第五十九章 最高にて、最悪の……
二本の刃を鞘に仕舞い、誰もいなくなった広間から、ユーディンは廊下に出る。
戦死した前メタリア皇帝ジェダイとの会談等、公務で何度かこの城に来たことはあるが、その際、ユーディンの側には、常にチェーザレ他、誰かがいて、一人になった事はない。
もちろん、メタリア側からしても、そういう時には常に案内してくれる者がいて、限られた場所しか行ったことが無いため、この城がどういう作りになっているかなど、ユーディンにそのような知識は全く無かった。
(さて、どうしよう……)
アックスが戻るまで待つということも考えたのだが、アレイオラ皇太子の居場所がわからない──けれども、そう遠くない、メタリア国内にいる事を想定すると、あまり時間はかけられないと思った。
もちろん、あのまま彼らがフェリンランシャオに向かった──なんてことも考えられたので、チェーザレに国境警備を固めるよう、あらかじめ指示してある。
とりあえず、この城のどこかに居るはずの、ルクレツィアとハデスヘルを探さなきゃ……。
そう、思っていた時だった。
『ルクレツィア様のご様子は?』
『んー、ボチボチ、薬も切れかけじゃぁ』
ルクレツィアの名を聴き、思わずユーディンは柱の陰に隠れた。
様子を見ようと、そっと覗いた先には、跪く巨大な黒い精霊機──と、その足元に立つ、赤い髪の二人の男女。
赤い髪の毛から自国の者──と、ユーディンは判断したが、違和感を感じ、片方の杖の鞘を、そっと静かに抜いた。
違和感の原因。それは、二人の身に纏う衣装。
片や、時代錯誤なほど古風なドレス。そして、もう片方は、闇の元素騎士の制服……。
ユーディンは無言で飛び出し、男の方に袈裟切りに斬りかかった。
しかし。
「え……?」
『へ……?』
空を切るように、手ごたえがまるでなかった。
斬られた筈の男も、ぎょっとした顔でユーディンの方に振り返る。
ユーディンは思わず、刃と男を見比べた。
『あー痛い……痛い……』
『嘘おっしゃい!』
時間差で突然、蹲って痛がる男に、ドスッと女は蹴りつける。
『まってミカさん! そっちはホントに痛いけぇッ!』
『ノリボケしてる場合ですかッ! 本当にッ! この駄目男はッ!』
ゲシゲシとぞんざいに女に蹴られる男を、思わずユーディンはポカンと見つめる。
「なんで……」
ミカ……という名前に、ユーディンは聞き覚えはある。
ルクレツィアが報告した、闇の精霊機の精霊の名ではなかったか……。
普通の人間並どころか、普通の人間以下──精霊の加護がない自分が、どうして、彼女を視認できるんだろう……。
ジッと見つめるユーディンの視線に、まさか……と、二人も顔を見合わせた。
『ユーディン様……もしかして……』
『ワシらの事、見えとります? っちゅーか、声も?』
こくこくとうなずくユーディンに、男──ジンカイトが目を瞑る。
そして、しばらくブツブツ呟いていたのだが、最終的に、『あっちゃぁ……』と、ジンカイトは頭を抱えた。
『あー……コレだ。嬢ちゃんとほぼ一緒。陛下。さっき、モルガの鼎無理矢理引きちぎって、頭からかぶっちまったでしょ……繭の液体……』
原因、それッス……と、ジンカイトは両手を上げた。
厳密には、ルクレツィアの体質改善の原因は、ルクレツィアの見聞きした記憶を求めたモルガによる体液の口移しなのだが、そこはまぁ、とりあえずは伏せておく。
──うっかり知ってしまった親として。
『しっかし、一人で乗り込んでくるとは、なかなか無茶しますねー。ワシとしちゃー、嫌いじゃないッスけ……ど……』
余計なことを言うなと、ミカにギロリと睨まれ、ジンカイトの声が、尻すぼみに小さくなった。
「君は?」
ユーディンの問いに、ふむ……と、ジンカイトはかしこまった顔をする。
そういえば、ちゃんと名乗っていなかったと思った彼は、姿勢を正して、恭しくユーディンに跪いた。
『ワシゃぁ、ジンカイト=ゴールデンベリルと申します。むかーしむかしの、元素騎士の幽霊だと思っていただければ……』
ぎょっと目を見開くユーディンに、悪戯が成功した子どものように、ニヤリとジンカイトは笑った。
『ご案内します。陛下。我らが闇の元素騎士の、優秀な後輩の元に』
◆◇◆
どうして!
ドックの通路を──夫の私室への道を、最短距離でサフィニアは駆けた。
ユーディンが指示をしたのか、道中すれ違う者はいない。
もしかしたら、皆陰に隠れ、サフィニアの様子を監視しているのかもしれないが、今のサフィニアにとっては、そんなことは、重要ではなかった。
愛おしい人! あなた!
バタンッ! と、サフィニアは勢いよく扉を開けた。
サフィニアの知らぬことではあるが、割れた例の窓は応急処置の金属板で覆われており、いつもより何倍も薄暗い部屋。
明かりを灯した執務机の向こう、ぎょっと目を見開くソルと、目が合った。
「あなた!」
「サフィ……ニア……」
信じられないものを見たように、ソルの見開いた目が、徐々に細められる。
そして、飛びつくように駆けよる妻を、彼は、ぎゅっと抱きしめた。
「よかった……」
安堵から、サフィニアの目に、思わず涙がこぼれる。
散々脅され、迫真の演技に慌てたが、よくよく考えれば、いつもの子どもの、悪い冗談か……。
「君も……君が無事で、よかった……」
ソルの声が、かすかに震えた。
どれだけ彼が、心配をしていたか──それは、普段の彼からは考えられないほど、素直な感情の吐露であり──サフィニアに、痛いほど伝わった。
しかして──それは、最高にて、最悪のタイミング。
偶然か。はたまた、あの皇帝の意図か。
ゴホゴホと、ソルが咳き込んだ。
途端、サフィニアの右肩に、生暖かいモノが、じんわりと広がり、滲む。
「すまない……汚してしまった……」
せっかくの、綺麗な、君の服……。再度ソルは咳き込むと、ごっぽりと赤い液体を吐き出した。
力が入らず自身の体を支えることができなくなり、サフィニアに、ずっしりとソルの重みがかかる。
「あなた!」
サフィニアの視線の先──執務机の上に、倒れた陶器の小瓶が目に入った。
それは、演技でも冗談でもなく、全て、自分が招いた、最悪の結果──。
悲鳴をあげるサフィニアとは対照的に、穏やかな表情で、ソルはサフィニアによりかかったまま、目を瞑る。
あぁ、少し、寒いな……。
けれど。
「最期に……」
あえて、よかった。




