第7話:幽鳳様が見てる その④
コンビニから飛び出した私は多田敷さんの手を引き、行く当てもなく走り続けた。
その間もどこからか謎の視線は私達を捉え続けていた。目を動かし、視線の出所を捜そうとしたが、どこにもその出所は見当たらなかった。
「ハァ……ハァ……」
やがて私は疲弊し、立ち止まってしまう。
普段から家の中に閉じ篭っている事が多いせいか、心臓は凄まじい速さで拍動し、酸素が上手く脳に回らなくなっていた。
そんな私の背中を多田敷さんが擦る。
「あーあー、無理するからー」
私とは打って変わって相変わらず暢気な声で喋る。
「……っはぁ……た、多田敷さんは……っ嫌じゃない訳?」
「うん? 何が?」
「……このっ視線、だよ……」
多田敷さんはキョロキョロと辺りを見渡し、微笑む。
「んー、私はそんなに気にならないかな? ほら、人間生きてる限りは多少視線を浴びるものだし」
彼女の理屈がさっぱり理解出来ない。多少は浴びるもの? これが多少だと言うのだろうか? 私が神経質過ぎるのか、彼女が無頓着過ぎるのか……。
「……お気楽だね」
「えへへ、そうかな~?」
ちょっとした嫌味のつもりで言ったのだが、彼女には通じない様だ。まぁこれは昔からか……。
私が近くの壁にもたれて休んでいると、多田敷さんの携帯が振動した。どうやら編集部かららしい。
「はいはい今出ますよーっと。はいもしもし、多田敷です。……はい。…………ええ」
私はすぐに次の行動が起こせる様になるべく息を整えていた。
「えーっと? ええ、ええ…………あー、はい。…………はい、分かりました。ありがとうございます」
話が終わったらしく、多田敷さんが携帯を切る。
「……何て?」
「幽鳳様の事少しは分かったかも」
「聞かせて」
「えっとね? 元々、幽鳳様は日本のある辺境で崇拝されてた神様なんだって。それで、昔はそこで崇拝されてただけらしいんだけど、過疎化が進んで村そのものが無くなっちゃったんだって」
過疎化による村の消失。割と聞く話ではある。そこに住んでいた人間が居なくなれば、崇拝する人間も居なくなるだろう。
「でもね? 普通はさ? 人が居なくなった村で崇拝されてた神様って、そのまま忘れられちゃうでしょ?」
「……そうだね。それが普通だよ」
「なのに、だよ? 何故か幽鳳様は忘れられなかった。現にこうやって私達が目撃した。これって何でだと思う?」
何故ここで質問してくるんだ……私はただ対処法を教えてもらって、一刻も早くこの状況から抜け出したいだけなんだ。
私は苛立ちを覚えながら答える。
「誰かが広めたんでしょ……」
「そう! そこなんだよね! でもね? 日本ってどっちかと言うと一つの神格だけを祀ったりせずに、複数の、いわゆる八百万の神を祀る傾向にあるでしょ?」
「まぁ……人それぞれでしょ」
「そんな日本でだよ? 何であそこまで熱狂されてるのかな? 他の神様だって居るのにさ?」
段々苛立ちが強くなってきた。何故彼女はさっさと答えを言わないんだ。私はクイズ番組に出てるんじゃないんだぞ。
「多田敷さん、いい加減にして」
「……分かったよ~。もう……かしのんってばせっかちさんだなぁ……」
そう言うと、多田敷さんは空を指差した。
「あれが幽鳳様の正体だよ」
私は指差された方向を見上げる。しかし、そこにはあの赤い丸は無く、ただ青々とした晴天が広がっているだけだった。
「何が言いたいのさ……?」
「だからぁ、あれだって」
多田敷さんは腕を動かし、より力強く指差す。
そして私はそこでようやく彼女の示しているものの存在に気付いた。
「……冗談で言ってる?」
「いやいや、あれだよ。あれ」
彼女の指先にあったのは、私達が普段から何気なく見ているもの『太陽』だった。
多田敷さんは腕を下ろし、再び説明を始める。
「今では幽鳳様って名前で呼ばれてるけど、昔は違う名前で呼ばれてたらしいんだ。いくつか呼び名はあったらしいんだけど、その中でも一番よく使われていたのが『テントー』だったらしいよ?」
私の中でパズルのピースがカッチリと当てはまった様な感覚があった。
私は多田敷さんと同時に声を出す。
「「『天道』」」
そうだ……私が昔、祖母から言われていた事と、あの教団の教祖が言ってた事は同じだ。
『悪い事したら、お天道様が見てるよ』
ただの迷信の類だと思っていたが、まさか本当に存在するとは……。
「あ、気付いたっぽいね。『お天道様が見てる』って言い伝えはここから来てるみたいなんだ」
「……じゃあ、あそこで見た、あの赤い丸は……」
「うん。幽鳳様もといお天道様だね」
とりあえず正体が分かった事で気持ちが少しは落ち着いた。だが、問題はどうやってあの監視から逃れるかだ。今でもどこからか視線が飛び、こちらを監視し続けているのだ。
ここで私はある事が気になった。何故あれはあそこまで平面的だったのかという事だ。そこに何か打開策がある様な気がする。
「かしのん大丈夫? 凄い汗掻いてるけど」
「え? あ、ああ……まぁ、久々に走ったし……」
私は顔を覗き込んできた多田敷さんに違和感を感じた。最初は何かの見間違いかと思ったが、どうやら見間違いではないらしい。『それ』は今確かに、私の視線から逃れる様に動いた。
「多田敷さん、動かないで……」
「え?」
私は多田敷さんの顔を掴むと可能な限り自分の顔を近付け、目を覗き込んだ。
すると、多田敷さんの右目に極小の赤い点が存在している事に気付いた。それは私に気が付いたのか、眼球の表面を滑る様にして移動し、まぶたの影へ隠れてしまった。
どうやらこれが幽鳳様の本当の正体らしい。
「多田敷さん、付いて来て」
「え、ちょっと?」
私は彼女の手を掴み、先程まで居たコンビニへと足早に戻っていった。
コンビニに到着した私は店内で目薬を見付け、それを片手にレジへ急いだ。
「350円になりまーす」
私は予め出しておいた小銭をレジカウンターへ置いた。
「レシートはいりません」
そう言うと目薬の入った袋を取り、すぐに店を後にした。
外へ出た私はすぐに目薬を開け、多田敷さんの元へ近寄る。
「あ、おかえり。どうしたの急に」
「幽鳳様の本当の正体が分かったかも……ちょっと待って」
そう言うと私は多田敷さんの返事も待たずに自分の両目にそれぞれ数滴ずつ目薬を差した。
普段目薬なんて使わないからか酷く沁みたが、何とか我慢し、顔を下に向け、両手で顔を覆った。
少し経ってから手の平を見てみると、目から垂れた目薬の中に小さな赤い点が浮かんでいるのが見えた。どうやらこれで問題は無い様だ。
「何してるの?」
「いいから、今は何も言わず同じ様にやって」
私が目薬を渡すと、多田敷さんは困惑しつつも目薬をしてくれた。
そして少しした後、多田敷さんの手の平を見ると、やはりあの赤い点があった。
「ん? 何だろこれ?」
「多分だけど……それが幽鳳様の正体」
「いやいや、さっきの話聞いてたでしょ? 幽鳳様は元々は……」
「分かってるよ。でも、何も実体の無いものばかり崇める訳じゃないでしょ? 宗教って」
私は目薬を袋に納める。
「例えばだけど、エジプトにはソベクと呼ばれる神がいる。これはワニの形をとると言われていて、それ故にエジプトではワニは神聖なものとして崇拝されている」
「あー! うちの雑誌でもそんな特集やった事があるよ! 凄いねかしのん! よく知ってたね!」
「……その記事読んだんだよ、一応」
「って事は……」
「多分、多田敷さんならもう気付いてるとは思うけど、これ……寄生虫の類なんだと思う。人間の目に寄生する」
自分で言っておいて何だがゾッとする。こんなのが自分の体に居たなんて思うと気持ちが悪い。
「んー、でもさぁ、これってただの寄生虫でしょ? そんな常に視線を感じるとかあるかな?」
「それについてだけど……人間の脳に何らかの電気信号を飛ばしてそういう風に錯覚させてるんだと考えてる。後は……まあ、こういうのは信じたくないけど、多くの人間に信仰される事によって、一種の神性を得たか……」
多田敷さんが笑う。
「おーっ! ついにかしのんもそういうの信じる様になったんだね!」
「……今、信じたくないけどって言ったよね? 私としては前者の説が圧倒的に理に適ってると思うけど」
全く、余計な事を言わなければ良かった……私はそういうのは信じたく無いんだ……あり得ないんだから……。
「昔は本当に崇められてたんだと思うよ。ただ、科学が進歩した今の時代、こんなの調べれば簡単に説明がつく。……大方、これに気付いたあの教祖とやらが自分が名声を得るために使ったんでしょ」
「でも……どうやって寄生させたんだろ?」
「そこまでは私も知らない。ただ、これは仮説だけど、あの建物の中にすでに存在してたのかも」
「つまり……?」
「……接触感染って言い方が正しいのかな? 要は空気中にすでに飛んでて、それが目の中に入ってきたって事」
私は歩き始める。
「どこ行くの?」
「帰るに決まってるでしょ。今日は疲れた……」
「ふーん……じゃあ私は一旦編集部に寄るね! この生き物がまだ見つかってない新種だったら大ニュースだろうし!」
「ああはいはいそうですか」
私は編集部がある方へと走っていく多田敷さんを背に家へと帰っていった。
それから数日後、私の家に封筒が届いた。
中身の予測はついている。『月刊 グランドクロス』。私が連載を持っている胡散臭いオカルト雑誌。またいつもの様に多田敷さんが余計な気を利かせて届けさせたのだろう。
後から感想を聞かれた時に面倒なので、仕方なく封を開け、雑誌を取り出す。
表紙には『新興宗教の真実!! 裏には小さな神の姿あり!!」と書かれていた。
全くよくこんな怪しさ満点の文を書けるものだ。これ買ってる奴はどんな奴なんだろうか。
そんな事を考えながら中を見てみると、そこにはあの教祖が捕まったという事が書かれていた。どうやら意図的に寄生生物を繁殖させ、寄生させていたのが問題になっている様だ。当たり前と言えば当たり前だ。
記事を読み進めていくと、あの小さな寄生生物についての事が書かれていた。まだ学名は決まっていないらしく、これから詳しい生態の検査を終えてから命名する予定らしい。
私はカップに入れたコーヒーを一口飲む。
どうかこのまま普通に終わって欲しい。神性なんてものは無い方が良いに決まってる。生物や知性体が持って良い力では無い。それに、もう監視されるのは懲り懲りだ。
私は部屋のカーテンを閉めると、原稿の作製を再開した。