「ねえ。おしえて。のぞみは、なぁに」
モルガの問いに、棺の一つが、ガタリと揺れる。
ルクレツィアが驚く間もなく、ガタリ、ガタリと別の棺も揺れ出して、チェーザレの空の棺以外の六つ全てが、ガタガタと音をたてはじめた。
薄暗い部屋の中、爛々と輝く赤い瞳のモルガを抱きしめ、ルクレツィアは声を張り上げた。
「わ、私が!」
ガタガタと揺れる棺を見据え、ルクレツィアは声を震わせ叫ぶ。
「私が! あ、兄上を、おぉぉお止めしますッ! さ、宰相も捕らえて、糾弾し、父上やおじ上方の恨みも、晴らしてさしあげます!」
だから──。
「どど……どうかッ! 鎮まりください! 父上ッ!」
声がひっくりかえり、悲鳴のような声で叫ぶルクレツィア。
棺の蓋がずれ、白い骨が、ところどころむき出しに露出したムニンの腕が、棺からのぞいたところで、ぴたりと止まった。
思わず、ルクレツィアの腰が抜け、モルガにすがりついたまま、ぺったりと座り込む。
「……みんなが、いいなら、それでいい」
そう言いつつも、モルガは不本意そうに、口を尖らせた。
モルガはルクレツィアと同じよう、床に座り込んで、そのまま彼女に寄りかかる。
「えっと、つかれたから。るつぃと、いっしょに、ねるの」
目を瞑った瞬間に、寝息をたてはじめるモルガを支えながら、しばし呆然と、ルクレツィアはその場で固まっていた。
◆◇◆
『おー、そりゃー嬢ちゃん、災難じゃったのぉ』
寝ぼけまなこのモルガを、執務室の埃だらけの例のベッドに押し込み、ルクレツィアは地下神殿へ向かった。
自動的に修繕される精霊機の下、ケラケラと笑うジンカイトに、ルクレツィアはため息一つ。
「笑い事ではありません……」
あれは一体、なんだったのか──頭を抱えるルクレツィアに、ジンカイトは苦笑を浮かべながら口を開いた。
『嬢ちゃんにヒントその一。死者の国は、一体どこにある?』
「そりゃー、地の底……あ……」
そういうことじゃ。と、ジンカイトはニヤニヤ笑う。
『もちろん、人によっては「死者の国は天にある」という人もおるし、「燃える炎の向こう側」……という人もおるんで、一概にはいえんけどのー。ワシもそこを悪用……もとい、利用して、現世におるワケで』
よくよく考えれば、ここにいるジンカイトも、元は死者の魂であり、元々ミカたち精霊機の精霊たちも、太古に生きた人間だ。
『今のモルガにとっては、アレは、朝飯前じゃのー……まぁ、もっとも……』
急に神妙な顔つきで、ジンカイトは声を潜めた。
『今のモルガは、自我と神性にムラがあり過ぎる上に、モルガにとっての主観的な判断が、ほとんどできとらん。身体的な再生は完治しとるし、再学習もできつつあるが、基本的に他者から求められれば、なんでも応える。良いことも、悪いことも』
だから──。
『嬢ちゃんが、家族亡くしたこのタイミングで言うのも、なんかアレじゃが……出来の悪い父ちゃんからのお願いじゃ。嬢ちゃんが、不詳の息子を、導いてくれ』
「……も、しかして、その……ジンカイト殿、初対面も夢の中でしたし……モルガからのプロポーズの件、知っておられますか?」
赤面するルクレツィアに、ジンカイトはハッキリとは答えず、ただただ笑って『頼んだ!』と、ルクレツィアの頭を、ポンポンと撫でた。
◆◇◆
恥ずかしさで沸騰寸前──しかし、少しは元気の出たルクレツィアを見送り、『さて……』と、ジンカイトはニヤリと笑う。
『見苦しいッスよ。オブシディアン公。そんなわけで、とっとと、今すぐ成仏してつかぁーさい』
まるで猫を追い払うかのように『しっし』と雑に手を振るジンカイトに向かって、ゆらりと周囲の空間が揺らぐ。
『二等騎士・ゴールデンベリル……何故、貴様が此処にいる……』
生前の温厚な表情を崩し、黒に近い茶の瞳に怒りを湛え、声を震わせながら現れたのは、処刑されたムニン=オブシディアン。
元が闇を奉る帝国の皇子故か、はたまた受ける加護故か、その両方か──足元からは闇が噴き出しており、周囲を闇で満たしていく。
その魂は、質だけなら間違いなく、精霊機の封印者と同列。しかし。
(うぇー……いわゆる、怨霊ってヤツか? 相当怒ってやがんな……)
噴き出すその闇は瘴気を纏い、ビリビリと空気を震わせる。
モルガの眷族となっていなければ、ジンカイトなぞ、あっという間に、彼の闇に呑み込まれてしまっただろう。
まぁ、誰がどう見ても無実なうえ、本当に捕まったとたん、あっという間にその場で殺されたそうなので、そりゃー祟りたくもなるだろうし、化けてでてくる気持ちも、理解はできなくは無いが。
ムニンの後ろには、一緒に処刑された五人の姿が揺らめく。その姿は、ムニンと似たり寄ったりで、どう見ても、悪霊と、言った様相で。
もっとも、ジンカイトのように神のバックアップが無いので、安定して存在できるわけではないようで、ゆらゆら、消えたり現れたりしていた。
『やーれやれ。まさかこんな形で、顔合わせることになるたぁのぉ……』
ムニンを無視し、彼の隣に立つ大柄な老人と、細面の男に、ジンカイトは肩をすくめた。
『それはこちらの台詞だ』
『数日前、チェーザレから、「エリスの子を見つけた」という連絡を受けた時も、驚きましたが……いやはやまさか……』
ムニンの叔母……トレドット最後の皇帝レイヴンの妹の夫である、ブラウン=シャーマナイトと、その息子パロマー。
何を隠そう、ジンカイトの妻エリスの、実父と、実兄である。
元素騎士にまで上り詰めたとはいえ、一介の技師の息子であるジンカイトが、トレドット皇族の血を引き、当時の神女長候補筆頭だったエリスとの結婚を認めてもらえるはずもなく、手に手を取って駆け落ちして逃げて以降、ジンカイトは妻の親類に一度も顔を合わせていない。
エリス本人は一度、双子の妹である皇后ライラが亡くなった際、帝都に足を運び、ムニンと面会をしたらしいのだが、「父と兄は会ってくれなかった」と、残念そうに肩を落としていたことを、ジンカイトは覚えている。
『まぁ、ワシは地の神の器の父親。モルガの半分はワシでできとる! なんで、特別じゃ。お前さん方の恨みつらみは嬢ちゃんに任せて、とっとと諦めて成仏しんさい』
関わりになりたくない。という態度を露骨に表し、ジンカイトは再度、ため息を吐きながら肩をすくめた。
が。
『貴様が半分なら、残り半分のその半分は儂なので、儂にも可能では? しかも貴様とは違い、加護は地属性だし』
『父上。目の付け所がさすがです』
ブラウンに、いとも簡単に論破されて、思わずジンカイトはずっこけた。
たしかに、言われてみれば、ジンカイトのガバガバ理論が通用するなら、ブラウンに関しては、なんとなくいけそうな気がする──。
『そういえば、神はもう一柱いるとのことで……風の神は天の国に通じ、なおかつ、そこの阿呆と不和とのこと。そちらに当たってみるのも』
『なーんでお前が、アックスの事を知っとるんじゃッ!』
余計な情報をもたらすムニンに、ジンカイトは怒鳴った。
『ムニンッ! いい加減にせにゃ、お前とジョアンナとの超絶恥ずかしいあの馴れ初め、嬢ちゃんにバラすぞッ!』
『はぁッ? それは今この場では関係ないでしょうがッ!』
ぎりりぐぬぬと、霊魂同士が掴み合っていた、その時──。
「よんだ?」
ばたんと勢いよく、神殿の扉が開いた。
「ちょッ……モルガッ!」
「兄ちゃん待って!」
モルガを慌てて追いかけてきたのは、先ほど出て行ったばかりのルクレツィアと、何故かオマケのアックス。
『あ……』
低レベルな醜態を晒す父親二人と、目が合った子どもたちが、しばし固まったことは、言うまでもない。




