第三十章 モリオン
モリオンは、三日に一度くらいの頻度で、宮殿にやってくる。
表向きは、『義足製作』の為──とのことだが、実際はユーディンの政務の合間の休憩時間、一緒にお茶をしたり談笑したり……と、二人で過ごしていた。
しかし……。
「どうした」
硬直するモリオンに、近づきながら、意地悪そうに、ユーディンはニヤリと笑う。
「いえ、その、急用が……」
くるりと回れ右しかけるモリオンの手を、素早くユーディンは握った。
「なぁに。今日はそんな気分ではないから、安心しろ」
この間のように寝所に直行はせぬ。と、笑いながら、力強くモリオンの手を引いた。
「ついて来い。良いところに連れてってやろう」
モリオンの答えを聴くことなく、手を握ったまま、暴君は足早に部屋を出て、廊下を歩いた。
「ま、待って──」
小走りのモリオンだったが、急にユーディンが立ち止まり、彼の背中に鼻をぶつける。
「これはこれは、義母上にユミル」
ごきげんよう……と、ユーディンは顔に笑みを作って、二人に会釈をした。
彼女たちからは見えないように、ユーディンはつないだ手を小さく動かし、モリオンに壁側に寄るように指示する。
モリオンが察して、少し壁側に寄ると、彼女を二人から隠すように、ユーディンも立ち位置を自然に変えた。
年齢は四十に届くか届かないかといったところだろうか──煌びやかな衣装を身に纏う、赤い髪の女性と、彼女によく似た、十代前半の少年。
しかし、女性はユーディンの声など聴こえていない様子で、真っ青な顔で、ユーディンの背後に立つモリオンを凝視していた。
うわごとのように、女性は呟く。
「わ、私じゃ、ない……」
「母上?」
少年が母親を、不思議そうな顔をして見上げた。その声で、ハッと、女性は我に返った。
「な、なんでもないわ。ユーディン。貴方が女性と一緒に居るなんて、珍しいですわね。……その方を私に、紹介しては、いただけないのかしら?」
「彼女は、腕の良い義肢装具士でしてね……義母上の考えているような相手ではないですよ。実に残念ながら、ね」
ため息とともに出た最後の言葉は、果たして、本音なのか、冗談なのか……。
では……と、頭を下げながら、ユーディンはモリオンの手を引き、彼女の隣を通り過ぎる。
強張る先帝の皇后の視線を背中に浴びながら、モリオンはユーディンに囁いた。
「あの……一体、どうされたのでしょう?」
廊下の角を曲がったところで一旦ユーディンは立ち止まり、モリオンに、「今更本気か?」と、呆れたような顔を向ける。
「アレはな。余の母を殺して、その地位を得た女だ」
殺した女に瓜二つの顔がそこにあれば、気の動転くらい、するだろうさ……。
ユーディンが顎で指した壁を、モリオンは振り返って見上げた。
思わず目と口が、あんぐりと見開かれる。
日の当たらない廊下の隅に追いやられた、一枚の古い女性の肖像画。
自分の色より、やや黒に近い……茶色の豊かな髪を緩やかに背中に垂らして、微笑む女性の、その顔はまさしく。
「ほ……本当だ……私にそっくり……」
「そなた、意外と、頑なよな……」
前から皆が何度も言っているのに、自分が肖像画を見た今の今まで、全く納得していなかったモリオンに、呆れたようにユーディンがため息をついた。
◆◇◆
「頼まれていたものを、お持ちいたしました」
サフィニアから手渡された紙に、チェーザレは目を通した。
「……なんだ、これは?」
「デカルト=ガレフィス。我が緑宮軍所属、『アルヘナ隊』隊長。彼の、調査書です」
ふぅ……と、ため息を吐きながら、「自分の命じたこと」を、完全に忘れている隊長に、サフィニアはため息を吐く。
「モリオン=ヘリオドールの、婚約者ですわ」
ああ。と、チェーザレは、ナルホドと頷きながら、再度、渡された紙を読んだ。
モルガ──いや、あの時は『カイ』であったか──彼から存在を聞かされていた、モリオンの婚約者。
チェーザレが人づてにきいてみたところによると、相手が騎士である事がわかり、モルガをのぞいた元素騎士にこっそり命じて、身元を調べさせていたのだが、色々ありすぎて、本気で忘れていた。
「……うむ、実に面白みのない男だ」
「真面目で実直……と、言っていただけませんでしょうか」
チェーザレの感想を聴き、ため息とともに、サフィニアが答える。
「三等騎士。二十六歳。小隊を率いる人望のある隊長ですし、出身もマルーンにほど近い地方領主の弟。技師の娘の縁談としては、かなりの良縁ではないですか」
「お前……モリオン=ヘリオドールは、女性恐怖症の陛下にとって、数少ない例外だぞ……?」
これを逃したら……というチェーザレの言葉に、ユーディンの元婚約者であるサフィニア自身、理解が無いわけはない。
しかし……。
デカルトとモリオン──二人の仲睦まじい様子は隊の中でも有名らしく、昨年亡くなったヘリオドール兄弟の父親の喪が明け次第、結婚は秒読み段階……という話だった。
「人の恋路を邪魔する者は、ろくな死に方、しませんわよ……」
サフィニアは一応、隊長に釘を刺しつつ、退室した。
「……ろくな死に方、な」
苦笑を浮かべて、チェーザレはサフィニアの背中を見送る。
我は騎士なり。
ならば、命は戦場で果てると、相場が決まっているではないか。
◆◇◆
「ここ、は?」
古い小さな玩具の剣や絵本の数々。
ユーディンに手を引かれ、モリオンが連れてこられたのは、まるで『おもちゃ箱』のような……そういった印象の部屋だった。
丁寧に整頓されているわけではなかったが、かといって、乱雑に散らばっているわけでもない。
そんな部屋の棚の中から、ユーディンはゴソゴソと、何かを探していた。
「あぁ、あった。これだ」
そう言って、棚の奥から、布に包まれた、長細い包みを取り出す。
「これ……は……?」
「余が、最初に使っていた義足だ」
もっとも、歩けるようになるまで時間がかかり、すぐに背も伸びて、あまり使えなかったが……と、やや、表情を曇らせる。
包みを開くと、中には小さな銀色の義足が一対、入っていた。
「これ……お母さん……」
|切断した足を入れるパーツ《ソケット》の外側、目立たないように、小さく入れられた銘を見て、モリオンは息を飲んだ。
エリス=ヘリオドール。
「……やはり、そうであったか」
目を細め、嬉しそうに後ろから、ユーディンはモリオンを抱きしめる。
「ちょ……何を……」
「余はあの時、そなたの母上に、ちゃんと礼を言えなかった。足を失った痛みと、母上を喪った悲しみで。危険な目に逢いながらも、わざわざマルーンから来てもらったというのに……」
だから、礼を言いたい。
「そなたの母上に、心からの、礼を……そして、モリオン=ヘリオドール。そなたの、幸せを……」
モリオンを自分に向き合わせ、コツンと額を合わせた。
「これで貴様は、この国を統べる皇帝を振った女だ。世間でいう以上に『幸せ』にならないと、余は承知しない」
で、なければ、ガレフィスの一族郎党、皆血祭りにあげて、貴様を奪ってやる……腕にちいさな義足を抱いたまま、ぽかんと見上げるモリオンに、修羅は、彼らしい、物騒な『祝福』を与えた。
◆◇◆
「やはり、そうでしたか」
ムニン=オブシディアンは、ユーディンの言葉に、ほっと胸をなでおろした。
モリオンが工房に戻って数時間は経ったであろうか──窓から差し込む日は、既に赤みを帯びて、傾きかけている。
初めて──モリオンがルクレツィアを訪ねてきたときから、そのような予感はしていた。
「公に、なさいますか? 陛下。そうすればきっと、あの兄弟は、ウチの息子や娘以上に、貴方様の力になる」
いいや。と、ユーディンは、首を横に振った。
「今のままで、十分だ。宰相ではあるまいし……余の治世において、血筋など、関係ない」
エリス=ヘリオドール。夫婦別姓が普通のフェリンランシャオにおいて、夫の姓を名乗る異例の人。
たぶんきっとその理由は、彼女の旧姓とともに、実の子どもであるモリオンやモルガたちも、知らないであろう話。
だから、言わなくていい。言わないほうがいい。
「伯母上の事は、余と、ムニン……貴公と二人だけの、秘密だ」
十三年前──ムニンを介して自分を訪ね、数日滞在し、義足を作ってくれた彼女は、大好きな母の『姉』だと名乗った。
ユーディンが彼女と会ったのは、その時が最初で最後であったが──ならば、彼女から受け、感じたその恩は、彼女の子である、彼女や、彼らに返そう。
「エリスについては、我が家では色々思うところはありますので……寛大な判断、感謝いたします。陛下」
「ずいぶんと余は、人でなしだと思われているのだな」
こう見えて、失恋で傷心なのだぞ? と、皮肉を込めて、ユーディンは笑った。




