第七十四章 二柱の光神
シャダイ・エル・カイと、まるで対を為すかのような──三対六枚の輝く金の翼と、全身を包む、艶やかな白銀の鱗。
しかし、後ろの巨大な鼎を、まるで守護する騎士のように立つ、首から上が無いその異様な姿に、ルクレツィアは息を飲んだ。
『エロヒム様。あれは、受肉した光の神でしょうか……?』
ミカも困惑し、眉を顰めている。
『そのようではある。が──』
エロヒムが、言葉を飲み込んだ。
突如その首の無い騎士は、苦しそうに悶え出す。
『なッ!』
『反転だとッ! まさかッ!』
ミカとエロヒムが悲鳴のような声を上げた。
ルクレツィアも、目を見開く。
首の無い騎士はぶるぶると震え、銀の鱗が、金の翼が、宵闇色に染まってゆく。
同時に黄金色の光の精霊機も、まるでハデスヘルのように、真っ黒に色を変えた。
『何故だ! 答えよエロハ!』
珍しいほどのエロヒムの感情的な声が、ハデスの心臓に悲痛に響く。
『喪った我らとは違い、お前の光の帝国とその民は、まだ健在ではないか!』
漆黒に染まりきりった首なしの騎士が、まるで息を整えるよう、先ほどとは違う動きで、ゆっくりと揺れる。
「エロヒム! 私をあそこへ連れていけ」
『駄目です。拒絶されて……』
エロヒムの代わりに、ミカが答えた。
デウスヘーラーがゆっくりとした動きで、銃口をハデスヘルに向けた。
また、同時に、背中の砲門も全て、こちらを向く。
『エロハッ!』
エロヒムの声と同時、閃光がハデスを襲う。
同時に、ガクンと大きく揺れ、一瞬の後、周囲の赤い砂漠が消えた。
「ひゅーッ! 間一髪じゃのお!」
「カイッ! どうして……」
気の抜けるような声と同時、座標をハデスに固定して来たのか、三対の銀の翼をはためかせながらカイが衝撃から守るよう、ルクレツィアを抱き上げる。
「いやー、もー、ワシも気持ちよぅ寝とったのに、エヘイエーの奴が、うるさいのなんの……」
エヘイエー、なんか、あったんかのぉ……大あくびの地の神に、「真面目にやれ」とでも言いたげなルツが、無言でカイのお尻を蹴っ飛ばした。
「モルガもモルガで、「疲れた、眠い……っちゅー感覚を思い出した」とかで、「代わりに出ろ」っちゅーて、ひっこんでしもうたし……」
エロヒムが、妙な制約を、かけてしもうたから──と、カイが子どものように唇を尖らせた。
「え……あの約束、まだ有効だったのか」
「もちろん。ワシはデキる神じゃから、約束はちゃんと守るぞ!」
フフン。と、得意げなカイに、ルツが一言。
『いわゆるドヤ顔とかいうものをしているところ申し訳ないですけれど』
「おい」
モルガにはものすごく甘々なクセに、やたらと守護神に対して辛辣な封印者に、カイが表情を引きつらせた。
色々な事があり過ぎるほどあって、確かに自分も悪かった部分があったような気がするけれど、それにしても、以前よりぞんざい度が大変増した気がする。
『逃げますよ。光の神だか、邪神だかわかりませんが、デウスヘーラー』
「あーッ!」
ルクレツィアとカイが同時に叫び、慌てて、二機はゲートから飛び出した。
黒く染まった光の精霊機と、アウインの乗る銀のヴァイオレント・ドールは、なんとかまだ、視認できる距離にあった。
「ん?」
違和感を感じたカイが、眉を顰める。
「ルツ。ミカ。エロヒム。……なんかアレ、変、じゃ、ないかのぉ?」
『私にはわかりませんけれど……もう少し具体的に』
『変……とは?』
『……』
精霊の二人はそっくりな顔を合わせて首をかしげたが、唯一エロヒムだけが、肯定も否定もせず、無言だった。
「カイッ! 来るぞッ!」
ルクレツィアの声に、カイは『眼球』をばら撒いて、一気に散開させる。
邪神とは違い、その動きは統率がとれており、カイはハデスヘルのもたらす情報を元に、無数の操作する。
「カイ! ヴァイオレント・ドールの方だが、操者はアウインだ! だから……」
「はぁ? アイツまだ、騎士の見習いも見習いじゃろうが……」
乱射するデウスヘーラーの攻撃を避けながら、ハデスヘルとヘルメガータは接敵する。
「兄上が、また何か特例として、アウインを昇格させたのかもしれない。六等騎士の制服を纏っていた」
兄上……と、顔を歪ませるルクレツィアに、「あ……」と、カイが言葉を詰まらせた。
彼女を、慰めたい。けれど、今は……。
ルクレツィアの黒い髪を撫でようと、伸ばしたその手を引っ込めて、カイは首を横に振った。
「エロハ!」
カイが無理やり、デウスヘーラー側の通信をこじ開けるように開く。
しかし、映し出された相手側の心臓の映像に、カイは紫の目を見開いて、あからさまに、「はあ?」と、声を出して驚いた。
「なんで鼎があるのに、身体が外にでとるんじゃ……お前……」
◆◇◆
「あぁ、確かに」
言われてみれば──カイの指摘に、ルクレツィアも頷く。
シャダイ・エル・カイしかり。
エヘイエーしかり。
ルクレツィアが対面した繭の中には、必ず、受肉した神がいた。
「鼎は、受肉したワシらのメンテナンス・ポッドというかベッドというか……休む場所じゃ」
むーっと眉間にしわを寄せて、カイが映像の中の首の無い邪神を睨む。
「エロハの奴……ベッドだけ作って中身が外とか、間抜けにも程があるわぃ」
「中に、入れなかった理由でもあるのでは……?」
『それだッ!』
突然、エロヒムが叫び、びくりとカイとルクレツィアが固まった。
「ど、どしたん? エロヒム……」
『違和感だ! シャダイ・エル・カイ! 貴様も言っただろう! 違和感があると!』
お、おう……と、エロヒムの言葉に圧されていたが、次の言葉にカイは耳を疑った。
『デウスヘーラーの中に、誰かがいる』
「は? 誰か……って?」
理解が追い付かないカイが、首をひねってエロヒムに問う。
『信じがたいが……我らと同じ、神だ』
「あー。バレちゃったか……」
アウインが「あっちゃぁ……」と、笑いながら通信を開いた。
「ご名答。んー、まぁ、封印者が二人いた時点で、バレそうな気はしてたんだけどさー」
二千年間意外と誰も、その点気にしなかったんだよねー。あっけらかんとアウインは笑い飛ばす。
「けどまぁ、エロヒム・ツァバオト様は、エロハ様に寄生しなければ、消えてしまうくらい、弱い不完全な神だからね。仕方ないと言えば仕方ない」
『エロヒム・ツァバオト……』
初めてきいた、同胞の名──エロヒムは信じがたい思いで、声が震えた。
「そんなわけでさ。今日のところは勘弁してあげるよ。御覧のとおり、今はエロヒム・ツァバオト様の受肉の最中だし、エロハ様も首が無くて、完全な状態じゃない」
「はぁ? そんなん、そっちの都合じゃろうが」
ベキボキと指を鳴らし、カイがヴァイオレント・ドール──銀色のウラニアに向かって『眼球』を飛ばす。
「いやー、アタシたちに構ってる場合じゃないと思うよ? 騎士様方」
金色の目を輝かせ、アックスが高らかに笑った。
「だってさぁ、帝都の南側、焼いてきちゃったから」
「!」
ルクレツィアが、息を飲む。
確かに、煙と炎に巻かれた帝都の映像で、居てもたってもいられず、飛び出したのは事実だ。
「シャファットの伝言は既に、民に伝えたわ。また今度、会いましょう?」
「待って……」
ユディトに、ルクレツィアが震えながら問う。
「その……エロハの肉体は、兄上、か?」
「……ええ。そうよ」
ユディトの真っ直ぐな言葉を受けたルクレツィアの体は、糸が切れた人形のように崩れ、支えるカイの腕の中で、彼女は気を失った。




