第四十二章 兄たちの情感
医務室を出たルクレツィアは、再度、ユーディンの部屋を訪れた。
ノックをし、そっと扉を開け──そして──。
「あの……陛下……?」
唖然と見つめる視線の先には、執務机で静かに報告書を読むユーディン。
後ろには、仮面のアックスが控えており──。
そして──。
「その、それ……ギード、殿……?」
執務机の横に、VDを固定する為の太めの鎖でぐるぐる巻きにされ、固定されたまま気絶している、見知った大男。
「何、気にするな。誰が主か理解せぬ、少し躾と頭の悪い猛犬に、仕置きを与えているだけ」
修羅だーッ! ニヤリ──と、影のある笑みを浮かべたユーディンに、失礼の無いよう、ルクレツィアは、慌てて頭を下げる。
「で、何用だ?」
「は。……あの、陛下。先ほどのお話でございます」
はて? と、ユーディンは首をかしげるが、すぐに思い出して、頷いた。
「あぁ、ソルの妹が飛び込んできて、有耶無耶になった話か」
「はい」
恭しく、ルクレツィアは跪く。
ルクレツィアのみが先行し、サフィニアと別れた兵たちと合流、のちに、指揮をする──といった話。
「謹んで、お受けいたします」
ルクレツィアの言葉に、満足そうにユーディンは頷いた。
「では、三等騎士・オブシディアン。我らもドックの修繕が終わり次第、急いで向かう。頼んだぞ」
「御意」
退室するルクレツィアの背中を見送りながら、ユーディンはふむ……と、腕を組んだ。
「チェーザレとは違い、本当に生真面目すぎて、返答が面白みに欠けるな……」
「いや、非常事態の騎士に、面白みとか、求めんでくださいよ」
つまらん──と、視線を書類に戻すユーディンに対し、「ルクレツィアのねーちゃんの方が、普通じゃと思いますケド……」と、アックスはため息を吐く。
「なんだ? 貴様もそいつと一緒に、不敬罪で吊してやっても構わんが」
ぶるぶるぶる……と、首を横に振るアックスのリアクションを、ユーディンは、面白そうにニヤニヤと笑った。
「まぁ、赦してやろう。なにせ、『もう一人の余』曰く、余は、貴様の「お兄ちゃん」だ、そうだからな」
「か、勘弁してつかぁーさい!」
お兄ちゃん、という響きが、何やら修羅も、実のところは相当気に入っているようで、顔を伏せると、アックスには見えないように、彼はこっそりと嫌味無く、心の底からほほ笑む。
しかし、言われた側のアックスは、悲鳴に近い声をあげた。
「そがぁな怖い兄ちゃんは、スフェーン兄ちゃんだけで十分じゃ!」
◆◇◆
ぶぇっくしょい──と、赤い髪をきっちりと油で撫でつけた男が、大きなくしゃみをした。
「風邪か? ご自愛を……」
「うんにゃ。どうせたぶん、ウチの愚弟どもの誰かが、ウワサしょーるだけじゃろうと思います」
グスグスと鼻をこすりながら、スフェーン=ヘリオドールが、客──チェーザレに向かい合って座った。
ステラとの約束で、モリオンの工房にほど近く──お互い、徒歩で行き来できる場所に、スフェーンの工房は用意された。
中古の物件を改装したものだが、妹たちや、父の代から働いてくれている技師たちを引き続き住み込みで雇い、賄い、下宿させても十分の広さがあり、申し分はない。
「それで、何の御用でしょう?」
お茶を持ってきたカイヤが退室し、二人きりになると、突然訪ねてきた元素騎士の隊長に、スフェーンは目を細める。
「何、どこまで知っているかと、思ってな」
「どこまで、ですか」
チェーザレの言葉に、スフェーンは、さらに目を細める。
その漠然としたチェーザレの問いかけは、そのままスフェーンを試しているようで。
「では、どう答えればご満足でしょう?」
スフェーンの返しに、今度はチェーザレが、ヒュゥっと、口笛を吹く。
たった数回のやりとりで理解し、そして表情を、傍から見れば解らないレベルではあるのだが、お互いに強張らせる。
そう、自分と同類だ。相手すると、大変、非常に、めんどくさく、苦手なタイプ。
「なるほど……適当に受け答えしてお帰り願おうと思っとりましたが、そうはいかんようですの」
「いやはや……なかなか、頭の回る御仁のようだ。そうしてもらえると助かる」
バチバチと散る、見えない火花。
しかし、二人の間の緊迫した空気を壊すように、先ほどカイヤが静かに出て行ったドアが、突然大きな音をたてて開いた。
駆け込んできたのは、赤い髪の幼い少女。
チェーザレが見ても驚くほど黒に近い、濃く深い茶色の瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれる。
「サフィリン!」
「スフェーン兄ちゃぁぁぁぁんッ!」
サイレンのように大きな声で泣きながら、少女はスフェーンに飛びついた。
スフェーンが、うっすらと苦い表情を浮かべながら、チラリとチェーザレを見る。
「……どうぞ」
チェーザレが促し、「申し訳ない……」と、スフェーンが頭を下げる。
「どうした? サフィリン……」
スフェーンは椅子に座ったまま、十歳以上歳の離れた末の妹と同じ目線に屈み、頭を撫でる。
確かモルガが、八歳と言っていたか──チェーザレは、そっと兄妹を観察した。
「壊れた!」
「……カイヤねーちゃんにゆーて、直してもらいんさい」
がっくりと肩を落とし、スフェーンがため息を吐いた。
少女が兄に差し出したのは、動物を模した人形だった。八歳の少女が抱えるには、かなり大きなもので、重量もそこそこあるのか、彼女は一部、引きずるように抱えている。
「カイヤねーちゃん、モリオンねーちゃんのところに行って、いないの! ねー、兄ちゃん! 直して!」
「あんのぉ、サフィリン。兄ちゃんには今、お客さんが来とるんじゃが……」
引きつらせた顔のスフェーンに対し、チェーザレは少女に近づき、同じ目線に屈んで、彼女の人形をまじまじと見た。
「壊れたようには見えないが……」
「この子、本当は動くのよ!」
サフィリンは、人形をチェーザレに差し出した。抱えると、やはり子どもが持つにはそれなりに重く、ふかふかのやわらかな外装の奥に、何やら堅い物が触れる。
「モルガ兄ちゃんに、作ってもらったの!」
「ほう……」
器用だな……と、チェーザレは感心した。
と、同時に、再びじんわりと、少女の目に、涙がにじむ。
「どうした?」
チェーザレは「よしよし」と、小さな少女の髪を撫でた。
少女は自分の服の袖で、ごしごしと目をこする。しかし、その涙は、なかなか止まらず──。
「……兄ちゃんたちに、逢いたい」
少女の言葉に、チェーザレの手が、不意に止まった。
チェーザレは、静かに、少女の涙を指で拭う。
「そうだな……次に来るときは、必ず、アウインを一緒に連れてこよう」
そして、モルガとアックスも、帰ってきたら、何よりも優先して、すぐにお前の元に帰るよう、命じてやる。
「本当? 約束、よ!」
「御髄のままに。お嬢さん」
少女は目じりに涙を光らせたまま──しかし、素直に、にっこりと笑い、チェーザレもかすかだが、笑みを顔に浮かべた。
そして、暗に「また来るぞ」と予告されたスフェーンだけ、小さくため息を吐くと、眉間に深くシワを寄せた。




