第百七章 技術師の羨望
まるで、操り人形の糸が、ぶっつりと切れたかのように。
ガクンと体を揺らして、小さな邪神が急降下を始めた。
「ちょッ!」
なんなんだ一体! と、アックスは慌てて追いかけ、彼の腕を掴んで引っ張り上げる。
「接続障害発生……出力低下……」
あぁ……と、エーイーリーは苦しそうに、しかし、どこか嬉しそうに、呟いた。
「予測反転……あぁ。それでいい……エロヒム・ツァバオト」
怪訝そうに眉を顰めるアックスの、その遥か向こうを見つめながら、満足げに彼は微笑む。
そんなとき、ふと、アックスの頭上に影が差し、何事かと、彼は上空を見上げ──。
「なッ……」
そこにあるモノを、全身の目を見開いて驚いた。
◆◇◆
甲高い金属音が、砂の大地に響き渡る。
「息が、あがっているじゃないか」
肉体の主であるユーディンの影響か、元来の彼の能力か──高温の炎のような青の混じる朱の瞳を細めて、余裕の笑みをたたえる創造主に、モルガは無言で表情を変えることなく──しかし、彼の動きについていくのがやっとであり、いっぱいいっぱいであるのも事実。
水銀のような銀色の長い髪が、汗と絡んで虹色の鱗に覆われた肌に張り付く。
「その豪勢な剣は、飾りか?」
創造主の言葉にモルガは小さく舌打ちし、巨大な剣を砂の大地に叩きつけた。
衝撃で宙に舞う小さな砂粒が、不自然に煌めきながら、まるで地の精霊機の眼球のように旋回し、勢いよく創造主に向かって襲い掛かった。
『Tonitrua!』
創造主の声に合わせ、どこからともなく創造主の周りに雷が落ちる。
その光に包まれて、煌めく砂粒は、あえなく消滅した。
「残念だったな」
上機嫌なエフドに対し、モルガはムッと眉間に皺をよせた。
「……むかつく」
まるで地団太のように、硬質な鱗に包まれた虹色の尾を、苛立たしく砂の大地に叩きつける。
「むかつくむかつくむかつくむかつく」
創造主が、目を細める。
先ほどまで光を反射していた銀色のモルガの髪が、どんどん暗い色に染まってゆく。
(堕ちた、か……?)
否、と、創造主は警戒するように自分の剣を構えた。
その色は、邪神のような真っ黒ではなく、その色は、柔らかく光を反射する、艶やかな茶色。
──元の、モルガの色。
瞳の真紅に、強い意思の色が宿る。
途端、創造主の足元の砂が抉れ、深く大きな穴が開いた。
バランスを崩した創造主に、モルガはそのまま、つかみかかって力いっぱい底に叩きつける。
「あああああああッ! 思い出した! なんでワシ、ずっとこんなにムカついてたのかッ!」
そして、のしかかったまま、創造主の頬を一発殴りつける。
衝撃でモルガの虹色の鱗が、まるで花弁のようにバラバラと周囲に散らばった。
「ワシはッ! お前の、頭脳、能力、境遇全部が、羨ましかったんじゃ!」
「……は?」
思いもしなかった言葉に、思わず、エフドの目が点になる。
ジンジン痺れる頬を押さえ、そのまま固まったエフドに、怒り心頭のモルガの声が浴びせかけられた。
「ワシだけじゃないッ! 世界中の、いや、これまでの歴史の中、生まれて死んだVD技師全員羨むような、めちゃくちゃ良いお師匠に恵まれて、精霊機の解析不能の内部構造を、一人で構築するような才能と技術を持ち合わせながら、何をどうしたら世界中巻き込んで、こがぁなことになるんじゃぁッ!」
──し、しょう?
途端、頭を押さえ、エフドが顔を歪める。
何がどうしたか、ズキズキと頭が痛み、戦闘続行それどころではない。
不意に、頭上に影が差した。
モルガは空を見上げ、赤い瞳を細める。
やわらかな茶色の髪は、徐々にまた色が抜けてゆき、剥がれた鱗も、再生されてゆく。
「ワシの言いたいことは十分言えたし、お膳立ては、このくらいでええかの……」
あとは全部、アンタに、任せることにするけぇ。
「頼みましたよ。二等騎士・オブシディアン」
◆◇◆
「はぁ? 今度は闇の精霊機?」
何なの一体ッ! と、両腕に小さなエーイーリーを抱えたアックスは開いた口がふさがらず、呆然と巨大な機体を見上げた。
『エヘイエー』
「エロヒム! アウインはどうした!」
アックスは羽ばたき、ハデスヘルの顔の前まで高度をあげた。
『戦闘は、あらかた終了した。かの少年は元の地の操者が保護し、エロヒム・ツァバオトの暴走も、元の我が操者が鎮めた』
「ほうか!」
えかったのーと、安堵のため息を吐いたアックス。
「わざわざ報告に来てくれて、ありがとの! エロヒム!」
『それで……』
何か言いかけたものの、そのまま黙り込む闇の神。
「ん? どした?」
エロヒムの様子に眉を顰めつつ、ふと、腕の中のエーイーリーが、震えていることに気がついた。
「おい、大丈夫か?」
「く、くるな……」
アックスの問いに答えず、まるでハデスヘルから隠れるよう、エーイーリーは身を縮こませる。
「エーイーリー? なんで?」
『そのことだが……』
小さく咳払いし、言いにくそうに口を開いたのは、闇の神の方だった。
『全部ではない。ないのだが……その……二番目の神は、私の中に在る』
しばし、言葉の意味を理解するまで時間がかかったが、間もなくアックスの、大きな声が周囲にこだました。
◆◇◆
『ミカは我が元の操者についているし、仮初めの操者である、あの男は、うるさいから叩き出した』
故に、我が身の中は、無人である。と、闇の神は、アックスとエーイーリーを招き入れる。
「クソ親父の事なんか、どうでもいい。ぶっちゃけ」
ため息を吐きながら、アックスは心臓の中央に、エーイーリーを横たわらせた。
「いや、だ……やめろ……」
呼吸がうまくできないのか、荒い息を吐きながら、拒絶するよう、エーイーリーはアックスの小さな翼を掴み、しがみつく。
「どうあがこうと、どうせ、この世界は終わるんだ……」
「エーイーリー……一つ、聞きたい」
幼子を──かつて泣きじゃくる弟妹を宥めるときのように、そして、大好きな兄が、自分にしてくれた時のように、アックスは二番目の邪神の背を、優しく撫でた。
「お前はさっき、オレらの、最低な『未来』を、予言した。けど……」
──陛下の……ユーディン=バーミリオンの、未来は?
「あ……」
びくり。と、エーイーリーが硬直した。
「ああああああああああああああ! 嫌だ! ダメだ! ユーディン! 誰か! 今すぐ陛下を助けろ!」
目に見えて錯乱をはじめるエーイーリーに、アックスは「やっぱり……」と、何とも言えない気持ちになった。
地の神と兄のように、それぞれが独立しているわけでもなく、風の神と自分のように、完全に神格と人格が融合したわけでもなく。
(邪神七割、チェーザレ=オブシディアン三割ってトコかな……)
だったら……。と、アックスは混乱するエーイーリーの肩を掴み、よく聞け! と声をあげる。
──さっき、エロヒム・ツァバオトの未来が変わった時、エーイーリーは、確かに、笑ったのだ。
「エーイーリー! 誰かに頼むんじゃない。お前が視たモノとは違う未来を望むのなら、お前自らが、陛下を助けろ! チェーザレ=オブシディアン! 自分一人で勝手に策を講じず、他人に全部丸投げなんて、アンタらしくない!」
「ッ!」
アックスの言葉に、再度、硬直する小さな邪神。
まるで、どうしていいのか、解らないように、頭を抱えて、ぶんぶんと首を振る。
『……そろそろ、良いか?』
咳ばらいをし、エロヒムが声をかけた。
と、同時に頭上から、ふわり、ふわりと、白い塊が、ゆっくりと降りてきた。
『これが、ヨッドの欠片だ。大体、本来の三分の二くらいだと思われる』
それを目の当たりにしたエーイーリーの金色の虹彩が、キュッと縮む。
最初は只の球形だったが、床に近づくにつれ、それは、ヒトのカタチをとりはじめた。
やがて──。
「……姉、ちゃん?」
アックスの声に応えるよう、小さな足を心臓の透明な床にぺったりとつけ、幼いルクレツィアが、はにかむように、にっこりとほほ笑んだ。




