族長と余所者
ここまで、月影森編の序盤となります。
あくまで合理的に物事を判断することができる偉大なる戦士ガラ。
柔軟な思考と熱意を持ちながら、立場と期待がその双肩にのしかかり苛められ続けるイズ。
イズの数少ない理解者として付き従うギナ。
彼らとの出会いが、主人公の「どうやって生きたいのか」という思いを強く刺激していきます。
この話より以降は、多くの出会いと死、数々の理不尽な出来事にめぐりあい、「そのとき自分がどうしたいと思うのか」を考え、どのみちへ進むのかを選択していきます。
重く息苦しい展開が続きますが、今しばらく彼らを見守ってやっていただけると嬉しいです。
■登場人物
『但野 宙』
自分の死をきっかけに、謎の存在から正体不明の力を授けられた人間の男。
悪運が凄まじく強い。
『月影森のガラ』
日が照らすことのない暗黒の森、「月影森」で暮らすコボルトの男。
誰もが認めるコボルトたちの偉大なる戦士、パワー・スピード・タクティクス…そのどれもが一級の戦士。
『月影森のイズ』
日が照らすことのない暗黒の森、「月影森」で暮らすコボルトの男。
次期族長としての器を持ってはいるものの、それはまだ青く若すぎた。
『月影森のギナ』
日が照らすことのない暗黒の森、「月影森」で暮らすコボルトの男。
慎重が高めなのでひょろっとした痩せ気味の体型に見えるが、かなりしっかりと全身に筋肉がついている。
『コボルトの群れの族長/月影森のザ』
日が照らすことのない暗黒の森、「月影森」で暮らすコボルトの群れを纏め上げる老人。
飢餓と病に身を蝕まれ、文字通り骨と皮ばかりの惨い姿をしている。
・・・・・・・・・・
荒れ果てている。
そう言い表すのが正しいだろう。
畑だったようなものがあるが、草の一本も生えていない。
農具のようなものが無残に放置されているばかりで、もはや誰も手入れなどしていないようにすら見える。
さらにはそこかしこに、大きさの大小にかかわらず、いくつもの泥まみれの毛玉が地面に横たわっている。
ここはコボルトの集落…ならアレは、そういうことなのだろう。
生きているのか死んでいるのかわからないが、いくつか無事なように見える住民は、横たわる毛玉に目もくれず視線は虚空に焦点を合わせているようだ。
これは、想像していた以上に酷い。
この三人のコボルトの戦士たちはまだ身体を鍛えているからだろうか、しっかりとした肢体であるかのように見えたから、この惨状は予想もできなかった。
だが、この集落の殆どの住人は、本当に骨と皮と、申し訳程度に毛がついているだけだとしか思えない。
この集落の住人の何人が、本当にきちんと生きているのだろうか…。
目を覆いたくなるような凄惨な光景に慄いていると、イズが先頭に立って吠え声を上げた。
その吠え声に突っ伏していた毛玉や、視線の虚ろだった者たちは一斉に振り向き、その瞳にわずかに輝きが灯った。
「みな、聞け!!
待たせてすまない、無事に獲物を仕留めてきた!
まだ体力にわずかでも余力があるものは煮炊きを手伝え!
それから、ガジとザイラはいるか!
大事な話がある、至急俺の元へ!」
死体のように見えていた毛玉たちがワッと立ち上がった。
先にであった三人と同じく、全身で疲労と衰弱が見て取れるほど弱っているが、それでも動き出す。
身動きがとれない者がいれば余力があるものが肩を貸し、乳飲み子を抱える母親らしき者はその子らを大事に抱えたまま気力を振り絞ってこちらへ歩み寄ってくる。
一瞬ゾンビ映画を思い出した、だがその眼に宿る灯火は、生きることへの力を感じる。
彼らを少しでもゾンビと思い間違えるのは、生きようと力を振り絞る彼らに悪い気がした。
真っ先にこちらへたどり着いたコボルトの青年…痩せ細って骨と皮ばかりだが、多分青年だろう…は、イズに対して膝をついてから声を上げた。
「お、おかへり、なさいませ…イズ様、お、おまちして、ほ…、おりました…ご無事で…なによりです…!」
息も絶え絶えで、話すのも辛そうだ。
それでもイズへの敬意を示すその姿は、この集落のコボルトたちの誇りある生き方の一端が垣間見える。
「よせ、このようなときにまで面を伏すな。
それより、お前はまだ動けるな?急ぎ煮炊きの準備に入り、早々に皆で食事にしてくれ。
動けるものから順に腹を満たし、次に全く動けぬものに分け与えよ、少しでも動けるものは自力で食べに来るようにせよ。
此度の獲物はみなすべてが腹を満たすほどの量ではないだろうが、それでも月影雷鳥の大物だ。
みなで少しずつ腹を満たすように、それから乳飲み子を抱える者には必ず骨を分け与えてやってくれ」
「かしこまりまし、た…!」
「イズ、俺も煮炊きの方を手伝う。
ガジとザイラが戻ってくるようなら、俺抜きで話を勧めてくれて構わない、それよりも早く族長に…」
「ああ、そちらはギナに任せる。
ヒロシとガラは、すまないが俺に着いてきてくれ。
まずは族長へ挨拶を済ませたいと思う」
「そうだな…ヒロシ殿のことは、やはりまずは族長に紹介するべきだと俺も思う。
それに…ヒロシ殿には教えておくが、族長はご病気で床に伏せておられるのだが、月影雷鳥の肝は族長のご病気に対して効く良い生薬となる。
俺としても、まずは族長の元へ急ぎ向かい、薬を飲ませてやりたい。
皆への紹介は後回しとなってしまうが、それでも構わないだろうか」
着々と話が進んでいくが、この惨状と、それに対するイズの統率力を見た後だと、余計なことはしないほうが良いと強く感じられる。
コボルトは犬みたいな見た目の通り、リーダーシップが強いものが一括して指示を与え、その指示に従う者たちの統率の取れた動きによって規律の取れた集合体となっているのだろう。
彼らの動きを妨げるようなことはしたくないし、それに俺としては挨拶の順番にはさほどこだわりはない。
何より、今の彼らに必要なのは俺なんかの挨拶よりも、まずは間違いなく食事だろう。
それをおしてまで、先に俺のことを紹介してほしいなどとは微塵も思わない。
俺はイズたちの提案を飲み、まずは族長へ挨拶へ行くことにした。
・・・・・・・・・・
「父上、ただいま戻りました!」
イズを先頭にして、大きな布張りのテントに入る。
イズ、ガラ、そして俺が入ってもまだ空間にゆとりがある。
そのテントの奥には寝藁が敷き詰められており、そこに横たわり布を被せられた一人のコボルトがいた。
おそらく、その人こそが族長と呼ばれる方なのだろう。
「…ぉ、お、…戻った、か」
力強い吠え声に対して、いたく弱々しい返事が返ってきた。
「…ゴホッ……誰か、手を…」
「…ガラ、頼む」
ガラの手を借りて、族長と呼ばれたコボルトの老人は上体を起こす。
顔を合わせて気がついた、白内障と言うやつだろうか、眼が白濁としている。
更には頬もコケており、鎖骨や肩の骨がぼっかりと浮き上がるほどに痩せ上がっていた。
これは…どう見ても薬でどうにかなるような身体ではない、もはや虫の息だ。
「父上、月影雷鳥の生き肝が手に入りました。
これで少しでもお身体が楽になるはずです。」
「…らい、ちょうの…きも、か…。
…よ、よく、仕留めた…。
…こ、これで、お前、を…もはや、誰も…わ、笑う、まい…」
「ええ、ですからまずは肝を。
今、食べやすいようにします…」
「…まて……イ、イズよ…もう、よい……よい、のだ……ゴフッ、ゴホッゴホッガハァッ……」
「ち、父上?」「族長!?」
イズとガラが同時に声を上げる。
見れば族長と呼ばれた老人は、その口からドロリとした血の塊を布の上に転がした。
それは明らかに人の体から出て良いような物ではない、これは…今このときが、この老人の死期だ…。
「カハァ、ッ…はぁ…はぁ……フ、フフ…少し…楽になった、な…。
…イズよ、よくぞ、無事に戻ってきた…私は、それが何よりも、う…嬉しい…。
…ガ、ガラも…よくぞ……イズを、無事に…連れ帰ってきてくれた…。
…私は…もはや、持たぬだろう…イ、ズ……お、お前に従うことに、拒むものなど…もはや、おるまい…。
…今より、お、お前が…うっ、ごほっ…ゴホッゴホッゴホッ…!」
「父上!?
しっかりしてください、父上!!
集落の皆も今に飢えを凌ぎ、これからこの群れは逞しく力を取り戻します!!
父上も皆と共に力を取り戻し、またあの頃のように…」
「ゴホッ…イズッ…!
…き、聞くのだ、イズ…お前は今より、この群れの、族長となる…。
…お、お前が皆を導き…そしてお前が……ウグッ…オッ…………」
「父上!? しっかりっ…父上!! 父上!!!!」
…。
し、死んだ…。
イズの父、この集落の族長、その人が、たった今…。
・・・・・・・・・・
自分の死はあれほど達観していたというのに、目の前の老人の死に、俺はひどく衝撃を受けた。
俺とガラは、イズと族長を残してテントを出た。
しばらく二人きりにさせたほうが良いだろう…ガラはそう言って、俺を一旦テントの外へと連れ出したのだ。
「…すまないな、族長に紹介するつもりだったが…やはり間に合わなかったか」
ガラは落ち着いた口調で、この事態を予測していたと言うようだった。
だが、あの様子を見てしまえば、もう長くはないということは俺にだってわかる。
イズは、あの動揺っぷりを見るに、これでなんとか命を繋ぐことができると確信していたのだろう。
その矢先の出来事だ…落ち着くまでは、二人きりにさせたほうが良い、確かにガラの言うとおりだ。
「しかし…これはまずいことになった…。
ヒロシ殿のことについては、新しく族長になった矢先に、イズ自身がみなに紹介せねばならなくなった…」
ガラは今の状況をまずいという、どういうことなのだろうか。
「俺達コボルトは縦社会だ、誰がどれほど実力を持とうとも、俺達自身が決めた上に立つ者にこそ従う。
こうして月影雷鳥を持ち帰ったイズが、新たな族長として上に立つことを拒むものはおるまい。
…だが、族長であるなら、群れのことを第一に考えねばならん。
俺達はヒロシ殿を連れ帰ってきた、この事情は絶対に話さねばなるまい。
だが、ヒロシ殿はコボルトではない、人間の…それも、その人間を客人として招く形だ。
客人として招くなら、この群れの住処を知った者であろうとも、無事に帰さねばならぬと誰でも思う。
だがそれにより、俺達は住処を脅かされることになるとも考えられる。」
「俺はそんな事するつもりはない」
「俺はもちろん、ヒロシ殿を信用している。
だが、群れの中には戦う力を持たないものも多い、彼らにとってはヒロシ殿は余所者であり、危険な存在としてその目に映るだろう…。
せめて、イズのお父上が族長としてご存命であれば、族長自らの手引きではないとして紹介することで、みなの警戒も薄くなったはずだ…」
「ん…? 族長になる前は良くて、族長になった後のイズが俺を紹介すると、なぜダメなんだ?」
「ヒロシ殿、もしも自分が付き従うべき人物が…俺達の族長が、嬉々として俺達の住処を侵略しようとする種族を客人として連れて返ってくるとしたら、どう思う?
誰がどう思おうが、流石に客人として迎えたヒロシ殿に危害が加わることはないはずだ…だが、群れの皆は、改めてイズに対して族長としての資質を疑うようになるだろう。
これでは集落が飢餓から救われても、イズが群れを率いて狩りを続けることは難しくなる…」
「そ、そんな…。
でも、ガラとギナは事情を知っているはずだ、それなら獲物を狩ることくらい…。
それに、確か俺のことは、みんなの命の恩人だと伝えるって…」
「皆の食事を先にしてよかった…。
族長亡き後、その発言を聞いてからあの肉を口にしようとするものはそう多くはなかろう。
コボルトの誇りを踏みにじろうとする人間たちから得る食料など口にしないという者たちもいる。
最たる問題は、俺達コボルトと冒険者たちとの根深い確執にある。
それほどまでに、人間は俺達との約束を反故にし、テリトリーを脅かし続けている…こればかりは、皆の心に深く根差す問題なのだ…イズの紹介であっても、快く思うものなど一握りもいればまだ良いほうだろう…」
淡々と、ガラは俺に対してこの集落がこれから抱えるであろう大きな問題について話してくれている。
何も隠さず、事実を教えてくれる。
この集落が抱える問題を理解していながら、俺を拒むようなことはなく、丁寧に話してくれる。
「それほどまでに、亡き族長とイズでは、族長としての歴と皆からの信頼に差がある。
イズは、人間という種族が問題なのではなく、人間という種族の中にいる者でもごく一部の、俺達の誇りを踏みにじるものだけが悪い存在だと考える、コボルトの中では柔軟で珍しいタイプなんだ。
そして、悔しいが…その思いについていけるコボルトはそう多くはない。
今回の件で、皆もやっとイズを認めてくれるようになると思ったのだが…。
イズはこれから、難しい立場に立たされてしまうだろうな…」
コボルトたちにとって、冒険者というのはそれほど悪質で厄介な悩みのタネらしい。
俺はこの地にどんな問題が根ざしているのか全く知らない。
すくなくとも、冒険者だけではなく人間であるだけで毛嫌いするほどの何かが、ここでは大きく関わっているということなのだろう。
更にはタイミング悪く、俺はこの群れにとっての救世主などではなく、一気にすべてを崩壊させかねない爆弾となってしまたわけだ。
イズが族長としての決心を固め、この集落の皆が食事を終えたら、いよいよ俺の紹介が行われるのだろう。
そしたら、どうなるんだ。
イズだって、ガラだって、みんなが助かると、泣くほど喜んでいたじゃないか。
生きて帰るのだってやっとだったはずのところで、奇跡のように俺と出会って、すべてが良くなるところだったじゃないか。
そんな、それなのに、そんなのって…あまりにも…。
理不尽だ…。
◆キャラクター紹介
『月影森のザ(族長)』
イズの父、床に伏せてもなお群れのものに戦士としての稽古をつけていたほど、胆力にあふれる猛者。
ガラの覚える[双爪連撃]を教えたのもこのザであり、床に伏せる前はガラをおして「最も偉大なるコボルトの戦士」と呼ばれ、凄まじい求心力を誇っていた。
その息子であるイズにも群れの皆は大いに期待を寄せたが、余所者であるギナを自ら迎え入れたり、そもそもコボルトですらない種族を村の一員として迎え入れたり、コボルトは縦社会なのにもかかわらず「余所者だという理由で無礼を働くな」と群れの皆に強く振る舞ってしまい、群れの中ではすっかり大きな軋轢が生まれてしまっていた。
ザはイズの事を気にかけてはいたが、しかし群れの瓦解を防ぐためにイズの肩を持ってやることは決してできなかった。
結局最後のときまで、イズが自らの力で「族長としての力を皆に認めてもらう」ということを見守ってやるだけしかできなかったが、ついに実力を示したと報告を受け、これで思い残すことは無いと気を張ることをやめ、その身を蝕む病症がまたたく間にザへと襲いかかり、絶命した。