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精霊機伝説  作者: 南雲遊火
朱と青の決闘編
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第六十八章 嫉妬

 休憩中、突然、気配も無く背後から抱きつかれ、ルクレツィアはびくりと固まる。


 そろそろ日が傾きかけた頃合いの、メタリアの宮殿内の騎士たちが集う食堂にて。

 食事時間ではないので周囲にはまばらだが、それでもチラホラと人影があり、突然の出来事に、周囲がざわめく。


 振り返ると、金属の仮面の奥──感情が無く、焦点の合わない赤い瞳がそこにある。

 あの戦い以降、ずっとカイが表に出ていたのだが──。


「モルガ……か?」


 どうした──というルクレツィアの言葉が聞こえていないのか、モルガがゆっくりとした動作で両手を伸ばし、ルクレツィアの頬に振れた。


 思わずびくりと震え、ルクレツィアはぎゅっと目を瞑る。

 しかしモルガは我関せずと、そのままルクレツィアの顔を引き寄せ、お互いの唇が触れた。


 まるで先ほどまでの緩慢な動作とは対照的な、突然の、飢えてむしゃぶりつくような荒いキスに、ルクレツィアの心臓が、バクバクと脈打つ。


 しかし。


「……違う」


 ………………はい?


 一瞬、モルガの放った言葉の意味を理解できず、思わずルクレツィアは目を見開いた。


 目に入ったモルガは、既に踵を返し、フラフラとまた、どこかに行こうとしているところで──思わず、ルクレツィアの拳がわなわなと震える。

 そして、今度はルクレツィアの方が、つかつかとモルガに詰め寄り、そのまま無言で背後から、文字通りの鉄拳(義手による拳)を、モルガの後頭部に、おもいっきり叩き落とした。



  ◆◇◆



「ご心配をおかけして、すみませんでしたー」


 一体どっちが皇帝なのか……つい先ほどまで自分が横になっていた寝台の上で平伏するユーディンの画面の向こう、ふんぞり返るチェーザレに、隣のソルとギードが苦笑を浮かべた。

 今回、急遽代替わりする形で元素騎士になり、初めてその光景を目撃したデカルトは、あんぐりと口を開け、唖然とした顔でその様子を見守っている。


「あれから、まだ(・・)七日しか経っておりませんが」

「も、もう平気だよ! ホラ! 元気元気!」


 むっすりとした表情の乳兄弟に、ユーディンは、慌ててぶんぶんと両手を振る。


「と言いながら、意識が戻ったのはつい今朝方の事ですよね。陛下」

「しーッ! ギード黙ってッ!」


 ユーディンが慌てて人差し指を立てた。

 が、そもそも「しーッ!」もなにも、ユーディンの容体は、逐一ソルが本国に報告しているので、チェーザレはとっくの昔に、事細かに把握している。


 丸七日間、ずっと眠り続けていた割には、朦朧とした様子も弱った様子も無いことに、内心一同、安堵している。


「それで、陛下。どうして(・・・・)あんなことを(・・・・・・)しでかしたんですか(・・・・・・・・・)


 が、それはそれ。とばかりに、ギロリ──黒い相貌が、縮こまるユーディンを見据えた。


 あんなこと──というのは、もちろん、精霊機(ポセイダルナ)皇太子の遺体(アサル)を天秤にかけたこと。


 あの後、ユーディンも倒れ、昏睡状態となったことで有耶無耶にはなったが、ユーディンがとった行動は、敵だけではなく、味方の騎士たちにも衝撃を与えた。


 敵国(アレイオラ)は水の精霊機を選び、結果として、自国の皇太子の遺体を捨てることとなった。


 彼の躯は、現在メタリア皇族の廟に、仮埋葬されている。

 いずれは、彼の弟であるセトと一緒に、フェリンランシャオ本国の廟に合葬したいと、ルクレツィアが訴えていることはさておき──。

 

 ユーディンのとった行動は──死した戦士を辱める行為は、騎士道に反する。

 また、敵の怒りを煽るだけ煽り、味方に対しても反感を抱かせる行為は、戦略的に考えても、とるべき行動ではない。


「そ……それが……」


 ユーディンは目を伏せ、皆から視線を逸らす。


「覚えて……ません……」

「……は?」


 一同、言葉を失う。


「覚えてないって……もしかして、サディスティックなもう一人の方?」

「いや……その……彼も、自分じゃないって言ってる……」


 以前、もう一人のユーディン(修羅)に、徹底的に痛めつけ(ボコ)られたギードが、フォローのつもりで質問したが、ユーディンは素直に首を横に振る。


 そう、彼ではない。

 気づかれないよう、ギリッと、ユーディンが小さく歯を食いしばった。


 でも……。


(言えるわけ、ないじゃん……)


 嘘から出た真実(まこと)


 サフィニアに対する脅し文句に使ったけれど、まさか本当に、精霊機の創造主(・・・)にて、神話に登場する破壊神(・・・)に、肉体を奪われて、なおかつ、現在も、いつでも彼に(・・・・・・)乗っ取られる(・・・・・・)かもしれない状況(・・・・・・・・)だなんて……。


 不可解そうな一同の中、唯一、何か(・・)を感じたか、チェーザレだけが、小さくため息を吐き、「そういえば……」と口を開いた。


「今そちらに、お会いしたい方がいると、ゲスト(・・・)をお呼びしていたのですが……」

「ゲスト?」


 ユーディンが顔をあげ、思い当たるフシが無く、首をひねる。

 しかし、「どうぞ」とチェーザレに促され、画面の前に現れた人物に、ユーディンとデカルトが、思わず立ち上がった。


「母うぇ……」

「モリオン!」


 立ちあがる──といっても、義足を外した状態では、たかがしれており、そのままよろめいて前のめりに倒れたユーディンは、え? と、ぱちくりと目をしばたたかせ、隣のデカルトを見あげた。


「モリオン! 元気だったかい?」

「ええ。デカルト。あなたも……心配したんです……とても……」


 モリオンの目に、涙が潤む。

 しかし、それは実に嬉しそうな、恋人たちの再会の笑顔。


 デカルトは愛おしい婚約者の顔をもっと見ようと、画面ギリギリまで近寄っていた。

 彼の頭越しにはなるのだが──しかし、ユーディンは、そんな彼女の表情(かお)など、見たことが無い。


(……あれ?)


 なんなのだろう。この妙な、胸がチクチクするような、変な感じは。

 嬉しそうなモリオンの様子を見て、どうしてこんなに、悲しくなるのだろ──。


「……おい。貴様ら。いい度胸をしているな」


 ドスの利いたユーディンの声に、びくりと一同振り返る。

 怒りの滲んだ朱の瞳が、ギロリと一同を睨みつけていた。


「え? 陛下?」

「あーッ! 胸! 陛下! 傷開いて出血してるじゃないですかー」


 初めて修羅と対面したデカルトが、目を白黒させている。

 そんな彼の間に割って入る形で、ギードがユーディンを暴れないよう、肩を寝台に押し付けた。


「調子乗って、病み上がりに動き回るからだ」


 じたばたと暴れる皇帝を、冷めた目でチェーザレが睨む。


「放せッ!」

「あーあ、やっぱり、弱ってるんですって。陛下」


 ギードが余裕の表情で押さえつけ、ニンマリと笑った。

 その顔が実に腹立たしく、ユーディンはギードの顎に頭突きをかまし、負け惜しみのように叫ぶ。


「後で覚えてろ貴様ら……痛ったぁい!」


 最後に精神年齢が低い方が出てきて、締まらなかった。



  ◆◇◆



(呼んでる……どこ……?)


 ふらふらと、モルガが宮殿の廊下を歩く。

 人気(ひとけ)の無い、廊下の奥の奥。

 高い尖塔につながる、階段の前──。


「見つけた! モルガッ!」


 ぜーはーと息をきらせ、ルクレツィアがモルガの腕を掴んだ。

 隣にはルクレツィアが迷わないよう、ナビゲート担当のミカが同伴している。


 しかし、ルクレツィアを見向きもせず、モルガはじっと、階段を見つめていた。

 その事に気がついたルクレツィアの顔色が、少し曇る。


 一歩、階段に近づくモルガの手を、ルクレツィアはぎゅっと握った。


「モルガ……その先には、何も無い(・・・・)


 だから、戻るぞ。


 力まかせに無理矢理引っ張り、ルクレツィアは階段からモルガを遠ざけた。

 モルガは抵抗することはなかったが、それでも、しきりに背後を気にしている様子で、何度も何度も、階段の方を振り返る。


「ところで、夕刻のアレ(・・)は、一体、どういう意味だ」


 階段から離れたところで一度立ち止まり、ルクレツィアはモルガをじっとりと睨んで見上げた。

 当のモルガはよくわかっていないようで、小さく首をかしげている。

 

「人にその……き、キスをしておいて、違う(・・)とは、一体、どういう意味だ」

「違う……うん、違う。違った」


 モルガは幾度も「違う」と繰り返すが、何が違う(・・)のか、ルクレツィアには解らない。

 らちが明かず、モヤモヤとしていたところ、ふとした拍子にモルガの手に触れた瞬間、ルクレツィアの頭の中に膨大なイメージが流れ込んだ。

 くらくらと目が回り、思わずよろけて座り込む。


 ──が。


「あぁ、なるほど。なんとなくだが、理解した」


 流れ込んできたイメージは、モルガを鎮めようとして、無理矢理(・・・・)押し込めることになってしまった、あの時(・・・)口づけ(・・・)


 つまり。は。


 ルクレツィアは立ち上がると、きょろきょろと周囲を見回し、誰もいないことを確認。

 隣にいたミカにも、少し席を外してほしいと頼んだ。


 誰もいなくなったところで、コホンと、咳ばらいを一つ。


これ(・・)なら、どうだ?」


 モルガの仮面を外し、ルクレツィアは彼に、そっと口をつける。


「……これ。うん、これ……」


 まるで乾いた砂漠の真ん中で水を得た時のように、モルガはルクレツィアの唇を求める。


「頭の奥が、なんだかビリビリ、痺れる感じ……」


 うっとりと蕩けたような──それでも、さきほどよりは強く、意思を感じる声。


『ルクレツィアのモルガ個人に対する強い感情は、カイが喪った信仰に匹敵する』。

 カイの──神にとっての『人々の信仰』とは、即ち、生きるための食事(・・)


(つまり、空腹だったのだな……)


 石畳に小さく、何かがぶつかる音がする。

 チラリとルクレツィアが横目で確認すると、モルガのズボンの裾からこぼれたか、足元に黒い鱗が数枚、転がっていた。

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