第六十二章 指揮官不在
『マズイ』
ふらつくルクレツィアを支えながら、ユーディンはハデスヘルのあった場所まで移動をはじめる。
そんな最中、突然声をあげたジンカイトの一言に、一同、彼を振り返った。
彼は飄々としたいつもの顔ではなく、顔面蒼白で、頭を押さえて立ち尽くしている。
『どうか、しましたの?』
苦しそうにうずくまる彼を、怪訝そうにのぞき込むミカ。
そんな彼女の服の裾を、ジンカイトはがっしりと掴む。
『モルガが……いや、ヘルメガータがアレイオラ軍と戦闘開始。コッチに回す余力が無いのか、接続、切られちまった……』
そう言うなり、ジンカイトの姿が、どざりと崩れて黒い砂となり、そのまま空気に溶けるように消えてなくなった。
それはまるで、以前ルクレツィアの元に指輪を届けた歪なヒトガタの砂の塊のようであったが、初めて目にしたユーディンは、びくりと肩を震わせて驚く。
「モルガが戦闘……? ミカ……」
ルクレツィアの問いに、ミカは目を瞑り、そして深くうなずいた。
『はい、エロヒム様に確認いたしました。相手は、かなり大規模な隊の模様です。現在出撃できているのは、ヘルメガータをはじめとする約五十機。アキシナイト様は既に帰還されていますが、現在陛下がいらっしゃらないので、出撃をためらわれております。代わりに、この城内を制圧していたステラ様が、急遽戻って各部隊への指揮等、対応をしていますが、少し後手に回っておりますね』
ユーディンの顔色が、一気に青くなる。
慌てて、ミカに問いかけた。
「ミカ。ハデスヘルで、この城内の状況、どうなってるか分かるかな? ステラの城内の制圧、どのくらい終わってる?」
『そちらは、既に完了しております。どうやら戦意喪失されたサフィニア様を、無理矢理同行させたようで……』
彼女の言葉に、ユーディンは眉間にしわをよせた。
ステラ=プラーナは、手段を択ばないところがある。
確かにメタリア皇女であり、皇帝が亡くなったことで次なる城主となったサフィニアが同行したのなら、開城も早いだろう。
しかし──。
(相当、怒ってるな……)
『兄思い』と、言ってしまえば聞こえはいい。
ソル自身の彼女に対する気持ちがどうであったかは別として、彼女は幼い頃、依存するほどに、ソルから離れなかったという。
そんな最愛の兄の死の原因を作ったサフィニアに対して、彼女はきっと、容赦や躊躇いなどしないだろう。
もちろん、あの場で言ったとおり、ユーディンも、サフィニアに対しては、相当──今でも、怒っている。ソルが彼女の罪を被ったとはいえ、簡単に、彼女の事を、赦すつもりはない。
『その件ですが、ソル様は、一命をとりとめてございます』
「えッ!」
思わず顔をあげ、ユーディンは目を見開いて驚いた。
「毒……使わなかった……の……?」
あの頑固者の彼の性格上、途中で気が変わることなど、絶対に無いと思っていた。
しかし、ミカは首を横に振る。
『いいえ。彼は服毒し、現在も動けない状態です。が、モルガナイト様が……』
「そう。……そっか」
ほっと、ユーディンは胸を撫でおろす。
しかし同時に、やはり、ソルの命が助かって嬉しい半面、ソルの気持ちを理解しながらも、冷酷になりきれない、中途半端な自分の気持ちを改めて自覚し、もんやりと影を落とした。
「陛下」
ルクレツィアの言葉に、「うん」と、ユーディンはうなずく。
城の外は既に戦闘がはじまり、総指揮官が悶々ぼやぼやと、悩んでいる場合ではない。
パァンッ! と、ユーディンは両手で、自分の頬を叩く。
ぶるぶると首を振ると、ルクレツィアに向き直った。
「三等騎士・オブシディアン。君はサポートに徹してくれ。範囲は狭まるだろうけれど、無理にここから動く必要はないから! ミカ! ルクレツィアが無茶するようなら、全力で止めてね!」
「陛下ッ!」
思わず大声で言い返すルクレツィアの声を背で聴き、ユーディンは来た道を戻り、廊下を駆けた。
◆◇◆
死ぬ気で動力をふかし、ギードは空を駆ける。
「のわぁッ!」
倒れる木々の隙間から、にょきにょきと無数に生える土の腕を、すんでのところで避けて、忌々しく舌打ちをした。
「相変わらず、命中率わりぃなッ! あの邪神様はッ!」
よっとッ! と、急に推進力を下げて、進む角度を変えた。
後ろからギードのエラトに向かって距離を詰めていた敵機が、地面から生えた巨大な腕を避けきれず、抱かれ、バキリミシリと音を立てて崩壊し、大地に呑み込まれていった。
「二等騎士・ザイン! いったいアレは、なんなのですか!」
「嫌味か! 降格して今は四等騎士だっつってんだろ!」
ヘルメガータに宿る神の存在も、ましてや反転した邪神の存在も知らない一般の騎士たちは、見事に混乱していた。
加えて、信頼できるサフィニアは裏切り、先行したルクレツィアは安否含めて所在不明。皇帝は城に行って帰ってこないし、唯一ステラが、今発進準備をしている……とのことだが……。
指揮官の居ない、最悪の状況。
加えて、現状、説明できるほど深く事情を知っているのは、ギードただ一人。
アリアート・ナディアルでの戦いに参戦した者たちは二度目の遭遇ではあるが、あの時とは違い、敵味方の識別はなく──巨大な土の腕は、全ての|ヴァイオレント・ドール《VD》に手を伸ばし、そして、抱きしめる。
漆黒に染まったヘルメガータは、一見無防備に空中に浮かんでいるのだが、腕や、眼球に守られ──赤い目が、不気味に爛々と輝いていた。
「できれば、オレ含めた一般兵は即刻引っ込みたいところではあるが……」
周囲を見回し、再度、ギードは舌打ちをした。
相手も多少は混乱しているようではあるが、暴走状態のヘルメガータと二度目の遭遇。
数は多い上、こちら側より、統率はとれている。
フェリンランシャオ軍が引くと、一気に、城もろとも、制圧されてしまうだろう。
どうする……ギリっと歯を食いしばり、見据えるギード。
そんな時だった。
「おっまたせー!」
至極明るい声が響くと同時、ざわり……と、木々が葉を揺らした。
それは突然、強烈な突風となり、腕ごと敵機のみを、吹き飛ばす。
「皆様。心配をおかけいたしました」
白い精霊機がふわりと宙を駆けた。
同時に、姿は無いが、落ち着いたルクレツィアの声も響く。
「私の事も、忘れないでッ! よッ!」
ゴウッ! と、真紅の精霊機が放つ炎の渦が、敵機を呑み込んだ。
巻き込まれかけたギードが、批難の声を上げる。
「よく見ろノーコンッ!」
「あーら、ごめんあそばせ」
そう言いながらも、ステラは火力を下げることなく、また、地面から生える腕や敵機に怯むことなく、そのまま突っ込み、自らに近づくモノを、徹底的に燃やしつくす。
「私、今めちゃくちゃ機嫌悪いから。覚悟なさい!」
なんだか事情はよくわからないけれど、ステラの放つ妙な威圧感に、思わず、ギードをはじめとする一般の騎士は、口をそろえて、「はい……」と言うしかなかった。




