第二十八章 指輪
人の気配に、ふと、ルクレツィアは目を覚ます。
月明りが窓から差し込んではいるが、夜明けまで時間があるのか、室内はまだ薄暗い。
「誰だッ!」
影が動き、ルクレツィアは飛び起きた。
目に見えて、誰かがいる様子はない。
ゆっくりと、ルクレツィアは体を起こし、そして、おそるおそる、寝台から足を降ろす。
「!」
ざらりとした足裏の感触に、思わず驚き、引っ込めた。
明かりをつけ、そして足元を確認する。
「砂……?」
なんで、こんなところに……と、ルクレツィアは呟く。
絨毯の上に、こんもりと──それなりに、結構な量の白い砂が、一山ほど、広がっていた。
一瞬、モルガの部屋の引き出しの砂を思い出し、ぶるりと震える。
そういえば、アレ、どうなったのだろうか……確認してなかったことを、少し悔やんだ。
と、そうではなくて。
今から掃除をするか、それともとりあえず朝までもう少し寝るか……少々悩み、とりあえず、今回はそのまま、眠ることにした。
そして、日が昇り……。
再び目覚めたルクレツィアは床を見て驚く。
そこには、砂どころか、塵一つ何も無い、綺麗な絨毯の床が、広がっていた。
夢、だったのだろうか……?
眉間にしわを寄せながら、ルクレツィアは着替え始める。
ふと、制服のズボンのポケットに、硬いものが入っていることに気がついた。
「……? これ、は……」
出てきたのは、不透明に近い黒い石と、淡いピンク色の石がついた、銀の台座の、小さな指輪が一つ。
ルクレツィアには見覚えが無かったが、不思議と、送り主の顔が脳裏をよぎり、そして、急いでルクレツィアは、地下神殿へ向かった。
◆◇◆
「確かに、貴様に此処の警備を任せる意図があったことは認めよう。が、誰も殺せとは、言っていない」
複数の死体に、チェーザレが渋い顔を浮かべながら、アレスフィードを見上げた。
死体の検分と処理のため、関係のない複数の騎士が地下神殿に出入りしているので、アックスが姿を見せることは無かったが、あくびをかみ殺したような声がアレスから聴こえ、さらにチェーザレを苛立たせる。
「……ゴメン、隊長。確か、火宮軍の二等騎士・アークの加護、光だったと思う……」
「よし、よくやった!」
ステラの言葉に、コロリと変わるチェーザレの態度。それを見て、「なんじゃらほい……」と、アックスがため息を吐く。
まったく、嘆かわしい事ですわ……と、サフィニアも思わず、頭を抱えた。
「精霊機の操者に憧れる騎士がいることは存じておりますし、地下神殿に忍び込む輩の存在も、予測できなかったわけではないですが……操者が決まったことを公表していないアレスならともかく、既に決まっている既存の精霊機の横取りを狙う騎士が、よもや居ようとは……」
「この騒ぎは、一体……」
ルクレツィアは、目を丸くする。重臣会議にはまだ時間があり、普通なら、皆、朝食の時間であるはずなのだが……。
「あ、ルーちゃん! おはよう!」
普段通り、にっこり笑うステラに、「何かあったのか?」と、ルクレツィアは問う。
チラリとヘルメガータを見上げたが、繭に目立った変化は見られない。
「いやー、すごいわね闇宮軍。花丸あげちゃうわ」
「地下神殿の警備を外した途端、侵入者続出でな。加減を知らぬ馬鹿が侵入者を片っ端から殺すものだから、編成前の風宮軍と、貴様の闇宮軍を除いたすべての軍から死人が出ているのだ」
規律を破った騎士に、弁明の余地も同情の余地も無いが……と、ぶつくさと兄がぼやく。
「おまえの闇宮軍の中に、不埒者はいなかったので、呼ばなかったのだが……どうした?」
「いえ……少し」
その……と、小声で兄に囁く。
「アックスと話がしたかったのですが、今、大丈夫でしょうか」
兄は、ぐるりと見まわす。
騎士たちは皆、忙しそうにせわしなく動いている。
「例の、心臓同士を繋げるアレでなら、大丈夫なのではないか?」
ただし、目立たないように。と、兄から釘を刺され、ルクレツィアは、深くうなずいた。
◆◇◆
「兄ちゃん?」
アックスはルクレツィアを見上げ、首を横に振った。
彼は心臓の床に座り込み、ルクレツィアの持ってきた簡易食を、「不味い」と言いながら、パクパクと食べている。
そういえば、食事はどうしているのだろう──と気になって持ってきたのだが、やはり、食べていなかったようだ。
自分も朝食はまだなので、アックスと一緒にかきこむ。
「まー、エヘイエーと融合してから、人間としての睡眠と同じく、食事も必ずしも必要なモノではないんじゃがの。でも、やっぱりワシは、今のところは、『人間』でおりたい」
見た目は完全に、ヒトからは、かけ離れてしもーたがの……と、ケラケラと笑う。
「今の、ところ……?」
「……まぁ、その話は、おいおい……ということで」
視線をそらしながら、アックスが何かをはぐらかそうとしていることは目に見えてわかったのだが、「そんな事より、兄ちゃんの事じゃろ?」と言われ、ルクレツィアは思わず、こくりと首を縦に振った。
「御覧の通り。相変わらずヘルメガータは繭の中。九天……精霊機の心臓の損傷が、一日二日で治るとは、到底思えんし、そもそも、アィーアツブス化した兄ちゃん自体も、現状、どうなっとるかわからん。もちろん、ワシも気になっとるけぇ、エノクに命じて、ずっと監視はしとるけど……」
『こちらも。何度かアクセスする信号を送ってみたのだが、反応が無い』
エロヒムもアックスに同意する形で会話に参加する。
「実は……」
ルクレツィアは、夜中にあったこと、そして、朝見つけた指輪を手に取って見せた。
「ほほう……兄ちゃんもなかなか。隅に置けんのぉ……」
『ナルホド……』
『あらあらまぁまぁ……』
アックスとエロヒムの二人が、何やらニマニマと笑った。もちろん、エロヒムは声だけなのだが。
そして、ミカとエノクも自然に会話に参加してくる。
「な、何なのだ……」
訳が分からない……と訴えるルクレツィアに、唯一、エノクだけが、同情的な視線を向けた。
「まぁ、気になるところは多々あるんじゃが、兄ちゃんで間違いはないじゃろ。……それも、受け取っといて、良いと思うぞ」
地属性が強すぎて、精霊機で戦闘するときは、邪魔になるかもしれんが……と、一言、アックスが付け加える。
「ホレ。そろそろ会議の時間じゃろ? 怖ぁーい宰相さんに、ワシがやってしもーた事、なんとか誤魔化しといてつかぁーさい!」
頼んます! アックスの言葉に、「できるかな……」と、ルクレツィアは苦笑いをし、そして、手を振って戻っていった。
◆◇◆
さて……と、ルクレツィアを見送ったアックスは、再度、ハデスヘルに接続する。
「愛しい人に指輪を贈る習慣は、もう何千年……イシャンバルやリーゼガリアスが滅びる、もっと前に、廃れてしもうた風習じゃけど……」
『シャダイ・エル・カイと操者、以前、人格以外は共有していると言ってはいたが……果たして……』
ルクレツィアの前に現れたのは──彼女に指輪を贈ったのは、|モルガナイト=ヘリオドール《人間》か、シャダイ・エル・カイか……。
しかし、色々と疑念は残る。九天は損傷して反応はなく、繭も割れた様子はない。
もちろん、モルガの姿など見ていないし、アックスとエロヒムの二柱が目を光らせているこの状況で、見逃すわけがない。
何より気になるのは、送られた指輪──その指輪をつけるべき、『左手の薬指』。
今のルクレツィアには無いモノ。
それは、モルガ自身が、能力の暴走を起こし、消してしまったからではないか……。
「普通なら、お互いにトラウマ思い出して、まっ先に『選ばない』、あり得ない贈り物。部分的な記憶喪失の可能性……結構、重症かも、しれんのぉ……」
『お前のように、人格含め、完全に融合したということも考えられるが……不確定要素も多い……』
アックスは頭を抱える。
「やっぱり、兄ちゃんが起きてみないと、解らん!」
アックスは「お手上げ」と、言葉通り、両手をあげた。




