第七十二章 ウラニア
「ねえ。ソル。チェーザレとの通信、繋がった?」
「いいや。奴からの連絡は無い」
寝台の上の能天気な皇帝に、ソルは顔をしかめた。
ユーディンはステラの『立后』と、夫婦そろっての『恩赦』を皆に宣言したものの、舌の根も乾かないうちに、サフィニアの騎士剥奪と無期限の蟄居謹慎を命じ、相対するように、ソルには|ヴァイオレント・ドールの整備指揮《通常業務》に加え、自分の身の回りの雑務を命じた。
……明らかに、サフィニアはオマケであり、恩赦の対象は、自分ではないか。
ソルの不満は露骨に態度に現れているが、ユーディンは素知らぬ顔で、ソルに接した。
それは、懐が広いというより、むしろ黙殺に近い。
ソルの気持ちを理解した上で、自らの意思と態度を優先する──ユーディンが何を考えているか、さっぱり理解できず不気味であり、ここにきてはじめて、ユーディンを政敵とする従兄弟伯父の気持ちが、少しわかった気がした。
「変だねぇ……チェーザレが、定時連絡すっぽかすなんて」
ユーディンが不安げに、眉を顰める。
その点に関しては、ソルも同意だった。
雑な扱いと言動で完全に見逃されているが、ユーディンに対して実は大変過保護であるチェーザレが、何の連絡も報告も寄越さないとは。
「ボクもだいぶ元気になったし、そろそろ帰る準備、始めようかなぁ……」
んーと、伸びをして、「あぁ、そうだ」と、ユーディンはのそのそとベッドから起き上がり、ソルに向かって姿勢を正す。
「ステラの、お願いなんだ」
サフィニアのこと。と、ぽつぽつと言葉をこぼした。
「兄を赦してください。けれど、私はサフィニアを、絶対に赦すつもりはありません……って。もちろん、ボクもサフィニアは、赦すつもりはなかったけれど」
二人で初めて、考えて選んだ妥協点。
「たぶん、彼女にとって、彼女の守護神から引きはがされることが、妥当な罰になるんじゃないかなって」
だから、夫から引きはがすという、一番の罰を、ボクたちは選ばなかった。
「監視はつくけれど、いつでも、サフィニアに会っていいから」
あと……。そう言うと、ユーディンはコホンっと、咳払いをして、かしこまる。
「ステラに、ちゃんとお礼言いなよ? お義兄ちゃん」
◆◇◆
「何をしている」
尖塔の上から貴人用の部屋に移されたサフィニアに会う前に、ソルはドックに寄った。
戦闘で壊れたヴァイオレント・ドールの修理は順調に進み、また、動けるようになった機体も、デカルトの指示で始まった地震の復興支援で、入れ替わりで出て行ったり、帰ってきたりしている。
「よ! 無事の復帰ご苦労さん」
にかにかと笑うギードに、チッと、ソルは嫌そうに舌打ちする。
二人の目の前には、淡い緑の試作機が立っていた。
詳しく調べていないのでわからないが、パッと見た感じでは、大きな損傷はなさそうだ。
「モルガ?」
ギードの向こう側──ウラニアにぴったりとくっついて寄り添うように、モルガが立っている。
モルガはソルに気付いていないようで、見向きもせずに、何かしらブツブツと呟いていた。
「なんか、急に連れて来いって言ってさ……さっきからずっと、こんな感じ」
ひそひそと、ソルに耳打ちする。
目の前で斬り落とされた左腕を思い出し、ゾッと背筋が凍った。
「モルガッ!」
思わずソルが駆け寄ろうとした瞬間、赤い閃光がギードの胸元から放たれた。
「わッ!」
「何だ……」
ドック中に広がる眩い光に、皆思わず動きが止まる。
光が徐々におさまるが、ギードの首から下げられた──即席のワイヤーワークで包まれ、紐を引っかけた赤い石が、重力に反して、ふわふわと浮いていた。
「精霊の上書き、完了。……これで、ウラニアの願いが叶う」
「ウラニア……?」
ソルは、眉間にしわを寄せる。
確かにこの試作機の名はウラニアだが、その事を、モルガに教えたことが、あっただろうか──?
突然、そのウラニアの目に、光が宿る。
そしてゆっくりと、まるで精霊機のように、ゆっくりと動き、跪いた。
「ウラニアが言った。自分と同じ名前の機体があるから。喪った肉体の代わりに、その機体で、ギードと一緒に戦いたいって」
「まさか……」
そう言って、ギードは唾を呑み込む。
ふわふわと浮いている石を優しくつかみ、そして、試作機を見上げた。
「おまえ……なのか?」
ゆっくりと、ウラニアがうなずいた。
目を見開いて固まるギードの隣で、一体何が起こっているか、理解が追い付かないソルが、同じく目を見開いて硬直している。
そんな中、急にがっくりと、モルガが崩れ落ちた。
慌ててソルが駆け寄って、モルガを抱き起す。
「えっと……これ、なんだっけ……」
モルガが苦しそうに、そして呻くようにつぶやいた。
呼吸が少し荒く、顔色も悪い。
「そう、うん、たぶん、『疲れた』だ」
「……疲れたなら、休め。そして、しばらく眠れ」
自分を抱き寄せたソルに、モルガがクンッと、鼻をひくつかせる。
ソルの顔を見上げ、そして問いかけた。
「それが、『師匠の願い』?」
「……そうだ」
願い──という言葉とは、少しニュアンスが違うような気もしたが、それでも、モルガを安心させたい一心で、ソルは肯定の意思を伝える。
その言葉に安心したのか、モルガがゆっくりと目を瞑った。
「うん、わかった」
そう言うと、モルガが細い糸を吐き出した。
金と黒の混ざった斑なその糸は、モルガをどんどん包み込み、そして、次第にその姿が消えてゆく。
たぶん、精霊機の中に回収されたのだろう。
ソルは渋い表情を浮かべ、そして、ため息を吐く。
「生き残って、よかったのか、悪かったのか……だな……」
ヒトには過ぎた能力を、安易に、やみくもに使うんじゃないと、ちゃんと言いきかせたつもりだったのに、まったくもって理解していない弟子に、ソルは頭を抱え、もう一度ため息を吐いた。
◆◇◆
「あぁ、日食か」
ただの曇り空かと思ったが──外をのぞき、ユーディンは目を細めた。
半分近く欠けた太陽が、天から地上を照らしている。
『……お気を付けください』
朱の髪の騎士が、渋い表情を浮かべている。
穏和な彼にしては、珍しい表情だと、ユーディンは思った。
精霊の姿が見えるようになって以降、時々こうして、ミカとエレミヤ、そしてエノクとジンカイトがユーディンの元に、遊びに来るようになった。
否、ユーディンが単に見えていなかっただけで、元々、遊びに来ていたのかもしれないが──。
「嫌な予感がする?」
彼の表情から、彼の考えている事を予想して、ユーディンは先に問いかける。
エレミヤは肯定も否定もしなかったが、その代り、恭しく跪き──ただし赤い瞳を伏せて、口を開いた。
『どうか……急ぎ、帝都に戻りましょう』
ユーディンの元に、ムニン=オブシディアンおよび、チェーザレ=オブシディアンの死の報が飛び込んできたのは、三日後の事であった。




