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精霊機伝説  作者: 南雲遊火
歯車狂いの夫婦編
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第六十章 Sacrificium

 援軍に向かう中、皇帝(おとうと)が死んだことを知った。


 急いで向かうも、城は既に敵に落とされた後だった。


「お前が、緑の精霊機(デメテリウス)の操者か」


 冷たい目のアレイオラの皇子は、私が形ばかりの女帝として即位することで、メタリア皇家を存続させることと、母や妹、義妹や姪の命の保証を提案する。


 私がフェリンランシャオを裏切り、陛下(ユーディン)を罠にかける事を、条件に。


 私はこれを、受け入れた。


 迷いなど、無かった筈だった(・・・・)


 なのに──。



  ◆◇◆



「どう……して……」


 ずっしりと重たい夫を支え、サフィニアは嗚咽を洩らす。


 結果は御覧の通り。


 子を身ごもったことで、一時的とはいえ、『過重の加護』となり、精霊機の操縦に、雑音(ノイズ)が入るようになった。


 それは、腹の子が成長するにつれ酷くなり──しかしながら、そうまでしても精霊機から降りることを選ばなかったデメテリウスに呆れられた(・・・・・)か、サフィニア自身が知らぬ間に、操者の代替わりが行われてしまった。


 そして、フェリンランシャオに無くてはならない(・・・・・・・・)──つまりは、万が一自分のしたことが、もし事前に露見したとしても、命の危険はないだろうと判断した夫は、毒を与えられ、今まさに、事切れようとしている。


「いや……いやぁ……」


 サフィニアに差し出された天秤は、思いのほか複雑だった。

 これで万事つり合うと思っていたのに、予想外の方向に傾き、沈んで、そして──。


 ソルの体が、びくり、びくりと、痙攣した。

 意識は既に無く、か細い息が、喉を鳴らす。


 誰でもいい。と、サフィニアは祈った。


 お願い。


 どうか……神様……。


「助けて……」


 ふいに、ぱたんと、背後の扉が開いた。

 サフィニアが顔をあげると、涙の向こうに、病衣を纏った、一人の青年の姿がある。


「モルガナイト=ヘリオドール……?」

「|Nonne vos vocant《呼んだ》?」


 聴いたことの無い言葉。しかし、何故か脳に響くよう、意味はサフィニアにも理解できた。


 ぺたり、ぺたりと、裸足の彼の足が、つるつるとした床を踏む。

 彼が歩を進めるたび、彼の癖のある長い髪が、ざわざわと揺れた。


「|Nonne vos vocant《呼んだ》?」


 虚ろな赤い瞳で見下ろしながら、再度、モルガはサフィニアに問いかけた。

 表情の無い顔。そして、彼の皮膚には、うっすらと黒い鱗のようなものが、浮かびかかっている。


 邪神(アィーアツブス)──ごくりと、サフィニアは息を飲んだ。


「|Quid faciam《何を、すればいい》?」


 邪神(モルガ)の問いに、一瞬、サフィニアは躊躇した。

 彼女の脳裏には、以前戦った際の──邪神の恍惚の表情が、脳裏をよぎる。


 しかし……それでも……。


「助けて……」


 声を震わせサフィニアは叫ぶ。

 最初の()が出たことで、堰を切ったように、彼女は叫んだ。


「この人を、助けて! なんだってあげる(・・・)から!」

「……Bonum(いいよ)Intelligo(わかった)


 不意に、ソルの体が浮かび上がった。

 ソルは、何もない空間に仰向けに横たえられている。血の気はなく真っ青で、か細い呼吸の数も、異様なほどに少なく、短い。


「|mineralis venenum《鉱物毒》……|Hoc est meum《是もまた我の司る物也》……」


 邪神が、その血で汚れたソルの唇に、長い爪を這わせた。

 そして、ソルの口に、自らの唇を重ねる。


 しばらくして。


 再度、ゲホゲホと、ソルが咳き込みだした。

 大量の真っ赤な血が口からあふれ、思わず、サフィニアは画面蒼白で息を飲む。


 しかし、ソルが吐き出したその血は、地面に落ちることなく──まるで、意思のある煙のように、浮かび上がって、邪神の指に絡みついた。


 邪神はそのまま指に絡む血を、ヒュゥっと吸い込み、ごくりと喉を鳴らして呑み込んだ。


「……|Erat delectamentiごちそうさまでした


 長い舌で自らの唇と指を嘗め、満足そうに赤い眼を細める。


 邪神はソルをそのまま床に降ろし、興味がなくなったように、くるりと踵を返した。


 慌ててサフィニアが駆け寄ると、ソルの意識は無かったものの、その呼吸は一定のリズムを保ち、持ち直したことが窺える。

 肌の色も蒼白で悪かったが、徐々に、赤みが差して、戻ってきているようだった。


 よかった……ソルの冷たい手を握り、サフィニアは、安堵のため息を吐く。

 そんな彼女の耳に、邪神の声が、冷たく響いた。


「|Sacrificium《対価の贄は》……iterum(またいずれ)……」



  ◆◇◆



 ズンッ──と、響く音。


 途端、わさわさと、周囲の木が激しく揺れた。

 どこか遠くで、大きな幹が、折れるような音も響く。


「小隊長!」


 地震に慌てる部下に、「大丈夫」と、デカルトはなだめる。


(とは、いうものの……)


 ちらりと、横の精霊を見上げる。


「どう、思う?」


 なんとなく精霊機(デメテリウス)の操縦にも慣れ、デカルトにも解ってきた。

 今の地震と関係があるのかどうかまではさすがにわからないが、先ほどから、『緑の精霊』が、徐々に、荒ぶっているように思える。


 それは、緑の加護を受けているものからすれば、「よく解らないけれど絶好調!」と思える状況なのだが、裏を返せば、「精霊のバランスが、著しく崩れている」ともとれる状況。


 確かに、此処は緑の帝国メタリアであり、元々、緑の精霊の力が強い地域ではあるのだが──。


『アィーアツブス……彼奴め……』

「アィー……アツブス?」


 ヨシュアの呟く聞きなれない名に、デカルトは眉を顰める。


『地の精霊機に封じられた神のその、反転(邪神)だ』


 精霊機に宿る神──その存在は、ヨシュアが教えてくれた。もっとも残念ながら、デカルトの前に、自分を選んだという、そのデメテリウスに宿る神(アドナイ・ツァバオト)は、いまだに現れていないが。


「はぁ、神様も、なかなか複雑な事情をお持ちで……」


 まさか、自分の婚約者(モリオン)の弟が、その当の神の宿主(アィーアツブス)であることを知らないデカルトは、他人事のように、髪をぐしゃぐしゃとかいた。


「とりあえず、地の精霊が暴れてるんで、連鎖的に緑の精霊にも影響出ちゃってる感じ……で、解釈いいかな?」

『うむ……貴様、意外と呑み込みが早いな』


 意外とは、余計ですよ。と、初めて肯定的に褒めてくれたヨシュアに、デカルトはにっこりと笑う。

 しかし──すぐに、真顔に戻った。


 ことは、そう単純ではないものの……。


「と、いうことは……水の精霊機(ポセイダルナ)は、今、ずいぶんと手古摺(てこず)ってるんじゃないですかね」


 荒ぶる地属性と、連鎖的に良い方向で影響が出ている木属性。その場合、水属性は木属性の逆で、まっ先に悪い影響を受ける属性である。


 もっとも、水の精霊機(ポセイダルナ)が、まだ、この国にいるならば──という前提条件がつく話ではあるが。


「小隊長! 報告します! 先ほどの地震により、複数の町が、地に呑まれた(・・・・)との情報です!」


 部下の報告に、さらに眉間にしわを寄せた。

 デカルトは腕を組み、ひとしきり、うんうんと悩んだ末──。 


「……コレ、やったら、またヨシュア(キミ)に、軟弱者って言われそうだけどさ……」


 皇帝陛下の使いである、仮面の少年の言葉を思い出す。


 ──君たちは表向きは『反乱軍』として、メタリア国内を逃げ回る。だが、実際は陛下の遊撃隊(・・・)として、この国の情報を探り、できる事なら、アレイオラ軍の戦力を削って欲しい──


 うん、たぶん、命令からは(・・・・・)、そう、外れていない筈(・・・・・・・)──。


「部隊を分ける。その呑まれたという町の様子を探り、もし、その街にアレイオラ軍の影があれば、混乱に乗じて、そのまま叩こう。アレイオラ軍がいなければ、民の救援を行う。もちろん、第一の命令は、各自、「命を大事に」。皆、絶対に無茶をしてはいけない」

『どういうつもりだ?』


 案の定、ヨシュアが睨みつけてきた。

 これも「慣れた」とばかりに、デカルトは肩をすくめた。


「人道支援も、状況次第で立派な戦争(・・)って事ですよ。二等騎士(ラング)・ビリジャンはアレイオラに付きましたが、この国の味方(・・・・・・)が、果たして誰なのか(・・・・・・・・)民が知る(・・・・)、良い機会になる」

『貴様のそういうところ(・・・・・・・)は、やはりどうも、気に食わん』


 フンッと、巨漢の精霊は、鼻を鳴らした。

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