第九十九章 銀の義足 銀の義腕
「それ……その、本当に、大丈夫……なのか?」
くっきりと左目の周りに、痛々しい青痣をつくったモルガに、ルクレツィアは問いかける。
「おう。大丈夫。まぁ……致し方なし。じゃ」
第五格納庫に、一機だけ保管されていた、|旧式のヴァイオレントドール《ムネーメー》。
かの機体に、悪霊──もとい、ムニンの魂を接続。機体に宿った彼を、精霊と誤認させることで、呪いを受けて精霊機の操者の資格を失い、一般的なヴァイオレントドールに乗ることすら難しくなったルクレツィアでも乗れる機体を、カイは用意することができた。
が。
そもそも、ムネーメーがフェリンランシャオ帝国の主力だったのは二十年以上前の話で、とっくの昔に除籍された機体であり、何故そんな機体が残っていたのかというと、純粋に整備班長の趣味。かつ、大切なコレクションであった。
当然、事実を知ったソルは怒り狂い、カイは師匠に酒の空瓶をぶつけられ、左目に直撃。前述のように、大きな青痣となっている。
過去の例から、神である彼は、負った怪我を瞬時に治すこともできたのだろうが、彼は何故か、今回に限り──あれから三日経った今も、自然治癒に任せていた。
「どした?」
ジッと見つめていたのが気になったのか、カイは首を傾げた。
今は──この三日間は、落ち着いている。
邪神の気配も、アドナイ・メレクの気配も無い。
けれど、どこか──。
ルクレツィアはぶんぶんと首を横に振った。
「なんでもない。そんなことより……」
控えの間──といっても離れの天幕なのだが、通されてもう、ずいぶん経つ。
アリアートナディアル帝都。
砂漠の真ん中にできた、巨大なオアシス都市。
ラキア=タルコを騙し──げふん、彼女の協力を、しぶしぶながらも得たユーディンは、その日のうちに、アレスフィードとヘルメガータ、ハデスヘルの精霊機三機と、試作型ウラニア、ムネーメーの計五機のみを搭載した高速型の簡易ドック一艦のみで、アリアートナディアルへ向かい、予定通り本日到着。
連れてきたラキアを介し、なんとかアリアートナディアル皇帝、イムル=タルコとの会談へ、強引にこぎつけることができた。
ちなみに、サフィニアから接収したウラニアはギードが乗ることになり、ムネーメーも、表向きの操者はアックスという事になっている。
そして、緑の精霊機とデカルトは帝都防衛という名のお留守番である。
「陛下は、ご無事だろうか……」
普通の人間に視認できない事を利点に、様子を探っているミカたち精霊やジンカイト、そして何故か、生前よりやたらやる気とノリの良いムニンが、特に騒ぐこともなく静かであることから、無事、粛々と会談は行われている──と、思いたい。
眉間のシワをほぐしつつ、ルクレツィアは再度、ため息を吐いた。
◆◇◆
同じ砂漠の国である故に、石材や煉瓦でできたフェリンランシャオに近いモノはあるが、やはりどこか少し異なる様式の建築物。
ラキアの案内を受け、背後に控えるギードとアックスが、跪く気配を感じながら、玉座に座る白髪の男を、ユーディンは見上げた。
何度か会ったことがある──イムル=タルコに間違いはない。
末娘が隣に控えると、光の国の皇帝は、ゴホンと咳ばらいをし、口を開いた。
「久しいな。童」
何の用だ。と、イムルは子どもを威嚇するような険しい表情で、銀の腕を組む。
「解っているクセに。回りくどい言い方は、貴殿らしくない」
ユーディンの口調に、イムルは「ほう……」と、目を細めた。
「あぁ。そうか。そういえば、貴殿と会っていたのは、いつもアイツだったな」
我ながら、ややこしい……と、ユーディンは自分の頭を、掻く。
「余は、初対面のつもりではなかったが、貴殿にとっては初めて……失礼をした」
「いや、先帝……貴殿の父君から、話だけは聞いていた」
以前会った時と、まるで違う雰囲気に驚きはしたものの、イムルはさして動じていないよう、ユーディンに態度を改めた。
「では、改めて。フェリンランシャオ皇帝よ。用件を述べよ」
「……同盟破棄の件について。改めて、貴国と同盟を結びなおしたい」
ユーディンの言葉に、ふう……と、イムルはため息を吐いた。
予想通り。とでも、言いたげな態度で。
「そうは言ってもな。こちらもメンツというものがある」
「光の精霊機の暴走は、完全にこちら側の落ち度だ。返す言葉も無い」
申し訳ない。と、膝をついて深々と頭を下げるユーディンの言葉に、イムルは白に近い、金の目を見開く。
イムルだけではなく、ユーディンの背後のギードとアックスも、予想外に素直な主の反応に、息を飲んだ。
「故に、余は……かの機体と、それに宿る神を、鎮めたいのだ」
「ふむ、具体的に、どうやって?」
イムルはニヤリと、意地悪そうに笑う。
ユーディンはぐっと唇を噛みながら、老齢の皇帝を睨みつけた。
「……わからない。が、かの神は、我が盟友の肉体を得ているという情報がある」
だから、とりあえず真正面からぶつかる。
「ぶはははははははは」
真面目に話をしていたユーディンだったが、突然イムルが笑い始めた。
「ぶつかるって……神に?」
けらけらと可笑しそうに、ユーディンを指さしながらイムルは笑う。
「不遜だが、実に気に入った。俺の事を散々好き放題言っておいて、貴様も大概、脳筋じゃないか」
「………………」
おい……と、ユーディンは、隣で全力で視線を逸らすラキアを睨んだ。
この女、告げ口しやがったな……。
「よし、決めた」
ひとしきり笑い、落ち着いたイムルは、突然、玉座から立ち上がると、ユーディンに近づく。
その間、長く引きずるような薄い生地のマントと、薄い上着を脱いで、老いたとはいえ、しっかり筋肉の付いた肉体を露にさせる。
そして、その両腕は、肘から下が、銀色に輝く金属──。
「ここは解りやすく、力で決めようじゃないか。このまま再度、同盟を締結しても良いが、主権はどちらが握るか、強い方に従う。と」
「……とんだ賭博師だな。だが」
ユーディンもマントと裾の長いローブを脱いで、丸めるようにギードに押し付けた。
「受けて立つ!」
「陛下ァッ!」
ギードとアックス、そしてイムルに従うアリアートナディアルの騎士たちの悲鳴が、そこらかしこで上がった。
そんな彼らの声など聴こえていないようで、修羅は、銀の義足で床を蹴って飛び上がり、鞘をつけたままの仕込杖を、素早く振りかぶった。
対するイムルも、銀の左腕でその杖軽くいなし、右の拳をユーディンに叩き込んだ。
「ほう。病弱とかいうアレは、やはり嘘か。これは意外と、なかなか楽しめそうだ」
ゲホゴホとむせるユーディンに、イムルが楽しそうに口笛を吹く。
「なんなら、真剣でも構わんぞ俺は」
「ぬかせッ!」
言うな否や、鞘を抜いて、再びユーディンが振りかぶる。
「手加減なんぞ、してやらんからなッ! 老いぼれ!」
「当たり前だ! 童!」
おろおろと見守るしかない騎士たちの視線の中、双国の皇帝がクロスカウンターで倒れたのは、それから一時間後の話である。




