第六十六章 炎の色
「敵機、沈黙しました」
ミカの言葉に、ふぅ。と、緊張を解いたルクレツィアが、小さくため息を吐く。
「……酷い、状態だったな」
引きつるルクレツィアにミカは無言だったが、彼女のその美しい顔には、ルクレツィアの言葉を肯定するかのように、苦笑が浮かんでいた。
以前起こった火山爆発の際と同様、|Chorus illusio《幻影の踊り》を使用、敵機の精霊を狂わせ、相手の動きを奪い、同士討ちをさせつつの攻撃。
しかしながら、そう言葉通り、簡単にはいかず──。
「……ミカと直接コミュニケーションをとれる状況でいなければ、大変なことになっていたような気がする」
『そう……ですわね……』
自分で操縦しておきながらの乗り物酔い──青い顔でルクレツィアは頭を抱えた。
原因はもちろん、先ほどソルから手渡された、ルクレツィアの左腕だ。
ルクレツィアの本来の腕よりは少し大きいが、既製品より遥かに、軽くて扱いやすい。
身体への負担も少なかったが──しかしながら、どうやら義手には、あの時の指輪以上の地の加護がかかっており、精霊機への影響は強く──。
「二等騎士・ビリジャンを笑えぬな……この状況……」
『過重の加護』はノイズとなり、精霊機の操縦精度を著しく下げる。
ルクレツィアの的確な指示により、ミカが補助をする形で今回はなんとかなったものの──今回の件で、サフィニアの焦る気持ちが、よく理解できた。
もっとも、理解はできたが、決して共感できるわけではない。
彼女を赦せるかと問われれば「否」と答えるし、彼女が騎士にふさわしいかと問われると、やはり「否」と、ルクレツィアは答えるだろう。
「ルツィ! 無事か!」
唐突に入る通信に、ルクレツィアは目を見開く。
そして、目を細めてほほ笑んだ。
「大丈夫だ。カイ」
かつての尊大な態度はどこへやら。
地の神が紫色の瞳を潤ませ、心配そうにルクレツィアを見つめていた。
彼の抱くその感情が、カイ本人のものなのか、それとも、元々はモルガから起因し、由来しているものなのかは、ルクレツィアにはわからない。
しかし、現在進行形で心配させてしまっていることは、間違いないだろう。
「ありがとう。私は大丈夫だ」
まぁ、義手のせいで苦戦した事、カイには黙っておこう。
ルクレツィアは「そんなことより……」と、カイに問う。
「陛下は? どうなった?」
「どうしたもこうしたも……」
苦い表情を浮かべ、カイは眉間にしわを寄せた。
「互角で五分五分……ってところじゃのぉ……」
◆◇◆
「おい……マジかよ……」
響く甲高い金属音。
そして、敵味方双方ともに、各々のヴァイオレント・ドールの中で、ざわつく騎士たち。
目の前で繰り広げられる、皇帝と皇子の戦い。
「ウチの陛下って、あんなに強かったのか……?」
「あの殿下と、剣で互角に戦える人間が、存在したとは……」
それは、予想以上にハイレベルなものであった。
何十分と時間が経ったが、双方ともに体力は底なしで、決着はいまだつきそうな気配はない。
当人たちも、相手の強さは予想外ではあったが、それ以上に、想像の斜め上の事態に、内心焦っていた。
(なんで……ボクの動きが読まれてる……?)
(コイツ……敵国の皇帝が、何故、我が国祖の剣技を……)
もっとも、焦っている事が相手に伝われば、そこを付け込まれて攻撃をされることはわかっているので、絶対に相手に覚られてはならない。
ぶつかり合う剣の音が、まるで音楽を奏でるように響きわたる。
そして、その音楽を奏でながら行われる決闘は、さながら剣舞のような美しさであった。
しかし。
永遠に続くかと思われたそれは、突如終わりを告げる。
負荷がかかり過ぎたユーディンの右脚が、パキリと小さく、しかしながら、嫌な音をたてた。
「まずッ……」
ガクッとバランスを崩し、ユーディンはよろめく。
そこを、アサルが見逃すはずはなかった。
次の瞬間にはユーディンの胸に、深々と剣が刺さる。
そして。
時が、止まった。
◆◇◆
「……い、起きろ」
声が耳に入った途端、頭に激痛と振動が走る。
「ふぇ……? 何……?」
目を開けると、目の前に、自分の顔がある。
いや、自分の顔にしては、いやに目つきが悪い。
「寝ぼけて呆けている場合か。この大馬鹿者」
もう一人の自分はユーディンの頭を、躊躇いもなく蹴りつけた。
さっきの衝撃はコレか……とユーディンは頭を押さえながら、ゴロゴロとのたうち回る。
「ちょ、何……? 何なの?」
目の前に居るのが、修羅であることはなんとなく解った。が。
いつも必ず、どちらかの意識が浮上しており、こうして対峙したことは初めてだ。
「……そっか。死んじゃったのか。ボク」
「勝手に殺すな。そして納得するな」
がっくりと項垂れるユーディンの後頭部を、再度修羅は飛び上がりながら蹴りつけた。
本来、足は無いハズなんだけど……と思いつつも、自分にも何故か、しっかり義足ではない足がついているので、そこは気にしないことにする。
「本来なら、余が直接出向いて、第二ラウンド……といったところだったのだが──やられた。見事に閉じこめられた」
「え?」
修羅の言葉に一度ではついていけず、ユーディンは、ぱちくりと目を瞬かせた。
閉じこめられた……? 誰に?
改めて、周囲をきょろきょろと見回した。
何も無い、黒い空間に、まったく自分と同じ──それでいて、ほんの少し人相の悪い自分が居るだけ。
「貴様……あの怪しげな術を、躊躇いもなく、何度も使うからだ」
『怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ』と、古き言葉があるが、まさしくそれだ。と、忌々しげに修羅は舌打ちした。
「え……でも、だって……」
ダァトは自分を、「限りなく創造主に近き存在。だが、創造主になりえぬ者」だと言った。
「審判長が、嘘つくとか思わないじゃん!」
「奴が嘘をつくかどうかはともかく、現にこうして肉体を奪われているではないか! この大馬鹿者」
今度は右フックが顔面に飛んできた。何か言うたびに物理的攻撃が飛んできて、ユーディンはふらふらだった。
しかし、かすかに、ユーディンにも此処ではない音が聞こえ、そして脳裏に映像がよぎる。
先ほど、あれほどまでに苦戦をしていた青の皇太子が、地に伏していた。
◆◇◆
確かに、致命傷を負わせたハズだった。
現に、彼の白い服は、彼の赤い血でべっとりと濡れている。
しかし、目の前に立つ男は、平気な顔で立っていた。
胸に刺さった筈の剣は、まるで高熱にさらされたようにどろりと溶けて形を失い、地面に転がっている。
奇妙な点は、それだけではない。
周囲は何故か真っ暗で、控えていたはずのヴァイオレント・ドールの姿は一つもない。
(何が、起こっている?)
アサルが唾をごくりと呑み込む。
その瞬間、突然突風が襲い掛かり、アサルを吹き飛ばした。
「な……」
尻餅をついたアサルは、目を見開く。
さすがに、動揺を隠せない。否、隠せるはずもない。
対峙していた敵国の皇帝。
炎の色の髪と瞳を持つ男。
しかし。
それは、しいて言うならば、まさしく炎の色だった。
ただし、本来の炎から、さらに高い温度の色。
肩までの髪も、切れ長のその目も。
朱の色に青が混ざったその色は、不気味に爛々と輝いて、震えるアサルを見据えていた。




