第三十一章 受胎告知。あるいは二代目エヘイエーの受難
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………………接続を試みましたが拒絶されました
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ぱちり──とアックスは無数の目を開いた。
「やっぱり、ダメじゃぁ」
半分繭に埋もれた状態で「うーん」と伸びをするが、すぐにぐったりと繭に埋もれ、はぁ……と、ため息を吐く。
「……と、ワシもちと、無理はできんのぉ……」
アックスは目を細め、九天の天井にかざした自分の手の甲を、じっと見た。
人間と同じように、定期的に食事をし、睡眠をとるように心がけてはいる。
しかし、まだ目立つほどではないのだが、指先や金の翼、そして鼎の金の繭が、徐々にくすみ、黒ずんできているのがわかった。
ユーディンの命令で、全ての精霊機に対する礼拝を、毎日神殿で巫女たちに行ってもらってはいる。
しかし。
(所詮は、強制された祈り……)
心の底からの『信仰の力』には、程遠い……。
「精霊機は、人に都合よく使われるだけの奴隷ではない」
エヘイエーの反転も|シャダイ・エル・カイの反転も……ヒトとの同化を可能とする『鼎』も……創造主が意図を持て我らに与えた権限なり……。
アックス自身は、エヘイエーのように、頑なに反転することを嫌がるほど、プライドが高いとは思ってはいない。
反転したときは、その時はその時。人々が神を蔑ろにした結果に他ならない。
けど……。
「ルクレツィアたちの事を考えると、ちぃと、心は痛む……かのぉ……」
そして、心の底からこたえたのは、あの冷たい表情──。
「余が『人間』以上に、『精霊』や『神』なる者を信用していないということを、憶えておけ」
はぁ……と、ため息を吐きながら、アックスは重たい身体を起こした。
「エロヒム、エロヒム・ギボール、エロハ、アドナイ・ツァバオト」
『何だ?』
『はい』
『此処に』
『お呼びですか?』
アックスの声に、精霊機たちが──己の操者の声を模した声で返ってくる。
ハデスヘル、ヘパイスト、デウスヘーラー、デメテリウス……。
「おまえさんたち、せっかくそういう機能を持ち合わせとるのに、操者の躰を得たいと思ったこと、無いんかのぉ?」
『……無いな』
『無いです』
『右に同じく』
『そもそも、融合できるほど相性が良い操者に巡り合うこと自体、稀有ですしねぇ……』
ごもっとも……アドナイ・ツァバオトの答えに、アックスは苦笑を浮かべた。
エロヒムがコホンと咳ばらいをし、口を開いた。
『シャダイ・エル・カイが最初に肉体を得た際、何を血迷ったかと思った。が、現状の深刻さ考えると、我々の『見識』を、改める良い機会なのかもしれん』
受肉の有無など関係なく、枯渇はいずれやってくる。
「じゃあ……」
しかし。と、ぴしゃりとエロヒムはアックスの言葉を遮った。
『それは、今ではない。我らとて、融合する相手は選びたい』
『そうですわ。それに……ですね』
うふふ……と、サフィニアの口調を真似て、アドナイ・ツァバオトが嬉しそうに笑った。
『実は、ですね……』
アドナイ・ツァバオトの爆弾発言に、精霊機一同、ぶっ飛んだ。
◆◇◆
「ちょーッ! ちょっと! えっと……」
なんて呼んだらいいんだっけ? と、バタバタと騒々しく羽を動かしながらアックスが、地下神殿にやってきたサフィニアに駆け寄った。
「あら……二代目エヘイエー様。私のことは、サフィニアで構いませんわ」
にっこりと穏やかに微笑む。
「えっと、じゃぁ、サフィニアさん! えっとですね……あー……」
話しかけたものの、どう説明していいやら……思わず赤面して天を仰ぐ。
冷静に考えてみたら、コレ、もしかして、セクハラ案件……。
サフィニアの背後から、ギロリ……と白髪の狂戦士が見下ろす。
「えーん! エロヒム! ツァバオト! 誰でもいいから助けて!」
『情けない神だなこの二代目は!』
『えっと、それでは、僭越ながら』
ふっと、ミカが二人の間に現れた。
『エロヒム様にお力添えをいただきまして……私の姿、見えますでしょうか?』
ミカがサフィニアに向かって、ゆっくりとお辞儀をした。
突然現れた女性に、サフィニアは細い目を見開いて驚く。
「えっと……」
『ハデスヘルの精霊、ミカと申します。先日は息子が、大変ご迷惑をおかけいたしまして、申し訳ございません』
深々と頭を下げるミカに、サフィニアは慌てて同じように頭を下げた。
「とんでもございませんわ! えっと……それで、私に何か……?」
はい。と、ミカはうなずく。
『ここのところ、デメテリウスの反応が鈍いとか、雑音が入るとか、そういうこと、ありませんでしたか?』
「………………」
図星だったのか、いつも柔和なサフィニアの表情が、急に険しくなった。
『そう、怖い顔をしないでくださいませ。とても、おめでたい事なのですから』
ミカの言葉に、サフィニアは、虚を突かれた顔をする。
「それ……は……その……もしかして……」
『はい。ご懐妊、おめでとうございます』
サフィニアは、思わず、自分の腹に手を当てた。
まだ目立たない。本当に、子が宿った自覚さえない。
ほんのり、彼女の頬が嬉しそうに紅潮する。
しかし。
「お願いがあります。二代目様。精霊様。このこと、皆には言わないでくださいませ」
サフィニアは、はっきり、きっぱりと言い切った。
「私は、デメテリウスを降りる気は、ありません」
◆◇◆
「……解らん」
ごろん……と騎士の官舎の屋根に寝っ転がり、アックスは夜空を見上げてため息を吐く。
地下神殿の風景は飽きてきたので、時々抜け出しては、人目に付かない時間や場所を選んで、散歩をしていた。
しかし。
「何やっとん兄ちゃん」
突然、顔をのぞき込まれて、アックスは飛び起きた。
そのままお互い額をぶつけ、頭を抱え込む。
「アウインッ! 危ないじゃろうがお前! こんなトコ登って!」
「兄ちゃんこそ、裸で寒ぅないの?」
沈黙。の後、爆笑。
「っていうかお前、よくワシじゃと解ったのぉ」
「モリオンねーちゃんにきいとったから」
……どっかで見られてたか──自分の迂闊さに、ちょっと反省。
そう思っていたら、六歳離れた弟に、突然ぎゅっと抱きつかれた。
「どした? 兄ちゃんおらんで、寂しかったか?」
「ううん。兄ちゃん、しんどそうじゃったけぇ」
兄ちゃんの方が、寂しかったんじゃないの?
アウインの言葉が、妙にアックスの腑に落ちた。
と、同時に、指先の黒ずみが、ほんのりと薄くなる。
「……そう、じゃのぉ」
ワシは、寂しかったんじゃ……。ぎゅっと弟を抱きしめ返しながら、アックスは考えた。
先日耳にした、第五格納庫の『幽霊』の噂。
ルクレツィアの『指輪』。
相変わらず、ヘルメガータの繭に変化はない。
けれども……あれはきっと、兄に間違いない。
(兄ちゃんもきっと、寂しいんじゃろうの……)
◆◇◆
「いい加減、何か言ったらどうだ?」
第五整備班班長は、眉間のシワをさらに深く刻み、不機嫌そうに口を開いた。
無言のまま佇む土の塊。時折ソルの書斎に現れては、講義の際に座っていた、モルガの席に、静かに座る。
こちらの言葉──音を拾う様子はない。
明かりをつけても──光を拾う様子はない。
けれども、一定の時間を過ぎるか、触れた途端……。
「チッ……」
ザラザラと崩れ、砂の山に戻った。
そして砂の山は、時間とともに、どこかに消えて無くなった。
「……あるのは触覚。味覚はどうやって調べたらいいかわからんが……次は嗅覚で試してみるか……」
奴の、好物は何だったか……思考をめぐらせ、そしてソルは頭を振った。
「何を考えている……他人に興味を持つなど、オレらしくもない……」
イライラと酒瓶の蓋を開け、ソルはそのまま、一気に瓶をあおった。




