第五十三章 夢魔
騎士になって……いや、元素騎士に、選ばれて。
煽てる人間。媚びる人間。
なにかとそういう人間が、自分の周りに増えたと思う。
しかしながら──我ながら悲しいことに、神女長に選ばれた双子の姉とは違い、何の取柄もなく、自分自身に大して魅力がないということは、子どもの頃から嫌というほど思い知らされていたので、表面上は舞い上がりつつも、一方ではその状況から一歩引いて、自分の置かれた様子を、冷静に眺めることができた。
案の定、元素騎士の位を剥奪され、降格したとたん、一斉に皆、距離を置き、自分の前から姿を消した。
その女も、自分に媚びる、つまらない人間の、一人だった──はずだった。
◆◇◆
「お会いしとう、ございましたわ……ギード様……」
呆然と立ち尽くす自分に、涙を潤ませて縋りつく女。
薔薇のような華やかさは無いが、菫のような愛らしさ──我ながら、女を花に例えるなんて、いつからそんな雅な人間になった……と、ギードは苦笑したが──とにかく、そんな印象の女だった。
見覚えはある。
元素騎士であったころ、その地位に目が眩み、自分に近づいてきた人間の一人。
しかし、名は、なんだったか──『情事の相手の一人』程度としか認識していなかったせいか思い出せず、ギードは眉間に皺を寄せた。
(ったく、夢にしたって、なんで今更こんな……)
夜の相手はこの女だけではなかったし、それこそ、華やかな薔薇──もっと、とびきりの美人も居たはずなのに。
女はそんなギードに気付いた様子もなく、力いっぱい、抱きついてくる。
「可愛いヤツだな……そんなにオレに会いたかったのか?」
名前を思い出せない後ろめたさを感じつつも、ギードはいつものように、言葉だけの愛を囁いた。
しかし、ギードの言葉に頷く彼女の口から紡がれたのは、ギードにとって、予想外の言葉。
「致し方ありません……」
女は、細く冷たい指で、ギードの頬をなぞる。
「だって神の憑代を手にかけた私は、永久に神罰を、受け続ける身ですから……」
その指の先が、ボロリと崩れて砂になった。
「な……」
驚くギードをよそに、彼女の崩壊は、どんどん進む。
細い彼女の腕を掴んだが、ざらりとした水を含んだ砂を握るような触感で、ボロボロと崩れた。
「嬉しい……気づいてくれた……お会いしたかった……私の愛おしい御方」
……どうか、お健やかに。
満面の笑顔を浮かべ、そしてついには完全に砂と帰した彼女。
彼女が撫でたギードの頬を伝って、はらはらと水滴が零れ落ちた。
ごしごしと袖で拭い、ギードは目の前に広がる暗闇を見据える。
──|Soli ei soli《土は土に》,|cinis ut cinis《灰は灰に》,|pulvis et pulvis《塵は塵に帰るべし》──
葬送の文言だというその言葉を、ギードは噛みしめるように心の中で反芻する。
しかし、自分は、彼女に涙を捧げる資格など、無いだろう。
ギードはついぞ、彼女の名前を思い出すことができなかった。
◆◇◆
「こんな所に居やがったか……」
ようやく、見つけた……。ぼんやりと照らされて浮かび上がる紋様の上で、とぐろを巻いて、静かに蹲るように眠る、禍々しい真っ黒で巨大な体躯。
ディスプレイ越しとは違い、近づくたびに、ざわざわと背筋に冷たいモノを感じ、ギードは唾を呑み込んだ。
周囲に複数の、何かしらの気配を感じた。しかし、ギードにはそれが、何かまでは、解らない。
一瞬、ギードを一瞥するように巨大な赤い目が、うっすらと開かれる。
しかし、大して興味を抱かなかったのか、そのまま再び、その目は閉じられた。
「おいコラッ!」
手を伸ばし、漆黒の鱗に覆われたその身に振れる。
一瞬、報告に聞いたルクレツィアの左腕を思い浮かべたが、構うものか。
しかし、自分の右手は何事もなく、無事。その代わりに、先ほどの女が、鬼の形相でモルガナイト=ヘリオドールに襲い掛かり、逃げ惑う彼のその左胸に、振りかざした銀の刃を突き刺す映像が、ギードの脳裏に直接流れ込んでくる。
「……なるほど、な」
モルガの躰に、深々と刃を突き立てた瞬間、彼女の肉体は白い砂と化して崩れ、バラバラと地面に散らばった。
否。
よくよく見ると、砂の中に、小鳥の卵くらいの大きさの、鈍く輝く赤い石が落ちている。
モルガは、よろめきながらその『宝石』を拾い上げ、口に含み、ごくりと飲み込んだ。
ざわり……突如、周囲の気配が揺らぎ、薄まる。
ギードに流れ込む映像はぷつりと途切れ、目の前の巨体が、ゆっくりと動き始めた。
「おい」
ギードの声に反応して、先ほどの宝石のような、深い赤の瞳が、虚ろげにギードを見つめる。
「お前は、何だ?」
モルガは首を傾げながら、ギードの言葉を、反芻するように聞いた。
「お前は、シャダイ・エル・カイか? アィーアツブスか? それとも……」
──|モルガナイト=ヘリオドール《人間》か?
◆◇◆
「……い、おい!」
べちべちと自分の頬を叩くソルの顔が異様に近く、ギードは思わず飛び起きて後ずさった。
「大丈夫か? 格納庫にたどり着くなり、急に倒れて、いびきをかきはじめたんだが……」
あれだけの大立ち回りを、夜通し精霊機ではない模造品でやってのけ、生き残った男。
確かに疲れているだろうし、無理を言って付き合わせていたのはソルの方ではあったが。
「なんなら、医務室に……」
「いや。大丈夫だ……」
頭を振るギード。いつにもなく真面目な表情で、ジッと、ヘルメガータを睨みつけた。
甘く見ていた。
姉から神なる存在を聞かされた時は、正直眉唾な話だと思っていたし、使えるモノなら使っておけくらいの感覚だった。
確かに、使い方次第では、対アレイオラにも、国内での切り札にも使えるだろう。
しかし──。
「ナニ……ガ、イイ?」
感情の籠らない、問いかけ。
「オマエハ、何ヲ、ノゾム?」
虚ろな赤い瞳。
「創造主ノ望ムトオリ、我ラハ、愛シキ者タチニ、与エヨウ。……邪神ヲ望ムナラ、邪神ヲ」
黒い鱗がバラバラと剥がれ落ちて、淡く輝く金の鱗が現れた。
「神ヲ望ムナラ、神ヲ」
美しい白銀の羽がはらはらと舞い崩れ、見知った顔が、虚ろに微笑む。
「人間ヲ望ムナラ、人間ヲ」
モルガが、ギードの涙の痕を、指でなぞった。
途端、その姿が、砂のように、ざらりと崩れて消える。
それは、まるで、先ほどの女のように──。
一人残されたギードの耳に、声だけが響く。
「我ラハ、鏡。ヒトヲ映ス、鏡ナリ……」
「……ド、ギード=ザインッ!」
ハッと、ソルの言葉に、ギードは我に返った。
すぐに、何でもないと、首を横に振る。
「ああ、本当に、何でもないんだ……ただ」
──『創造主』とやらは……精霊機の、製作者は。
「想像以上に、根性が捻くれてやがる」




