第三十三章 ダァトの試練
「……というわけで、ちょっと予定変更。改めて出撃命令を出しまーす」
水を入れた革袋で頭を冷やしながら、ユーディンが改めて口を開く。修羅はなりを潜めて、いつもの幼い口調で、「報告よろしく」とチェーザレを促した。
「最果ての岬……ハデスヘルのデータと照合した結果、西海岸のカーディナル岬と判明した」
兄の言葉に、ルクレツィアもうなずく。
「あそこは、フェリンランシャオの旧都にほど近く、岬に開いた鍾乳洞は、神域として立ち入り禁止……ダァトの神殿はその奥深く……とのことです」
「……解った。えっと、メタリアにはもう駆けつける返事を返しちゃったから、出兵を伸ばすわけにはいかない」
ゴメン、と、ユーディンはサフィニアに手を合わせた。
「ラング・ビリジャン。君は先遣隊として、緑宮軍に加えて闇宮軍と光宮軍を連れて、メタリアに向かって欲しい。で、リイヤ・プラーナはチェーザレに代わって帝都防衛。君には火宮軍と地宮軍の指揮権をあげる」
|ラング・オブシディアン《チェーザレ》および、|リイヤ・オブシディアン《ルクレツィア》。
「君たちは、ボクと一緒にカーディナル岬へ……補給も護衛ナシ。正真正銘三機のみで、だ」
頼りにしてるよ。と、ユーディンは二人を見て、頷いた。
不服あるならば……我の試練を、受けるならば……『最果ての岬』の、我の神殿まで、来られたし……。
意識が途切れる間際──もう一人の自分の奥で聴いた、ダァトの言葉を心の中で反芻する。
「不服? そんなの……」
あるに、決まってるじゃないか……ユーディンは奥歯を噛みしめ、力いっぱい、拳を握りしめた。
◆◇◆
フェリンランシャオは元来、もっと西に首都があった。
イシャンバルが滅び、リーゼガリアスが滅び──攻め込むアレイオラに対応するため、そして他国と迅速な連携をとるために、約五百年前、今の帝都に遷都をした経緯がある。
ハデスヘルの開いた闇の空間を抜けて、三機の精霊機が、ダァトの神殿へ降り立つ。
モルガからもらった指輪をポケットに忍ばせてきたため、少し雑音が強く不安ではあったが、なんとかエロヒムが持ちこたえてくれて、無事、移動することができた。
「よくぞ、参った」
フェリンランシャオの地下神殿より、広いかもしれない──天然の洞窟のだだっ広い空間に、ダァトがふわりと浮いて、精霊機を出迎える。
ダァトの足元には、崩壊しかけたヘルメガータが、横になっていた。
「ふむ……我の予測より、一機多いか。それよりなにより……」
ダァトは、エヘイエーを含めた四人に、機体から降りるように促す。
「ダァト……お前、どういうつもりじゃ」
アックスは、ギロリと体中の目でダァトを睨みつける。声と翼が、怒りで震えていた。
「我は中立。公平に行われるべき審判を見定める者。同時に、創造主より、精霊機の調整と管理を任されし者」
「おい!」
アックスを無視し、ダァトはルクレツィアの前に進む。
「試練は、そなたが受けるにふさわしい」
威厳のある声でそう言うと、ダァトがルクレツィアの手を握った。
「試練は、『シャダイ・エル・カイの希望をかなえる』こと。歪みをただし、調律できれば、自然とヘルメガータは修復されるであろう」
とたん、がっくりと体の力が抜け、ルクレツィアは座り込む。
「ルクレツィア!」
チェーザレが駆け寄り、ルクレツィアの体を支えた。
「往け。……彼の者の元へ」
ルクレツィアはそのまま、チェーザレの腕の中で意識を失った。
「さて、次はエヘイエー」
「あ?」
突然呼ばれて、思わず間の抜けた声がアックスの口からもれた。
「貴様も、調律が必要なようだ……」
ぎくり──と、思わず目を見開く。
「い、いや……たぶん、その……まだ大丈夫……じゃないかのぉ?」
「アックス?」
後ずさるアックスを、不安そうにユーディンが見つめる。
「ふむ。なるほど」
ダァトが手を伸ばすと、アックスが言葉通り固まった。
硬直し、目を見開いたアックスは、次第に体中が黒ずみ、そして至る所から血が噴き出す。
「や、やめ……」
アックスが口をパクパクと動かすが、小さく声が漏れるのみ。
そして、一際大きく抉れ、大量の血が噴き出したアックスの左胸の傷に、ユーディンは息を飲んだ。
あの時、ユーディンが、つけた傷……。
「偽りの風の操者よ。貴公にも、試練を与えよう」
アックスがだらりと、力なく座り込んだ。
全身真っ黒に染まり、だらだらと血を流しながら、体中の目という目が、全て白目をむいている。
「我の試練において、貴公もエヘイエー……否、今はバチカルか。ともかく、お互い死ぬことはない」
アックスが、獣のような咆哮をあげた。
「偽りの操者。貴公への試練は『バチカルと闘うこと』。その先の答えを、我は待つ」
そう言うと、突然、黒い壁の空間が、ユーディンとアックスを覆い隠した。
◆◇◆
さて……と、ダァトに別室に連れてこられたチェーザレは、色々な意味で拍子抜けをくらった。
タイルの壁に、モザイクの床。
洞窟の中とは思えない、居心地の良い快適な空間。
調度品の趣味も、古風ではあるが、なかなか良い。
綺麗に整えられたベッドに、意識の無いルクレツィアを横たえると、ダァトに促されるままに、ソファーに腰かけた。
「正直、貴公の来訪は予想外であった。貴公に対する『試練』は用意しておらず、しばらく、暇かもしれないが……詫びに、我が質問に答えよう」
もっとも、答えられる範囲の話で、だが。と、ダァトは慣れた手つきで茶を運ぶ。
「それは?」
「言ったであろう? 我は公平に行われるべき審判を見定める者。故に、人間の習慣や風習、立場も知っておかねばならない」
まぁ、暇つぶしの娯楽だ……と、ローブの奥の見えない顔が、少し笑ったような気がした。
チェーザレがおそるおそる一口飲むと、甘い液体が喉を潤す。
正直、美味しい。
「気に入っていただけたのなら、何よりだ」
チェーザレはダァトに礼を言うと、「では……」と、口を開いた。
「モルガナイト=ヘリオドールは今、一体どうなっている?」
単刀直入なチェーザレの言葉に、ダァトは「ふむ……」とうなずいた。
「難しいな。強いて言うなら『わからない』といったところだ」
「わからない?」
眉をひそめるチェーザレに、ダァトは再度うなずく。
「シャダイ・エル・カイが、『初期化』を望んだことは前に言ったと思う。そもそもヤツが初期化せざるを得ないと判断した背景は、操者がシャダイ・エル・カイの『声』を、受け付けなくなり、刻み込まれたバグの修正が不可能になったからだ」
「つまり、奴は死んだのか?」
チェーザレの言葉に、ダァトは首を横に振る。
「否。操者は生きている」
ダァトの断言に、内心ほっと、チェーザレは胸を撫でおろす。
「しかし、何かしらの要因で、外部からの信号を、受け付けることができない状況にあるのは確実だ。我も行使できる権限内の接触を試みたが、なしのつぶてである」
故に、権限とは関係のないルクレツィアを、『試練』として送り込んだ……と、ダァトは語った。
「本来、我が精霊機が修復不可能と判断した場合は、いかなる理由があっても創造主再臨まで即刻凍結し、創造主再臨のその時まで、我が管理する決まりではあったのだが……そもそも、今回の発端は、神寄りの立場である、風の封印者の暴走がきっかけとなっている」
これでは、人間に対して「公平」とは言えないだろう?
ダァトはそう言うと、小さくため息を吐いた。




