第四十四章 暗中模索
「は、班長……?」
部下の一人が、ぎょっとした顔を向けた。
格納庫の整備室に現れたソル。小柄な彼の背中には、半分引きずるように背負われた、茶色の髪の、見たことのない男。
ぜーはーと、息をきらせながら、ソルは男を床に転がした。
ソルの目から、何故かボロボロと、涙がこぼれる。
「ど、どうしました……」
「なんでもないッ! とりあえず、まずは、ドックのエンジン修繕の状況報告!」
ハッ! と、部下が敬礼し、現状を報告し始める。
ソルは、目をごしごしと擦って、涙を拭った。
自分には、サフィニアの『声』があった。
こちらがどれだけ拒絶し、心を沈み閉じても、優しく……時には無理矢理強引に引き上げる、救いの手。
現状、視覚と聴覚を『拒絶』しているモルガに、正確に『認識』させることは難しい話ではある。
でも、認識させる方法が、皆無というわけでもない。
機械油の臭いで充満した格納庫。移動するVDや整備機械による衝撃や、細かい振動。
モルガが憧れ、求めた世界が、此処にある……。
「コイツの事は気にするな。そのまま、邪魔にならないところで転がしとけ」
「了解いたしました。えと、この方は……?」
「地の元素騎士、モルガナイト=ヘリオドール」
はぁッ? 目を見開いて驚く部下をよそに、フンっと、ソルは、照れくさそうに鼻を鳴らした。
「……ただの、オレの弟子だ」
◆◇◆
「お待ちしておりました」
出迎え、頭を下げようとする部下に、「そのままで」と、ルクレツィアは止めた。
「いきなりで悪いが、現状報告を頼む」
は。と、移動しながらルクレツィアは部下の──サフィニアと別れて以降、兵たちを率いていた壮年の男の報告に耳を傾けた。
「ラング・ビリジャンは、緑宮軍のベラトリックス隊、メイサ隊、ミラ隊、バテンカイトス隊、闇宮軍のアルフェラッツ隊とミラク隊、光宮軍のミルファク隊とアルゴル隊、あとは隊に関わらず、機動性の高い機体を持つ騎士を選抜し、メタリアの帝都へ向かわれました」
部下の言葉に、ルクレツィアは顔をしかめる。
隊のみの単純計算ではあるので、実際はそれよりも多少は多いだろうが、先行派遣された全体の、十分の一にも満たない人数……。
「此処に、ジェダイ様の、戦死の報が入ってきたのは……?」
「ラング・ビリジャンが出発されて、半日ほど……といったところでしょうか……」
サフィニアのデメテリウスは、万能型──バランスのとれた機体だ。
蛇腹剣による中距離~接近戦や、弓による遠距離戦等、攻撃範囲や武装のバリエーションは幅広い。
しかし、それは逆に言えば、可もなく不可もなく。
ヘルメガータのように固くもなければ、アレスフィードのように極端に素早いワケでもなく、ヘパイストのような|圧倒的な物理的破壊力を持つわけ《パワーファイター》でも無い。
機動力の高い機体を連れて行ったとしても、デメテリウス自体の移動速度を考えれば、サフィニアはメタリアの帝都到着前に、ジェダイ帝の死を知った可能性が高い。
彼女は兄に次ぐ、フェリンランシャオの優秀な司令官だ。迂闊な行動はしなだろうし、分の悪い賭けに出ることも無い。
しかし、今回は……。
顔をしかめるルクレツィアとは対照的に、ところで……と、部下が、晴れやかな笑顔でルクレツィアに口を開いた。
「リイヤ・オブシディアン。よくここまで、一人で迷わずにたどり着けましたね」
「……」
おめでとうございます! とでも言いたげな部下に、久しぶりに言葉を詰まらせながら震えるルクレツィアの隣で、優秀なナビゲーターが、何と言っていいものか……と、苦笑した。
◆◇◆
「……」
第五整備班の面々に、モルガとソルは囲まれていた。
ソルが、ざっくりと簡単に、モルガの現状を説明した……のだが。
「うぅ……」
「頑張ったねぇ……モルガ君……」
ある者は涙をぬぐい、また、ある者はずびずびと鼻をすする。
「お前らが、そういう話に弱いとは、思わなかった」
冷めた表情……少々引きつらせつつ、ソルが口を開いた。
当のモルガは、背中をぴったりと壁につけて、ぼんやりと座ったまま、やはり動かない。
しかし、なんとなく今自分がいる場所がどこか理解して落ち着いているのか、先ほどのように、モルガに振れただけで一方的な情報過多に襲われることは無かった。
「っつーか、そういうことなら、大歓迎っスよ! 班長」
「そうそう。班長の弟子っつーことは、巡り廻ってオレたちの後輩! 元素騎士様の先輩になれるなんて、滅多に無い状況でしょうし」
「タテマエ上、本業は元素騎士でも、本人の希望進路はコッチなわけでしょ? なかなか将来有望そうだし、良いんじゃないっすか」
あっけらかんと受け入れる部下たちに、逆に不安を感じながら、ソルは口を開いた。
「じゃあ……」
一同、首を縦に振った。
「ようこそ! 第五整備班へ!」
ソルは無言で、隣のモルガの頭を、ぐしゃぐしゃと撫でた。
◆◇◆
「おや。珍しいお客さんだ」
黒に近い茶色──先ほどの少女と同じ色の目を細め、父は笑う。
チェーザレは、父の管理する書庫を訪ねた。父の他には人の姿は無い。
「明日は、雨、かな?」
「それは結構。帝都が干上がらなくて済みます」
息子の口の悪さに、父は肩をすくめた。
もっとも、今に始まったことでもないので、特にお互い、気にした様子はない。
「そんな事より父上。少し、調べたいことがあるので、太古の創造神の話や、精霊機、精霊関連の資料をお願いしてもいいでしょうか」
息子の言葉に、父は目を見開いた。
「えぇ、そーでしょうとも。自分でも認めますよ。ガラにも無いことやってるって」
はぁ……とため息を吐き、チェーザレは椅子にどっかりと座った。
できる事なら、もう少し、ダァトから直接、色々と話を聴きたかった。
荒唐無稽──と言ってしまえば簡単だが、実際、奴が精霊機とその神の管理をしているのは間違いなさそうではある。
しかし、その話を、まるっと鵜呑みにするのもどうかと思われたので、チェーザレとしては、裏付けが欲しく、頭をよぎったのが、父の管理する、この宮殿の図書室であった。
……というか、そもそも、デウスヘーラーがちゃんと答えてくれれば簡単なのだが──奴らが自分の目の前に現れ、吐かないのが悪い。
はぁぁ……と、盛大にチェーザレはため息を吐いた。
最初にイシャンバルが滅びて千年。精霊機が作られて、約二千年。
過去に遡れば遡るほど、正確な出来事は、解らなくなる。
否。
(たかだか五十年前でも、既にあやふやではないか)
自身のルーツである亡国を思い、苦笑を浮かべた。
父ですら、生まれてはいるが、憶えてはいない。
父が物心ついたときには、既にフェリンランシャオで生活をしていた。彼の生活様式は、その頃からほぼフェリンランシャオに準じたもの。
ムニンのトレドットの知識は、他者からの伝聞がほとんどであり、自身の経験から得たものなど、皆無に等しいだろう。
「ねぇ、チェーザレ」
突然、その父が口を開いた。
手にはいくつかの、古そうな書物が抱えられているが、視線は、本棚に向けられたままだ。
「たまには、ウチに、帰っておいで」
あの家は、一人じゃ、広すぎるから。
父の言葉に、思わずチェーザレは、虚をつかれた。
いや、母は随分と前に亡くなってしまったし、ルクレツィアも元素騎士に選ばれ、執務室を得て、自分同様、そこで寝泊まりしているのだから、言ってしまえば、当たり前の話ではあるのだけれど。
しかし、残された父の事を、言われてみれば、考えたことがなかった。
「……善処、しましょう」
まさか、肯定的な言葉が返ってくるとは思わなかったムニンは、思わず、窓の外を見上げる。
落ちかけた太陽が赤く輝く空には、雲一つ無かった。




