第三十七章 休憩と、それから……
何かが、聴こえた気がした。
何かが、動いた気がした。
何かが、自分に振れた。
ぼんやりとした意識の中、何故か口が、自然に動いた。
「ル……ツィ?」
はて、『ルツィ』とは、なんであったか。口にしてふと、考える。
途切れ途切れの頼りない信号を頼りに、バラバラに散らばった情報を探った。
ルツィ……ルツィ……ルツィ……。
ふと、気がつくと、何かを握っていた。
……握る? ということは、そこに、自分の『手』があるのか……?
足は? 躰は?
考えているうち、そこが真っ暗な『空間』であることに気がついた。
はて、自分は今、『何処』にいるのか。
そもそも、『自分』は、何なのか。
「あ……あぁぁああ……うぁああぁあぁあ……」
疑問を追うたびに、何かが酷く痛む。あぁ、痛いのは『頭』だ。酷く、気持ちが悪い。
何かを握った手とは反対側に、別の何かが触れる感触がした。
冷たく、硬い感触。
其れが、自分の両手を、包み込むように握りしめた。
◆◇◆
「あ……あぁぁああ……うぁああぁあぁあ……」
モルガの口から、悲鳴のようなうめき声が漏れる。
ルクレツィアとルツを戻し、カイはモルガを前に呟いた。
「名とは、其れが何であるかを端的に表す記号」
カイは、ルクレツィアの指輪を握らせたモルガの手を、包み込むように握りしめる。
「モルガナイト。少々荒療治ではあるが……残された感覚を刺激して、近い場所から再生を試みる……」
モルガはカイを拒絶するように、握られた手を振りほどこうと体をねじった。
呼吸は荒く、体をのけぞらせ、悲鳴をあげながらのたうち回った。
「……今なら貴様を呑み込んで、完全に同化することもできるが……そんなことは、我の方から御免こうむる」
創造主から与えられた使命故、勝手に死なれるのは大変困るが……今の関係が、丁度いいと思わないか?
「ル……ツィ……」
「……そうだ。お前も、ルツィに、もう一度会いたいだろう?」
意識して出た言葉ではないだろうが──モルガのうわごとに、カイは相づちをうつ。
そして、震えるモルガを抱きしめて、翼で包み込んだ。
◆◇◆
「あぁ、こっちも終わったみたいだな」
「みたいだな……じゃないよー! もー!」
ぐったりと座り込んでいたユーディンが、ぶーぶーと頬を膨らませてチェーザレに文句を言った。
「……アックスは?」
チェーザレの言葉に、ユーディンは首を横に振る。
「わかんない……たぶん、アレスフィードに回収されたんだと思う」
よっこいしょ……と、ユーディンは立ち上がった。ものすごく疲れたが、ダァトの言葉通り、怪我一つない。
「ゴメン、どっか、眠れそうなトコ、無いかな……?」
「それなら、奥に。光と闇の操者よ……案内を頼む」
ダァトの言葉に、ルクレツィアが訝しむ。
「そんな顔をするな。我は、創造主より精霊機の調整と管理を任されし者。……少し、我と話がしたい精霊機がいるようでな」
しばし、時間が欲しい。と、ダァトが言う。
「話? カイか?」
否。と、ルクレツィアの言葉に、ダァトは首を横に振った。
「今回の要請は、エロヒムからだ」
闇の精霊機を見上げ、ダァトがふわりと宙に浮いた。
◆◇◆
『謁見、感謝する』
操者たちを見送り、エロヒムが口を開いた。
肉体を持たないエロヒムの代わりに、ミカが深々とダァトに頭を下げる。
「堅いな……エロヒムよ」
少しは、シャダイ・エル・カイとエヘイエーを見習ったらどうだ? ダァトの言葉に、ぶるりとエロヒムが震えたような声をあげる。
『まさか! 冗談にもほどがある!』
「そうだ。冗談だよ。……まったく。お前とエヘイエーは、本当に生真面目だな」
あぁ、先代の、エヘイエーだ。と、ダァトは付け加える。
『そのことだ……ダァト……』
エロヒムの態度に、ダァトはふむ……と、頷いた。
「先ほどの言葉は、本心から冗談だったが……お前は気負い過ぎだ。エロヒム」
不安なのだろう? と、ダァトはエロヒムの言葉を汲んだ。
「エヘイエーが代替わりした今、お前が精霊機を統べる筆頭であるし、元々性格的に反転を受け入れづらい気質であることも認めよう」
しかし、創造主がお前たちを、そう作ったのだ。
要らない機能など、最初から付ける必要はない……。
「たとえ、反転してしまっても……創造主が、お前たちを見捨てることは無いだろう」
『我は……我らは一体、いつまで創造主の再臨を待てばよいのか……』
我は、信仰を失う前に、創造主に相対できるのであろうか……。エロヒムの不安げな言葉に、ふむ……と、ダァトは頷いた。
「そう、遠い未来ではないだろう」
『本当か!』
エロヒムの声が、明るく響いた。しかし、ダァトは苦笑を浮かべたような声で、首を横に振る。
「落ち着け。エロヒム。そうは言っても、数年程度の話ではない……」
そうだな……と、ダァトは考える。
「五十年……否、四十年と少し……と、いったところか……」
とにもかくにも、創造主の再臨は、秒読み段階である。
「……我の言葉を希望に、もう少し、耐えてくれぬか?」
エロヒムは短く、『解った』と、小さく答えた。
◆◇◆
「完全」
「……復活」
数時間後。
テンションの高いエヘイエーと、ぼそりと呟くカイの落差に、思わずルクレツィアは苦笑を浮かべた。
アックスは黄金色に輝く無数の翼を羽ばたかせ、カイも白銀色の大きな三対六枚の翼をはためかせる。
「というか、どういうことだ? なんだこれは。エヘイエーはこんなのではなかったぞ!」
カイがルクレツィアに詰め寄る。
いつぞや、「変なの」扱いした応酬ではないだろうが、「こんなの」扱いに、アックスがムカッと顔を引きつらせた。
「悪かったのぉ! ワシ二代目! つか、肉体はモルガでも、シャダイ・エル・カイ! お前はエヘイエーの弟じゃけぇの! 兄ちゃんを敬うように!」
「はぁ? ふざけるな。貴様のようなちゃらんぽらんな兄を持った覚えはない!」
ややこしいなぁ……と、ルクレツィアが苦笑を浮かべた。
「その漫才、見ていて大変面白いのだが、兄弟喧嘩は後にしろ」
とりあえず、モルガナイト=ヘリオドールはどうなった? と、冷静に、チェーザレがカイに問う。
「モルガは……まだ出てこれる状況ではない」
「そうか。……では、またしばらく、貴様が代わりを務めることになるな」
そうだな……と、答えたものの、すぐに「ん?」──と、カイが眉をひそめた。
「貴様、何故、我がモルガのフリをしていたことを知っている? ルツィから聞いたのか?」
実はユーディン以外にはバレバレであったことを知らなかった神は、「面白くない……」と、唇を尖らせる。
『談笑中すまない!』
突然、闇の精霊機が外部出力を上げ、ルクレツィアの声で一堂に話しかけた。
『帝都のヘパイストから、緊急通信が入っている』
「わかった」
そう言うと、ハデスヘルに、ルクレツィアが飛び乗り、通信を開く。
「待たせた。ステラ」
「大変よ! ルーちゃん!」
通信先のステラが、おろおろと狼狽しながら口をひらいた。
「お義姉さまが……ラング・ビリジャンが……」
「ラング・ビリジャンが、どうかされたのか?」
サフィニアは、先遣隊として、メタリアに向かった──筈──。
ごしごしと、泣き腫らした目をこすり、ステラが口を開いた。
「先の戦闘で、メタリア皇帝ジェダイ様が戦死! お義姉さまと、連絡がとれないの……」




