第五十四章 暗黒歴史
がくがくと躰が揺すぶられる。
なんだか頭の上が騒々しくて、ルクレツィアはうっすらと目を開けた。
毒なのか薬なのか──意識や思考がはっきりしないうちに、定期的になにかを口に入れられ、抵抗できぬまま飲まされ続ける……そんな行為が何度も何度も続き、正常とは言い難い状況のルクレツィアでさえ、「五月蠅い」と、感じる、甲高い声……。
「ラン……ビリジャ……」
「──たはッ! 知っ──たので──……」
何を、言っているのだろう……酷い剣幕のサフィニアが、普段からは、考えられないほど半狂乱で何かを叫んでいるのだが、うまく聞き取ることができず、ルクレツィアは煩わしそうに目を瞑ると、再び意識は、深い闇の中に沈んでいった。
◆◇◆
意識を失い、がっくりと力尽きるルクレツィアに、思わずサフィニアは舌打ちし、立ち上がった。
支えを失ったルクレツィアが、どさりと石畳の堅い床に転がる。
元素騎士……指揮官としての経験値が少ないことは、誰が見ても否定できないのだが、膨大な情報収集能力と、その中から冷静に必要な情報を的確に選び取る能力。そして、|ヴァイオレント・ドール《VD》の操縦技術に、純粋な白兵戦の戦闘能力……。
サフィニアから見て、騎士としてのルクレツィア=オブシディアンという人間の評価は、お世辞を抜きにしても高い。
故に、ルクレツィアを無力化するため、薬を与えることを命じたのは、紛れもなく自分ではあるが……。
「これは……どうみても効きすぎですわね」
薬量を少し減らすか、回数を減らしましょう。会話すらまともにできない状況に、サフィニアの口から、思わずため息が漏れた。
「しかし、アレイオラからは、操者を殺し、闇の精霊機を献上せよと……」
「突っぱねなさい」
きっぱりと、サフィニアは兵に答える。
「彼女はね、ある種の切り札なの。利用価値がある。……色々とね」
今は亡き、トレドット最後の皇帝の直系の血を引く孫娘。
女性が苦手であるとはいえ、フェリンランシャオ皇帝ユーディンの再従妹。
そして……精霊機に宿る神をその身に降ろした、青年との仲睦まじい様子……。
彼女がこちらにいる事を知れば、フェリンランシャオ側は、下手に動くことができないだろう。
「そんな事より、今はデメテリウスです。誰が、私の精霊機を盗んだか!」
自分がアレイオラ側についたこと、どこの誰が見抜き、そして、どうやって、精霊機を奪い去ったのか……。
苛々と、サフィニアが歯を食いしばった。
「格納庫の試作型の調整を、急いでくださいまし」
一瞬、夫の顏が、サフィニアの脳裏をよぎる。
しかし、サフィニアは雑念を払うよう、ぶんぶんと頭を振った。
「私が、直接出ますわ」
◆◇◆
『ふぅ、行ったようだな』
『なんで! 貴方が! 此処に居るんですか!』
サフィニアを見送るように、ひょっこりと赤い髪の青年が物陰から現れ、そんな彼の後ろで、同じく長い赤い髪のミカが、その髪をわなわなと震わせ、怒鳴った。
もっとも、二人とも通常の人間には見えないし、声も聴こえないので、忍ぶ必要など、無いのだが……。
『ったく、誰だよアンタ。ワシの同類? 嬢ちゃんの守護霊かなんか?』
『貴方なんかと、一緒にしないでください! ジンカイト=ゴールデンベリル!』
えぇ? と、ジンカイトが目を見開いて驚いた。
『なんでワシの名前知ってるの? しかも、よりによってそっち……?』
やだ……ワシ、有名人?
トゥンク……という効果音がつきそうな仕草をわざとらしくして、ジンカイトが体をねじるのだが、その言動が、ミカの怒りにさらに燃料を大量投下。
『おだまりなさいッ!』
「う……うるさいなぁ……」
小さなかすれるような声で、ルクレツィアの声が漏れ、思わず、二人は『シーッ!』と、お互いに人差し指を立て、口に当てた。
『嬢ちゃん。大丈夫かい?』
『ルクレツィア様。お加減は如何ですか?』
ゆっくりと深呼吸をしながら、ルクレツィアは答えた。
「大丈夫……さっきよりはマシ……」
二人とも、知り合いだったんだな……と、ルクレツィアがぎこちなく笑うと、ジンカイトはきっぱりと首を横に振る。
『いや、ワシ、ホント知らんぞこの人』
誰これ……と、遠慮なくミカを指さすジンカイト。
対してミカは、キッ! と、仇でも見るように睨みつけた。
ああ……そうだった。と、ルクレツィアは思い出す。
そもそも、モルガが『伝説級』と呼ばれた所以を。
モルガやその兄弟たち。そしてなにより自分が見えるようになったせいで忘れていたが、ミカたち精霊機に宿る封印者の存在を知る者など、過去にはほとんど存在しなかったのだ……。
故に……。
「ジンカイト殿……ミカは、ハデスヘルの精霊です……」
『へ……このねーちゃんがか?』
元闇の元素騎士が、ミカの事を知らないのは、当然の話。
まじまじと珍しそうに見つめるジンカイトに、ミカは露骨に嫌そうな顔を向けた。
『……なんで、そこまでワシを嫌うかのぉ?』
『なんでって……それは、ギード=ザインがシャダイ・エル・カイにとっての凡ミスなら、|ジンカイト=ゴールデンベリル《その男》は、エロヒム様にとっての暗黒歴史だからです!』
暗黒歴史……とんでもない単語の羅列に、ルクレツィアはも思わず絶句。
『そこまで言うかよ』
そっちが選んどいて酷い……と、ジンカイトもうなだれた。
熱を帯びたミカは、ジンカイトにびしりと指をさし返し、彼女にしては珍しいほど激しく叫ぶ。
『ルクレツィア様! この男は! 元素騎士に選ばれて間もなく、任務そっちのけで、当時、次期神女長最有力と言われていた巫女を誘拐したんです!』
『人聞き悪いこと言うなーッ!』
思わず、ジンカイトが怒鳴った。
『せめて『駆け落ちした』とゆーてくれッ!』
『駆け落ち? 駆け落ちはもっと、素敵で、ときめいて、ロマンチックなモノだと、聞いています! あんな被害甚大かつ、はた迷惑な駆け落ちがありますかッ!』
いや……客観的に見ると、ときめいているのは駆け落ちしている本人たちだけで、大体置いてかれてる周囲は、ものすごくはた迷惑に感じるものだと思うけど……と、だんだん脳が覚醒してきたルクレツィア。
物語が好きな事は知っていたが、ミカの夢見がちな一面を知り、思わずふきだした。
『ルクレツィア様?』
「ゴメン。大丈夫。……とりあえず、納得した」
モルガが……否、ヘリオドールの兄弟たちが、何故、精霊機の精霊と意思疎通ができるほど相性が良いのか。
「きっと、モルガは……モルガ達は、神女長の候補になったという、その母上に、似たのだな……」
神女長。神に仕える、巫女たちを統べる長。
真偽はさておき、歴代の神女長の中には、『不思議な力を持っている』者もいたと、まことしやかにささやかれている。
何故、そこで、突然モルガの名前が出るのか。
今度はミカが、怪訝そうな表情を浮かべた。
「ミカ……ジンカイト殿は、モルガのお父上だそうだ」
『……へ?』
フフンと、得意げに笑うジンカイトに、今度はミカが、『えーッ!』と、素っ頓狂な声を上げた。




