#0 プロローグ
「…ない……か…」
桜散った3月。
俺の3回目の大学受験は、失敗で幕を閉じたのだった――
「今年もダメだった。来年のことは…まぁ、ちょっと後で考えるよ」
俺、神崎智也はどんよりとした気持ちで街を歩いていた。
今年で最後と挑んだ受験戦争。結果は、惨敗だった。
志望校はいわゆる難関大学と呼ばれる一校ではあったが、目指しても入れなければ何の意味もない。
俺に残されたのは「大学受験失敗」という烙印と、
「…とりあえず、新作のラノベでも見に行くか」
受験勉強でかなりの期間遠ざけてきた「オタク」という趣味だけだった。
「なんじゃこりゃ…」
最寄りの本屋に入り、およそ2年ぶりに覗いたラノベコーナー。
そのラインナップに、俺は戦慄した。
『異世界』『転生』『スローライフ』『やりなおし』
どの表紙にもそんな言葉が躍っている。
とりあえず目に入った物をパラパラとめくってみて、再び俺は衝撃を受けた。
どの作品も、ダメな主人公が異世界に飛ばされ、もしくは転生し、そちらの世界で無敵の強さを発揮するストーリー。
思わず新刊で平積みされていた全種類を確認してしまったが、細かな差はあれ、その全てが同じような内容だった。
「ま、まじか……」
俺が高校生の時、ラノベを中心としたオタク文化は一大ブームを巻き起こしていた。
学園ラブコメから日常ギャグ、シリアスなSF、血みどろのダークファンタジー。
あの頃の中二病患者だった俺たちは、世間に溢れるそんな『異世界』に夢を持ち、様々な特徴を持つキャラクターに恋をし、仲間と語り合った。もちろん意見の相違でぶつかることも多かったが、そんな話だって、自分の世界を広げてくれるスパイスになったものだ。
それが、この状況はどうなのだろうか。
もちろん、今の人々に指示されているジャンルというものはあるだろう。俺だってすぐにでも全巻揃えて読破したいと思わせた作品はいくつもあった。
しかし、もう少し種類が欲しいと感じてしまうことは事実。
代わり映えのしない本棚を見て、今のオタクたちは何を語り合っているのだろうかと心配になってしまう。
「……あ」
と、そこまで考えてふと思った。
この主人公は、俺と同じだ。
現実世界では何も持っていない人間が、異世界でやり直し、ハッピーエンドを迎える。
それはきっと、俺の夢なのだ。
それはきっと、俺を含めた今の時代の人間の、夢なんだ。
「…帰ろう……」
俺は手近にあった『90歳で転生したので異世界で二度目の人生』を買って本屋を後にした。
外に出ると、さっきまで晴れていたはずの空にはいつの間にか分厚い雲がかかっていた。
そういえば、今日は午後から雨の予報だったか。
午前中には帰る予定だったので、傘の一つも持ってはいない。
ここから家までは歩いて20分。
雨が大粒になる前に、俺は足早に家へと向かった。
「…ん?」
家まで残り数キロという所でいよいよ雨に降られてしまった所で、俺は道の端で遊ぶ少年たちを見つけた。
これから雨はどんどん強くなるはずだ。いつまでも遊んでいたら風邪をひいてしまう。
「おい! そろそろ家に――」
と、その時、けたたましいクラクションが町中に響いた。
聞こえた先は、一つ先の十字路。
目を向けた時には、トラックと軽自動車がぶつかり、こちらに向かって突っ込んでくる瞬間だった。
俺は呆気にとられながら、その車を見る。
不思議な事に、一瞬で俺には見えた。
ここにいれば、車には当たらない。
でも、それで助かるのは俺一人。目の前の少年たちには問答無用でぶつかるだろう。
そんな時、パッと脳裏に浮かんだのはつい先ほど読んだ小説。
何かに同じような場面があった。
主人公は、咄嗟に少年たちを助けて自分が犠牲になるのだ。そしてその功績を神に認められ、異世界で新しい人生を過ごす。可愛い幼馴染が出来て、魔法の才能もあり、剣の腕も一級品。誰からも一目置かれる存在として生きていくというあらすじだった。
俺にも、今飛び出せばそんな可能性があるのかもしれない。
そうでなくとも、これから始まる地獄のような生活を回避し、少年たちを救ったという美談で俺の人生に幕を下ろすことができる。
なんて考えが頭をかすめた。
でもさ、考えてもみてくれ。
本当にそんな状況を目の前にして飛び込んでいけるのは、結局、物語の主人公だけなんだよ。
「――幸太!」
そんなことをぐるぐると考えて立ち止まり、少年たちと車の衝突をただ見つめるしかない俺の横を、人影が通り過ぎた。
その影は少年の一人を突き飛ばし――
――周りの少年共々、車の影に消えた。
どうやら現実にも、主人公はいるらしい。
あの人影が誰なのかはわからないが、異世界に転生でもしたのだろうか。
そこで新しい人生を送っているとか。
いやいや、常識的に考えてそれはないだろ。
だって、異世界なんて所詮はフィクション。
現実はそんなに甘いもんじゃない。
でも、俺はあの瞬間、単純に凄いと思った。
本気で他人の為に命を張れるってことに。
そして、憧れてしまった、そんな生き方に。
いい年してとか、思うかもしれない。そもそも実際に俺も思う。
単純で、影響されやすいくせに、実際には何もできない、何の取り柄もない俺。
そんな俺でも、誰かの力になれたら。
誰かの「助けて」に、応えてあげたい。
そんなことを思いながら、俺は向こう側に突き飛ばされた少年に向かってゆっくりと歩を進めた。
せっかく誰かを助けようと思った所だ。あいつみたいに命はかけられなくても、病院に連れて行くとか、家に連絡してやることくらいはできるはずだ。
「大丈…」
少年を見て、俺は目を見開いた。
彼は、突き飛ばされた衝撃でコンクリート塀にぶつかったらしい。
頭から血を流し、ぐったりと横たわっている。
「き、救急車!」
これだから現実ってやつは。
普通ここではコイツは軽傷くらいで助かるだろう。
で、病院で話をするんだ。
『あの人の分まで頑張って生きる』とかそういうの。
なのに、なんですぐ死にかけてんだよ。
「ッと…」
焦りと雨水で携帯が上手く使えない。
でも、こんな結果を絶対に認めてたまるか。
俺はようやく番号をプッシュし、
『はい、こちら――』
「救急車! 事故で子どもが死にそうなんだ!」
繋がった瞬間、相手の話も聞かずにまくしたてる。
初めてで何を言えばいいのかは分からない。
でも、伝えなきゃいけない確実なキーワードは3つ。
『救急車を呼ぶ』『死にそうな子どもがいる』『ここの住所』だ。
「場所は――」
最後のキーワードを言いかけたその瞬間、俺の声を背後から聞こえた爆音がかき消した。
現実ってやつは、いったいどこまで俺たちを馬鹿にすれば気が済むのだろう。
言葉に出来ない俺の怒りは、飛んでくる金属の雨の中に消えて行った。