第六十七章 エフド
突如強まった気配に、ダァトは慌てて漆黒の空間を駆ける。
正常なる空間から切り離された世界。
その先に、不意に現れる、二つの人影──。
「ダァトか」
ユーディンの姿をしたモノは、軽く振り返ってローブ姿のダァトを一瞥すると、まるでダァトが現れることをあらかじめ知っていたかのように、ニヤリと口を歪めて笑った。
高い温度の炎のような、青の混じった朱の髪が、さらりと揺れる。
先日会った青年とは、明らかに違う、極めて冷たい微笑み──。
「我が主。無理をされてはいけません。その身体は……」
「適合率十数パーセント……解っているよ。炎と地の民であるこの肉体に、我を構成していた血は……否、要素は一切無い」
どくどくとユーディンの胸から溢れ出る血は止まることなく、既に、死んでもおかしくない量を遥かに超えている。
そんな状態にもかかわらず、相も変わらず──刺されたことなど気づいていないように平然と振る舞う朱の皇帝の異様さに、事情を知らない青の皇太子は、蒼白い顔で震えていた。
しかし、当のユーディン……否、彼の肉体を乗っ取った精霊機の創造主は、そんなアサルなど目に入っていないようで、ダァトに向き合うと、青の混じった朱の目を細めて、口を開いた。
「我を強く引き寄せたのは、この男の歩んだ経験の一致と、この男に流れる巫の血だ。二千年の中で、一番強く我を引き寄せ、適合できる確率が高いといっても、持って三年……それ以上は肉体が耐えきれず、拒絶反応で崩壊する。そう言いたいのだろう? お前は」
御意。神妙な態度で跪くダァトとは対照的に、楽しそうに創造主は、クスクスと笑う。
「三年もあれば、我としては十分……」
だが。と、エフドは表情を曇らせた。
「お前は不服なのだろう? 理解しているよ。お前をそう作ったのは我だ」
「創造主よ……時は、まだ満ちておりませぬ。ヤエル様は、まだ……」
「ヤエル……?」
はて……と、エフドはダァトの言葉に、不思議そうに首をひねった。
「それは……誰──」
突然、エフドの背中に衝撃が走る。
「決闘の最中、背を向けるとはいい度胸ではないか」
化物がッ──ユーディンの手から離れたユーディンの杖が、アサルの手に収まり力強く握られていた。
それは捩じるように深々と背中から突き刺さって、貫通した切っ先が腹から覗く。
「創造主!」
悲鳴のようなダァトの声。
エフドの顔から、余裕の表情が消えた。そして同時に、空気がパリリと震える。
「Tonitrua!」
両目をカッと目を見開き、振り返ることなく、短く、エフドが叫んだ。
途端、轟音が響いて、アサルの身体を一瞬で貫く。
事切れたアサルの体をエフドは忌々し気に蹴り飛ばし、怒りを隠すことなく、其れを睨みつける。
「鎮まりください……創造主!」
「ダァトよ……良いことを、思いついたぞ」
ダァトの言葉に相反して、気の高揚したエフドは、アサルの頭を踏みつけながらニヤリと笑った。
◆◇◆
「……え」
「な……」
騎士たちは、混乱した。
刺されたのは、朱の皇帝のはずだった。
しかし、一瞬のうちに何故か双方血にまみれ、地に伏して倒れたのは青の皇子の方。
しんと静まり返る中、朱髪の皇帝が叫んだ。
「聞け! 青の国の兵よ」
突然、無人のはずの風の精霊機が動き、同じく無人の水の精霊機の背後に回り、羽交い絞めにする。
周囲がざわつく中、再度皇帝は叫んだ。
「選ぶがいい。水の精霊機か、皇太子の躯か!」
赤黒く血に染まる衣服を纏い、悪魔のように冷たく、美しく笑う皇帝に、敵も味方も、ゾッと背筋が凍る。
「さぁ、どちらが良い? 今ならどちらか必ず返すが、時が経てば、我の気が変わり、全員この場で死んでもらう事になるやもしれぬ」
「大変です! |フェリンランシャオ軍の増援《敵影》! 数は五万!」
タネを明かすなら、ユーディンの決闘中にミカがたてた作戦──デメテリウスを筆頭とした本物の精霊機とヴァイオレント・ドールの部隊に、彼らのデータを元にシャダイ・エル・カイが作った大量のゴーレムを混ぜ、ハデスヘルが識別信号を付与した即席のイミテーション部隊がタイミングよく到着した──といったところなのであるが、そんなことは解るわけもなく、青の帝国軍は、見事に大混乱に陥った。
「ええい! この屈辱、忘れぬッ!」
そう言って、アレイオラ軍は、主を失った精霊機を抱え、撤退を開始した。
◆◇◆
「……マズイ、のぉ」
「まずいな」
モルガの言葉に、ルクレツィアも同意する。
いや、この場にいる者全員、一致した思いだった。
敵軍の撤退を見送ってすぐ、ユーディンは意識を失い、ばったりと倒れた。
直前までぴんぴんしていた状況からは、考えられないほど出血が多く、また、一撃で胸と腹部の二か所──うち一か所は、背中から刺されて貫通しているという不可解な状況もある。
そして、何より。
「……」
無言のアックスの眉間に、深々としわが刻まれる。
(まさか……のぉ?)
あの時、アックスの意思とは関係なく動き、水の精霊機を羽交い絞めにした風の精霊機。
なにより、アックス──否、エヘイエーにとって、少し懐かしく、それでいて恐怖を抱くある気配が、ユーディンから今も、じんわりと感じられた。
重たい金属の扉の向こうでは、医療班が、不眠不休で皇帝の容態と闘っているだろう。
自分たちに、特にできる事はない。が、かといって離れられず、医務室の扉の前で、元素騎士たちは時間を持て余していた。
「扉の前を貴様らが占拠したところで、どうにもならないだろう?」
突然、声をかけられ、皆、一斉にそちらを向いた。
「兄様!」
ステラがソルに駆け寄る。隣には、渋い顔のギードの姿もあった。
「兄様も、無理はしてはいけません!」
サフィニアが裏切ったこと。そして、ソルが彼女の責を肩代わりするために服毒し、しかしながら、モルガの手により助かった事実は、今は全員が知ることとなった。
いつも通りの班長殿──というわけにはいかないが、かといって、随分と顔色はよくなったと、先ほど顔を合わせたルクレツィア思う。
「現状はチェーザレの奴に報告済みだ。なんとか『アレイオラ撃退』という、目的は達したが、元素騎士の謀反に、繰り返された異例の精霊機操者の交代劇、地の元素騎士の暴走に、メタリアの滅亡に加えて、さらに昏睡状態の皇帝ときた」
「す……スミマセン……でした……」
モルガが思わず、師匠に平伏。
相も変わらず元のモルガの気質が強く出ている地の神を、ソルは苦々し気に睨んだ。
「いやー。しかし、隊長殿のあの顔ときたら、最高だったな」
「茶化すな」
あの兄すら卒倒するレベルの報告のオンパレード。
場の空気をなんとかしたかった様なのだが、ギードがさらに余計なことを言い、ソルが足を踏んずけて、悲鳴をあげたことはさておき。
「ソル殿。兄上は、なんと……?」
ルクレツィアの問いに、ソルは「あぁ」と、小さく頷いた。
「現状、嘆かわしいことに、最高責任者不在。サフィニアは地位剥奪、更迭および、無期限の禁固とする。故に、三等騎士・プラーナおよび|三等騎士・オブシディアン《ルクレツィア》の両名に、指揮権をあずける。お前たち二人が代表となって旧メタリア臣たちと交渉して今後を決めつつ、陛下が動けるようになったら即、帰ってこい──だそうだ」
なお……。と、ソルがニヤリと続ける。
「「若輩者」と舐められそうになったら、そこのギード=ザインを使え」
「ったく、オレだって若輩者ですよーと。……もしかしてオレがまだ二十代だってこと、アイツも知らねーんじゃねぇの……」
無精ひげボーボーのむさくるしい見た目が逆に功を奏したか、降格騎士が頭を抱えて、むっすりとぼやいた。




