第五十二章 裏切りの騎士
暗闇の中に、ぽつりと浮かび上がる、一つの作業机。
背中を向けた一人の男が、何やら熱心にその机に向かっている。
モルガの気配に気づいたのか、前のめりに固まったその背中を、男は椅子にもたれて反り返らせて伸ばした。
そして、視線の合ったモルガに向かって、人懐っこそうなその目を細め、口の端をあげて、ニヤリと笑う。
「どうした?」
近づき、見上げる小さなモルガの頭を、男はわしゃわしゃと撫でる。
ジッと無言で見つめるモルガの視線の先に気付き、「ああ……」と、モルガと同じ、赤い目を細めた。
作業机の上には、男が、今しがたまで組み上げていた、一丁の銃。
モルガは無言であったが、ジッと、その銃を見つめている。
「ダメだ」
手を伸ばすモルガに、淡々と男は言うと、取り上げるように、その銃を、作業机の上──モルガの手の届かない棚の上に置いた。
「お前にゃ、まだ早い」
そもそも……。ため息を吐きながら、男は、感情の無いモルガを、ぎゅっと抱きしめる。
「ワシは、お前に「作ること」と「直すこと」は教えたが、「壊すこと」は、教えんかったはずじゃがのぉ」
初めて、モルガの口が、男の言葉に反応したように、小さく動いた。
「思い出せ。モルガ。ワシが、教えたことを」
口はパクパクと小さく動くが、声までは聴こえない。
そうしているうちに、モルガの姿が薄れて消えて、男は目を細めると、小さくため息を吐いた。
「さて、嬢ちゃん」
びくり……突然声をかけられたルクレツィアは、目を見開いて震えた。
「わ、私が見えるのか?」
「もちろん」
何時であったか──てっきり、以前精霊機の中で視た、モルガの過去の、光景だとばかり思って、傍観に徹していたのだが。
豪胆そうな男は、ケラケラと面白そうに笑い、じぃっと、小柄なルクレツィアを見下ろした。
「ワシは、ジンカイト=ヘリオドール。モルガの父親にて、親父と兄貴から継いだ『名工ヘリオドール』の名を、背負って守った先代技師。そして……」
男……ジンカイトの輪郭が、突然、ぼんやりと歪む。
再び現れた彼の姿に、ルクレツィアは目を見張った。
男女の意匠の差はあるものの、身に纏うは、ルクレツィアと同じ、黒い元素騎士の制服。
「極めて短期ではあったが……かつて、ジンカイト=ゴールデンベリルを名乗り、闇の元素騎士であった者」
名残を残した赤い目を、先ほどと同じよう、人懐っこそうに細めて、自分と同じくらいの年齢の赤い髪の青年が、そっと手を伸ばした。
「そちらの少々やっかいな状況に加え、モルガのムラのある出力故、どれだけ自分が力になれるかは判らんが……とにもかくにも、よろしくな。後輩」
◆◇◆
どうしてこうなった……と、自分でも何度目かわからないため息を吐きなたら、デカルトはガシガシと、自分の頭をかく。
目の前には迫りくる、同盟国の正規軍のVD。
「小隊長! これは一体全体、どうしたことですか!」
「わかりませーんッ! オレが一番知りたいです!」
背後からビシビシ感じる、無言のヨシュアの鋭い視線。気になってしょうがないが、今はそれどころではない。
「どう考えても、小隊長の精霊機が、原因だと思いますけど!」
先ほどから、ビシバシ辛辣な言葉をぶつけてくる部下たちに、半ば自棄でデカルトは叫んだ。
「で、しょうねぇ!」
舌打ちをしながら、今まで自分が乗っていたエラトには搭載されていない──否、今まで使ったことのない弓を、出鱈目に構え、デカルトは矢を放つ。
フェリンランシャオの援軍がメタリアに到着後、ルクレツィアをはじめとした数人が城へ向かい、残りの者たちはドックで待機。
当然、デカルトもその待機組であったのだが、突然現れたヨシュアに、これまた唐突に現れたデメテリウスにぶち込まれ、それから間もなく、助ける相手であるはずであったメタリア軍からの奇襲に合い、現場は大混乱に陥っていた。
デカルト率いるアルヘナ隊は、『どう考えても原因』の隊長に文句を言いながらも冷静に対応。周囲の小隊と連携を取りながら、徐々に態勢を立て直す。
「動けるドックを守りつつ後退。オレたちはそれぞれが、陛下の兵だ。命を大事に! 全員が、この事態を……メタリアの裏切りを、陛下に伝える義務がある!」
何故、たかだか一小隊を率いる隊長が、精霊機を駆り、指示を行っているのか……皆疑問には思う。しかし、迫りくる元同盟軍相手に、数を減らすのも時間の問題と思われた。
『何故、真正面から戦わぬ』
ヨシュアの言葉に、はぁ……と、思わず、デカルトはため息を吐いた。
デカルトの態度が気に入らなかったのか、巨躯の男は、ムッと眉間にしわを寄せる。
「あのですねぇ、真正面からぶつかって戦って死ぬほど、アホな事はないと思うんですよオレは」
もちろん、同盟相手だと安心しきって、完全油断していたこのザマが、アホではないとは決して絶対に言えないけれど……。と、デカルトは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「今回の目的は『援軍』だった。その目的が反故になった以上、この場をかいくぐって一生懸命『生き残ること』は、オレたちにとって、立派な戦争なんですよ」
理解できないものを見るような顔のヨシュアに、「理解できなくて結構」と、デカルトは初めて、彼に対して強気に笑った。
◆◇◆
「うん……?」
目を開けたルクレツィアに、安堵の表情を浮かべる女性。
「……ミカ?」
『はい。此処に』
気怠く、体中が重い……。
『無理に体を動かしたり、話さないで……私の姿は、貴女以外には、誰にも見えませんから……』
そう、だったな。サフィニアに殴られた事を、記憶の片隅からぼんやりと思い出す。
『現状の報告を。ルクレツィア様。貴女は今、囚われの身です。死ぬほどではありませんが、薬を盛られていますので、決して無理をなされませぬように……』
そうか──殴られただけにしては、どうりで異様に身体が動かないと思った。
『サフィニア様は、アレイオラについた模様です。どうやら、メタリア皇帝が崩御して間もなく、メタリアはアレイオラに陥落した模様で……そのまま……』
「家族……人質……」
ええ。と、ミカは、小さな声の、言葉数の少ないルクレツィアの意を感じ、頷いた。
サフィニアにとって、|崩御されたジェダイ帝の妃《義理の妹》と、|妃の間に生まれた姫君たち《二人の姪》。そして、実の母と妹……。
『五人は全員存命しているものの、アレイオラ本国に、送られたとのことです』
そう……。ルクレツィアは、小さくため息を吐く。
生きているのは喜ばしいことだが、しかし、それ故に、サフィニアは二つの家族を天秤にかけ、そして、『フェリンランシャオ』ではなく、『メタリア』を選んだ。
とても、苦しかっただろうな……サフィニアに同情しつつも、再度、朦朧とし始めた思考で、ルクレツィアは口を開いた。
「ミカ……教えて欲しいことが……」
『はい。なんでしょう?』
ルクレツィアを安心させようと、つとめて優しく、笑っていたミカであったが。
「ジンカイト……という名の騎士に、憶えは……?」
とたん、ミカの表情が、無になる。
『ど……どこで、その名を?』
あからさまに狼狽えるミカに、ルクレツィアは、ほんのりとほほ笑んだ。
「今度起きたら……教えてあげる……」




