第百四章 古の女王
どくり、と、突然心臓が強く脈打った。
次の瞬間、自分の胸が、言葉通り張り裂けて。
肉体を突き破った腕が、天を目指す。
エロハの血にまみれながら産声をあげたのは、髪も、肌も、真っ黒な子どもだった。
唯一、虫のような翅と、瞳の中央の瞳孔だけが、ギラギラと金色に輝いて。
「駄目だ……エーイーリー!」
痛みで苦しそうに顔を歪めながら、エロハも、彼に向かって手を伸ばす。
しかし、真っ黒な子どもは、エロハの腕を軽々と擦り抜けて、彼を憎らしそうに睨みつけ、甲高い声で啼いた。
◆◇◆
一瞬、金色の機体の動きが不自然に止まり、その隙を見逃すことなく、ムネーメーが無数の鉛球を叩き込んだ。
「エロヒ……ケムダー様!」
「おっと、お前さんの相手はオレだッ!」
無視するんじゃねぇ! とばかりに、ギードが銀色の機体に掴みかかる。
「チッ……」
アウインは舌打ちして、直接機体に打撃を打ち込み、そして、そのまま背中から投げるように、地面に叩き落とした。
『きゃぁああああ』
「ってぇなッ!」
墜落したのはサラサラの白い砂の上。
しかし振動は大きく、ウラニアの悲鳴に、彼女の声が聞こえないギードの声が重なった。
細かな砂を巻き込みながら、ギードは機体の態勢を立て直し、銀色の機体に怒鳴った。
「オレの女に、何しやがる!」
『!!!』
途端、緑の機体が硬直。動かなくなる。
気づいたギードが、慌てて操縦桿を乱雑に動かすが、機体はぴたりと動かない。
『オレの……女……ギード様……』
もし、機体に本物の心臓があったなら、ドキドキバクバク、そんな音が、心臓中に響き渡っていたに違いない。
代わりに、爆発するようなヴァイオレント・ドールの駆動音が、乗ってるギードの耳に、突然響いた。
「な、なんだ? 壊れた?」
突然──それも、ほったらかしておくと本当に機体が壊れてしまいそうなほどの、再度の出力上昇に、ギードは呆然と目をしばたたかせる。
『嬉しい! ギード様!』
緑の機体が急に勝手に飛び上がり、心臓にかかる重力に、「うぉッ」とギードが呻いた。
まるで、天にも昇るような──否、実際、猛スピードで飛んでいるのだが──乙女の暴走は止まらない。
「う、嘘でしょッ!」
焦るユディト。
猛スピードで突っ込んでくる緑の機体を、すんでのところで避けるも、ほぼ同じスペックの兄弟機であるにも関わらず、機体の動きが、まるで違った。
『コレが! 私たちの、初めての愛の共同作業ですわッ!』
ユディトに追い付いた途端、言うや否や緑の機体は銀の機体に体当たりをし、なおかつ、至近距離から無数の鉄球を、残弾など気にせず、全弾叩きつけた。
「ったぁッ! 何なのよもうッ!」
ワケわかんないッ! と、今度は逆に地面に叩きつけられたユディトが、恨みがましそうに空を見上げる。
ウラニアが心臓への直撃をあえて避けたのか、機体の胸の部分はほぼ無傷だが、銀の機体の頭や四肢がベコベコに凹み、バチバチと火花が散っていた。
限界──それこそ、これ以上無理をすれば、こちらが爆散しかねない。そんな状況──。
ギードは相手の心臓前の装甲を剥がし、中を無理矢理こじ開けた。
自分も機体から降りて、身構える少年に手を伸ばす。
「お手をどうぞ。イウヂヒ女王陛下」
「な……」
何故、それを! 少年の金の目が、大きく見開かれた。
「なぁに。ウチに伝わる昔話……子どもの頃、姉貴から聞かされた寝物語に、そんな名前の、馬鹿みたいに強い女戦士たちが集う国と、そいつらを率いる、こりゃまたはちゃめちゃに強い、女王様がいたっけなって、ちょっと思い出しただけだ」
四等騎士・ザインと申します。と、ギードは普段の不真面目な彼の様子からは、考えられないほど丁寧な所作で、最上級の貴人に対するお辞儀を、小さな少年に向かってする。
「ザイン……あぁ、そう」
そうか──と、小さな少年は、大人びた表情で目を細めた。
この場にはいない同胞に、『ザイン』を名乗る者が、確かにいる。
アウインは一転し、穏やかな表情をギードに向けた。
そして、声を張り上げ、彼の手を、力強く握る。
「我が名はユディト! 一族最強の戦士にて、現世に伝わる神女長の祖であるイウヂヒの女王!」
──そして。
「アイゼイア帝国最後の皇帝、イザヤの皇后なり!」
◆◇◆
『嬢ちゃんストップ!』
デウスヘーラーの異変に気付いたジンカイトが、ルクレツィアを制止した。
見ると、先ほどまで黒く染まり、見境なく暴れていた光の精霊機が、空中でぴたりと制止し、元の金色へ戻ってゆく。
「……どう、したのでしょう?」
『………………』
父上? と、娘の問いかけに、『あ、あぁ』と、何やら考え事をしていたらしいムニンが応えた。
『嬢ちゃん、デウスヘーラーの精霊から、通信が入ってる』
『……ルクレツィア。危険だからやめなさい』
危険? ジンカイトの言葉を強い口調で遮る父に、一体何のことかと、ルクレツィアは首を傾げた。
『おい、過保護野郎。選ぶのは嬢ちゃんだろうが! 何勝手に判断してホウレンソウ放棄してんだ』
『過保護で結構。大事な子を守るのは親の務め!』
「あー! もうッ! こんな所でケンカしないでください父上方!」
恥ずかしいッ! と、ルクレツィアは頭を抱える。
『話が進まないので私が。ルクレツィア様。イザヤ様から、ルクレツィア様に、対話の要請が入っております』
ルクレツィアそっちのけで口論を始めたジンカイトとムニンに、痺れをきらしたミカが代わりにルクレツィアに伝えた。
『その、詳しくは語られないのですが、デウスヘーラー側に、何かしらの異常事態が起こったらしく……』
「わかった。どうすればいい?」
闘わずに済むなら、それに越したことは無い。と、ミカの言葉に、ルクレツィアはきっぱりと答えた。
『後は、こちらで引き受けよう。我らの言葉が罠では無いことを証明するために、ミカ。……いや、アロスター女帝陛下。貴女もどうか、彼女に同伴してほしい』
いつもの飄々とした口調ではなく、凛として静かな、男の声。
『わかりましたわ。アイゼイア皇帝陛下。貴方の言葉、信じましょう』
『感謝する』
かくして、口論を続ける父二人を残し、ルクレツィアとミカの姿は機体から消えた。




