第四十三章 ソル
「って、ことがあったの!」
キラキラと目を輝かせる妹に、モリオンとカイヤが、顔を見合わせて苦笑を浮かべた。
「それにね、わたしの事、「お嬢さん」……だって!」
キャーッ! っと、サフィリンは顔を赤らめて、悶える。
チェーザレはあの後すぐに帰ったそうだが、サフィリンは終始、こんな調子だった。
光の元素騎士──チェーザレ=オブシディアンといえば、元素騎士の隊長にて、亡きトレドット帝国最後の皇帝の血を引く直系男子。世が世なら、皇太子だったかもしれない人物。
にもかかわらず、早い者は十歳を迎える前に婚約が決まると言われる貴族社会において、齢二十でありながら、ことごとく婚約が破談になるという、地雷──げふん、未婚の男。
彼の噂は、帝都の庶民にも広まっている話であるし、マルーンから出てきたばかりのカイヤでも、彼に関する話は、何度か耳にしている。
うん、子どもの夢を、壊してはいけない。なにせ、可愛い妹の『初恋』なのだから──。
モリオンとカイヤが頷いたその時、舌打ちをしながらスフェーンが口を開いた。
「やめとけ。奴はいけ好か……」
同族嫌悪の似た者同士──チェーザレの本質を瞬時に見抜いたスフェーンだが、サフィリンは背の高い兄の長い脛を、おもいっきり蹴飛ばした。
「痛った……サフィリンッ!」
幸いにも、蹴られたのはトラファルガー山の噴火の際、地震で怪我をした逆の足ではあるが、身動きできず、痛みに悶える兄に、べーッ──と舌を出して、サフィリンは部屋を飛び出す。
「あのお兄ちゃんは、サフィリンの、白馬に乗った王子様なの!」
「はぁ?」
ふざけんなッ! ──足を引きずりながら末の妹を追いかけるスフェーンを見送り、カイヤが微笑ましそうに笑った。
「白馬……ねぇ……」
「確か、あの方が乗ってらっしゃるのは……デウスヘーラーですよね?」
お姉ちゃん……そういう話じゃない……。がっくりと肩を落として、カイヤがため息を吐いた。
◆◇◆
医務室の扉を、ソルが開く。
珍しい人間の来訪に、一瞬、室内がざわめいた。
「なんだ、その顔は」
「いえ……その、班長殿がこちらにいらっしゃるとは、珍しいと思いまして……」
衛生兵たちは、一斉にソルから視線をそらした。
「まぁいい。とりあえず、酔い冷ましの薬はあるか?」
あぁ……と、衛生兵の一人が頷いた。
「……お気持ちはわかりますが、深酒は、程々に」
「貴様に言われなくても、わかっているッ!」
ソルに怒鳴られ、衛生兵が震える。
しかし、そんな彼をそれ以上問い詰めることもなく、ため息を一つ吐くと、ソルは諦めたように──しかし、声を張り上げて、怒鳴った。
「……ついでだ。ラジェ・ヘリオドールに会わせろ」
◆◇◆
隣接する病室の寝台に横たわるモルガは、ぼんやりと天井を見つめている。
二人きりにしてほしいと人払いをし、隣の寝台に腰かけ、彼の様子を観察した。
──そして。
「これでは、廃人同然ではないか……」
微動だにせず、近づいたソルの存在を認識しないモルガ。
ソルは目を細め、ため息を一つ吐く。
自分が破門を撤回しなくとも……。
「モルガナイト=ヘリオドール……貴様の、技師への道は、既に途絶えた」
立ち上がった拍子に、ソルの指先が、一瞬、モルガの手に触れた。
ピリッと、電気のようなモノが走り、何かが、ソルの視界に映る。
「し……しょ……」
モルガの口が動き、彼の手が、空間を彷徨った。
おそるおそる、ソルは彼の手を握る。
そして。
「うぇ……」
耐えきれず、ソルが口を押える。モルガの手を払いのけ、そして、部屋の端にある流し台に移動し、一気に吐いた。
優しく微笑むルクレツィア。
白い大地に、爆発、大破する無数の|ヴァイオレント・ドール《VD》。
人形を抱え、満面の笑顔の少女。
妖艶にほほ笑みながらナイフを振りかざし、そして石になり、砂となった女。
泣きながらついてくる、幼い少年。
見上げた青い空と、戦闘を繰り広げる|ヴァイオレント・ドール《VD》のシルエット──。
手を握った一瞬で、ソルの脳に、視界に、一気に情報が雪崩れ込んだ。
「貴様の走馬燈なぞ、縁起でもないモノを、オレに視せるな……」
そう、まさしくこれは、走馬燈だ。
「ししょ……し……しょ……」
空を切り、彷徨うモルガの手を、覚悟を決め、ソルは再度握る。
流れ込む、膨大な情報の洪水。
たかが人間の脳では処理しきれず、意識が何度も飛びかけたが、ソルはそれら全てを、受け止める。
「あぁ、そうか……」
ぜーぜーと荒い息を吐きながら、ソルは頭を抱えた。
「貴様は、自ら、その目を、その耳を、そして心を、塞いだか……」
頭を抱えた手を、そのまま、自分の目に、そして顔にずらす。
これでは、どうにもならない──否、どうにもできない。
◆◇◆
嗅いだことのある、強いにおい。
それが、師匠がいつも飲んでいた、酒の匂いだと気がついて。
ふと気がつくと、暗闇の中、子どもが立っていた。
赤い髪に、赤い瞳の幼い少年。
しかし、その目は、死んでいた。
彼の、その暗い目が気になって、周囲に纏わりつく気配を、モルガは読み取る。
同情、憐憫……そして、厄介、迷惑、煩わしさ……。
彼は、モルガの前で、徐々に成長していく。しかし、死んだ目に、光は灯らない。
その原因は、すぐに判明した。
「精霊の、加護が無いくせに!」
強い言葉を浴びるたびに、彼の瞳は暗く濁る。
「兄様は兄様です! 兄様は、そのままでいいんです!」
無邪気な妹が、じゃれつくように少年に纏わりつく。
しかし。
赤い髪に、朱色の瞳。
皇族色の瞳を持ち、周囲から一目置かれていた妹の無責任な言動は、蔑まれてきた少年にとって、煩わしさしか無かった。
ある時、少年は家を出た。
両親から数名の使用人を付けてもらい、追い出されるように別邸に移る。
そして、誰とも会わない日々を送ったある日、父に呼び出され、渋々宮殿に向かった。
似たような年齢の男子数名と一緒に引き合わされたのは、自分より少し年上の、一人の少女。
緑色の髪と瞳。身に纏うのは、|フェリンランシャオのものでは《見たことの》ない、民族衣装。
少女に向かっておべっかを使う他の男子を無視し、少年はぼんやりと窓によりかかり、ずっと、外を見ていた。
(……ここから落ちれば、死ぬだろうか?)
近頃、彼の脳は、そういう事ばかり考える。
「何を、見ていらっしゃるのです?」
少女の問いを、少年は無視した。
彼女はしきりに話しかけるが、少年の心には、届かない。
「貴方、最初から、私の方を一度も見てくださらないのですね……」
決めました。と、少女は微笑む。
「私、貴方の妻になりますわ」
何を言われたか、少年には、解らなかった。
「安心してください! 私、いつか絶対、貴方が私しか見えなくなるくらい、魅力的になってみせる自信がありますから!」
「……やれるものなら、やってみろ」
かろうじて絞り出した少年の声は、震えていた。
少女の言葉は有言実行で、徐々に、彼の凍りきった、荒んだ心を、溶かしていく。
いつしか、本当に、少年は、少女を──彼女を目で追うようになっていった。
彼女は、彼と出会う前から、精霊機の操者だった。
彼は、少しずつ変わってゆく。
まずは、VD技師の道を選び、勉強を始めた。
本当は、彼女を直に助けたかった。
けれど、自分には『精霊の加護』が無く、騎士にはなれない。
それに、僅かではあるが他人に心を許せるようになったとはいえ、直接的な支援は、彼の性格上、恥かしくてできなかった。
故に。
VD技師となった彼は、物理的な攻撃力や火力をあげる事より、操者の『生還率の向上』を目指した。
そうすれば、フェリンランシャオの兵は──彼女の部下は、死ななくて済む。
誰が生きて、誰が死ぬか──戦場に立つ兵個人の事情など、ソルの知ったことではない。
しかし、彼女の指揮下に入り、戦場で彼女の側で戦い、彼女を守る人間の数が減らなければ、遠回りではあるが──巡り巡って、彼女が生きて帰ってくる確率も、格段に上がってくるだろう……。
◆◇◆
なんじゃぁ……と、モルガは小さく笑った。
決して、ソルのことを、馬鹿にしているわけではない。
けれど。
師匠の志のきっかけも、これ以上もなく私的で、ひねくれて、たいがいじゃ、ないですか。
でも、きっかけなんて、きっと誰もが、ほんの些細なことなのかもしれない。




