第十三章 微睡みの繭
「やれやれ。とんだ伝説級、だな」
チェーザレからの要請を受け、帝都から整備機材一式積んで、移動式の簡易ドックでやってきた第五整備班班長、ソル=プラーナは、開口一番、親友に嫌味を言う。
「まったくだ。退屈しなくていい」
原因を見下ろしながら、チェーザレは苦笑を浮かべた。
敵国軍を撤退させ、任務は成功させたものの、アリアートナディアル・フェリンランシャオ連合軍は、現在、完全に身動きが取れなくなっている。
なだらかな穴の底に、その原因──巨大な『繭』はあった。
地の元素が活性化を通り越し、暴走しているようで……他属性のVDが、完全に起動不全を起こしている。
地属性の操者の機体に影響はないようなのだが、繭の周囲は威圧するかのように、件の岩の棘で囲み、また、例の『眼球』がブンブンと飛び回り、近づくVDを威嚇をしてきた。
まるで、城砦だな……と、ソルは呟く。
チェーザレは、そんな親友の肩を叩き、彼の耳元で、小さく囁いた。
「現状、アレイオラが再び攻めてきたところで、相手も動けなくなるだけだと思うが、念には念をだ。……部下たちの、|ヴァイオレント・ドール《VD》の整備を、早急に頼む」
「任せとけ」
オレを、誰だと思っている……と、ソルは、自信がにじみ出ている笑顔で、彼に返した。
◆◇◆
「いいから応答しろ! モルガ! ……コラッ!」
ルクレツィアは、通信を試み続けていた。
しかし、相手が返事を還す様子は、相変わらず無い。
「……まったく」
ふう……と、ルクレツィアはため息を吐き、広い心臓の床に座り込み、そのままごろんと寝転がって、突っ伏した。
真面目で真っ直ぐ……と、称される性格の彼女ではあるが、さすがに、こう、ワケの分からない状況が続くとなると、心がほんの少し、折れそう……。
「一体ヘルメガータの中は、どうなっている……」
突然、ハデスヘルの心臓に警報が響いた。
「ッ!」
心臓が飛び出るかと思うほど驚いたルクレツィア。思わず飛び起きて、周囲を見回す。
「なんだ……ハデス、これは……」
ハデスヘルは、もともと、電子戦用の機体である。
戦場の情報を集め、敵の通信を傍受したり逆に妨害したり、機体の精霊を狂わせたり……。
アラートが止むと同時、心臓内が真っ白に輝いた。思わず目をつむり、そして……。
◆◇◆
なんだ、これは……おそるおそる目を開けたルクレツィアは、再びそう、呟いた。
風景からして、マルーンだろうか。
そろそろ日が落ちる、夕焼けの空の下。
ごつごつとした岩肌の高台に、幼い二人の少年の姿がある。
「兄ちゃん! 兄ちゃんってば! はよ帰らにゃ、母ちゃんに怒られるよ!」
「……」
少年たちにモルガの面影を見つけ、ルクレツィアは、彼らに近寄る。
(これは……夢、だろうか……)
ルクレツィアの姿は、少年たちには見えていないようであった。
「兄ちゃん……兄ちゃんってばぁ……日が沈んだら、帰れんようになるよぉ!」
「んじゃ、アックス……お前、先に帰っとれ」
ごろん……と、少年──モルガが、地面に横になった。
「ワシ、何やっとんじゃろうなぁ……」
「兄ちゃん……」
泣きだした弟を無視し、ぼんやりとモルガは空を見上げた。
「VDは、確かに、綺麗なモノじゃなかったのぉ……」
彼の言葉に、ルクレツィアは、ハッとする。
美しいものを作りたければ、|芸術家にでもなるがいい《・・・・・・・・・・・》。これは、数日前の第五整備班班長の言葉。
「何人、死んだじゃろうなぁ……ワシの、せいで……」
少年の姿のモルガが、天を仰ぐ。彼の赤い目から、とめどなく涙がこぼれ、生気が、どんどん、失われていく。
日が、遠くの山の影に隠れはじめ、ハッと、ルクレツィアは顔をあげた。
「日が沈んだら、帰れなくなる」──何故か先ほどのアックスの言葉が、頭の中で妙に引っかかり、心の中が、ざらざらとざわつく。
「モルガッ! モルガナイト=ヘリオドール!」
聞こえなくてもいい。
例えこれが、自分の夢であっても構わない。
ルクレツィアは、彼の名前を呼んだ。
「言いたいことがあるなら愚痴だろうと文句だろうと聞いてやる! とにかく頼む……お願いだ……」
──今は。
「帰ってこい!」
◆◇◆
ルクレツィアが気がつくと、そこは、精霊機の心臓のようであった。
しかし、この空間が、ハデスヘルの心臓でないことは確かだろう。
うすぼんやりと輝く広い空間のその中央に、見慣れない大きな淡い金糸の『繭』が、心臓中に糸をめぐらし、鎮座している。
その大きさは、まるで、中に、人が一人、入っていそうな……。
「……モルガ?」
声をかけるが、様子は変わらない。『繭』は時々、ピクリ、ピクリと動いてはいるのだが、それは『音』に反応している様子ではなかった。
ルクレツィアは、ホルスターからナイフを取り出す。
あの時──トラファルガー山へ向かった時、モルガの命綱を切り、心臓の中に引き込んだ、あのナイフ……。
ルクレツィアは、迷うことなく、近場の糸の束に、ナイフを滑らした。
ほんの少しだけ切ったつもりだったのだが、支える重さのバランスが変わったか……まるで弦楽器の弦が、連鎖して次々と切れていくよう、高い音を奏でながら、バラバラと繭の糸が次々と切れていく。
「ッ!」
繭の中から、どろりとした透明の液体とともに、どさりと、大きな何かが落ちた。
白銀色の、羽毛の塊。
もぞもぞと、それが動いて、周囲に液体が飛び散った。甘い花の蜜ような芳香が、ルクレツィアの鼻腔を蕩かせる。
白銀色の羽毛……三対六枚の翼を広げ、其れは、顔をあげた。
「Quis est?」
聞きなれない言葉。
びっしりと肌を覆う黄金色の鱗に、翼と同じ白銀色の、長い髪。
微睡んだようなその瞳の色は、先ほどのヘルメガータと同じ、紫色……。
しかし、その顔は……その声は、紛れもなく……間違えるはずもなく……。
「モルガ……なのか……?」
声が聞こえていないのか、理解ができていないのか。
ぼんやりと座り込んだ其れは、焦点の合わない目で、ルクレツィアを見つめる。
そして、ゆっくりと、其れが、ルクレツィアに手を伸ばした。
「Homo ad amandum est hoc?」
それは、一瞬の事。
モルガの顔をした「何か」は、ルクレツィアを自分に引き寄せ、彼女の唇に、強く、自らの唇を重ねた。




