第百章 光の聖地
「ッ!」
通された来賓用の部屋の寝台に伏せつつ、顔を歪めるユーディンの背中に、アックスは無言、かつ無表情で、べっちょりと大量の軟膏を塗りつける。
スッとする独特の香料の入ったそれは、ひんやりと打身の肌を冷やすが、同時にヒリヒリと傷に沁みた。
「……なんだ? 言いたいことがあるなら、はっきり言え」
「それじゃぁ、坊主の代わりに僭越ながら」
近くの壁に寄り掛かっていたギードが、ため息まじりに口を開く。
怠そうにぼさぼさな頭を掻きながらユーディンに近づき、一際大きなため息を吐いた。
そして。
パァンッと、乾いた音が響く。
「何をッ!」
「不敬は今更だし、重々承知だ。だが、この場においてはオレしか、こんなことは言えそうにないからな」
起き上がりながら頬を押さえるユーディンに、平手を打ったギードは、いつにも増して真面目な顔で皇帝を睨んだ。
「陛下。ここのところのアンタは、生き急ぎ過ぎなんだよ」
心当たりが無いとは言わせない。と、ギードはユーディンの肩を掴み、語気を強めて怒鳴る。
「無茶のゴリ押しや、素っ頓狂な奇行は、隊長の生前……いや、オレが現役の元素騎士だった頃から、そりゃー何度もあったもんだ。だが、ここのところのアンタの言動は、そのあたりの限度を超えてる」
主に従う騎士として、多少の無茶な命令なら付き合えるが、危険を顧みない無謀な命令は、誰も、ついてこれない。
「隊長の身代わり? そんなの、誰も務められるわけないだろ? 皇帝のアンタを、掌の上で上手い具合に転がして、止められる隊長なんて、チェーザレ=オブシディアンの他にはいねぇよ!」
──死んだ人間の代わりを、生きてる誰かに求めるな!
ギードの気迫に、修羅も思わず、息を飲む。
「んでもって、人の上に立つ人間が、なりふり構わず自暴自棄を起こすんじゃねぇ……」
「──ッ」
正論をぶつけられ、ユーディンは言い返すことができず、口の端を噛んだ。
「……お見事」
カンカンカンッと、独特の音を響かせ、いつの間にか入り口に立っていたイムル=タルコが、両手の義手を叩いて拍手を送る。
妙なところを妙な人間に見られたと、ユーディンは渋い顔を浮かべ、さらに唇を強く噛んだ。
「いやいや、童の剣に、何やら曇りがあるとは思っていたが……物申す系の臣は、貴重だぞ? ウチに欲しいくらいだ」
「何しに来た」
嫌そうに、ユーディンがイムルを睨む。
「他国の皇帝を前に、そんな態度で良いのかな? 童よ」
イムルは、ニヤニヤと意地悪そうな笑みを貼りつけて、ユーディンを見下ろす。
が。
イムルはそのまま、静かにユーディンを前に膝をつき、礼を執った。
「な……なんの、つもりだ?」
ぎょっと目を見開くユーディンに、「なぁに」と、イムルは口を開く。
「貴様の剣は、迷っている。が、同時に、何かと闘い、かつ、そこから逃げぬ男の剣だと解ったからな」
なにより、メタリアで負った胸の傷も、まだ癒えきってないのだろう? と、隠していたつもりだったのに図星を指摘され、ユーディンはごくりと、唾を飲み込んだ。
「なぁに。こちらも久々に派手に暴れさせてもらって憂さは晴れたし、あの内容なら、脱同盟派も、納得するだろうからな。さっきのアレは、俺の負けでいい」
何故だろう。今の話の流れでは、間違いなく自分が勝ったはずなのに、どこか、腑に落ちないような、この感覚──。
何か言いたげなユーディンの視線を無視して、イムルは、話を逸らすように「ところで……」と口を開き、ちょいちょいとギードを手招きした。
「そこの騎士よ。気に入ったから、ウチの娘を、どれかもらってくれんか?」
「申し訳ありませんが……先約があるんで」
即答するギードに、イムルは特に気にした様子もなく、「そりゃ残念」と、軽い調子で返す。
対するギードはというと、少し複雑な表情で、胸にかけたほんのり温かみのある石を、服の上から、ぎゅっと握った。
◆◇◆
フェリンランシャオと同様に、アリアートナディアルの帝都にも、光の神と精霊機を奉る神殿が存在する。
しかし、それはいわゆる『分社』であり、元々は『聖域』と呼ばれる、限られた者以外の出入りを禁じたアリアートナディアル帝都北方に位置する砂漠の、あるオアシスに存在するという。
「その砂漠が、数日前から砂嵐で出入不能……あからさまにあやしいのぉ……」
移動用の簡易ドックをイムルに預け、精霊機とヴァイオレント・ドール──ヘルメガータ、ハデスヘル、アレスフィード、ウラニア、ムネーメーの五機のみで、その砂漠を目指す。
ちなみに、ルクレツィアはムネーメーに乗っているので、ハデスヘルは無人である。
が、元素騎士であるルクレツィアが別の機体に乗り、精霊機一機だけをアリアートナディアルの帝都に残していくのもおかしく見える話なので、現在はエロヒムとミカ、そして、かつて操者であったジンカイトの力で、以前の火山噴火の時のように、操者不在のまま、なんとか独立して動けるようにはなっていた。
『最ッ! 悪ッ! ですわッ!』
と、再びジンカイトを乗せることになったミカが、大変、嫌がったことはさておき。
カイの言葉に、ルクレツィアは表情を曇らせた。
『……私たちは帝都に引き返して、待ちましょうか?』
ムネーメーの心臓に響くムニンの言葉に、ルクレツィアは慌てて首を横に振る。
「駄目です! その……私が、行かなければ……」
行かなければ……と、心の底から思うのに、言葉が尻すぼみに小さくなった。
「ルツィ……」
カイが心配そうに、声をかける。
心臓同士の座標を合わせることは、精霊機同士でしかできず、ムネーメーに乗るルクレツィアとは、一般回線を使用しなければ通信ができなくなっていた。
触れれない。
側に居れない。
これまで、考えるまでもなく普通にできていたことが、できなくなって。
しかも、その原因の一端は紛れもなく自分であり──もどかしさで、カイはおかしくなりそうだった。
『……集中して。反応あります』
唐突に相棒にお尻を蹴っ飛ばされ、ハッとカイは顔をあげた。
構えると同時に、無数の光線が乱射される。
『はいはーい! 五名様、聖域までごあんなーい!』
「案内してどうすんのよッ!」
大変軽い声に、怒りの滲む少女の声が被った。
「ルツィッ!」
彼女の機体に光線が当たらないよう、カイはムネーメーを引き寄せた。
「あれは……デウスヘーラー、なのか?」
思わず呆然と、ユーディンがつぶやく。
暗闇の中、まばゆく輝く黄金の機体と、それに従う白銀の機体。
しかし、デウスヘーラーの形状は、以前とは大きく異なり──。
「綺麗……」
そんな場合ではないという事は解っていたのだが、思わず、ルクレツィアの口から、言葉がこぼれた。
以前、六本の砲門だったものは、金属でありながら、まるで有機物──三対六枚のカイの翼のような形状で、翼そのものが強く輝くと、そこから光線が発射され、こちらに向かって飛んできた。
「サフィリンッ!」
「ユディトッ! アウインを返せッ!」
カイとアックスが叫び、同時にユーディン──アレスフィードが動く。
しかし、アレスとデウスヘーラーの間に素早く白銀のウラニアが割って入り、光の精霊機を守るよう、立ちはだかった。
「くッ……」
アウインの喉に突きつけられた細いナイフが脳裏をよぎり、エヘイエーが思わず躊躇う。
その感情が肉体である風の精霊機に影響し、動きが鈍った隙をついて、ユディトのウラニアがアレスを殴り飛ばした。
「べーっだ!」
気の強そうな幼い少女の声が、それぞれの機体に響く。
その言葉は、子どもらしく、とても単純で。
向けられる感情は、子ども故に、純粋に鋭く、どす黒く。
「人間なんか、大っ嫌いッ!」
──滅んでしまえッ!
光の精霊機が、一際まばゆく輝いた。
その光が納まると、言葉通り、全ての光が、消失する。
「AaAaaAaAaAaaAaaAaaAaAaAaAaaAaaaAaAaAaAaAaAaaaaa!」
砂嵐の中、漆黒の光の精霊機と、それに宿る幼き邪神が、さながら開戦の合図のように、大きな咆哮をあげた。




