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瑕疵症候群  作者: 鯉々
19/22

第19話:そこに居る者 その③

みてるよ

 仕事場に戻った私は机に紙を置き、大まかな流れを作るためのラフを描き始める。元々ホラー漫画が描きたかった訳ではない私からすると、何度も怖いものを描いては消してとしていると気が滅入って具合が悪くなる。

「っ!」

 私は窓からの視線に気が付き、咄嗟にカーテンを閉めた。

 今、間違いなくそこに『あれ』が居た。台所での時と同じ様に、外から私を観察していた。いや……正確には違う……私を捕食し、より精度の高い都合のいい疑似餌にするためだ。こいつは今の私にやっている様に、人間の認識に取り憑き、その認識を少しずつ侵食していく。そうやって徐々に錯乱させて、他の人間に『自分自身』の情報を拡散しようとする。そうして感染した人間を侵食し、更なる餌を捕まえるためのルアーにする。それがこいつだ。

 私はなるべく頭の中に『あれ』を思い浮かべない様に注意しながらラフを進める。作中では殺人鬼が主人公達を追い掛け回している。我ながらよくこんな悪趣味なものが描けるなと思う。出来る事なら描きたくはないが、描かなければ仕事が無い。だから描かなければならない。

「こうして……」

 今描いているこの漫画は、実はただの殺人鬼ものではない。本当は殺人鬼が最終的に主人公達に何とか倒されたが、その体に宿っていた悪霊が出てきて結局皆死ぬというオチにするつもりだった。しかし、描いている内にそれではありきたりでつまらないと思って少し展開を変えた。

 殺人鬼は何故か途中で主人公達を追うのを止める。更に主人公達も逃げるのを止め、最終的には彼らは嵐の中、山荘から姿を消してしまう。しかし、そんな中一人だけ山荘に残った人物が居たのだ。その男は事件のショックで目を閉じる事が出来なくなっており、服もよれよれになっていた。男はうわ言の様にこう呟く「皆釣られた皆釣られた皆釣られた皆釣られた」と。そう、被害者など誰も居ない筈なのに……。

「…………はっ!?」

 私は椅子ごと後ろに飛び退いた。あまりに勢いを付け過ぎたせいか盛大に転んでしまったが、今の私にはそれどころではなかった。

 ありえない……ありえ、ない……何だそのストーリー……そんなのありえないでしょ……。何で、『あれ』が『あいつ』が居るんだ……違う、考えてない……『あいつ』の事なんて考えてない……! 考える訳がない! あんな、あんな『あいつ』の事なんて……『あれ』があそこに居るなんておかしいんだ……! そんな役割のキャラは居なかった筈!

 私は吐き気を抑えながら立ち上がる。明らかに自分が重症になっているのが分かった。部屋中にある隙間から『あいつ』の視線を感じる。『あいつ』は隙間から私を見始めた。テレビからネットに、ネットから窓の向こうに、窓の向こうから……部屋に移ってきた。

 私は部屋から出ようとノブに手を掛けるが、体が固まる。本能的に理解してしまった。開けてはならない。向こうに『あいつ』が居る。『あいつ』が外で待っている。

 体中から吹き出した汗でどんどん体が冷えていく。

 クソ……仕事場に来たのは間違いだった……『あいつ』はこれを待ってたんだ……。ここはこの扉と窓を封じてしまえば完全な密室だ。カーテンの向こうには『あいつ』が居る、扉の外にも居る、部屋の隙間中に『あいつ』が居る。駄目だ……逃げられない……。

 私は部屋に置いてあるストーブに近付き、電源を入れる。元々は漫画の資料用に昔の物を取っておいたのだ。普段はエアコンを使って部屋の温度を調整しているのだが、今はそんな時間が勿体無かった。とにかく、早く火が欲しかったのだ。自分の体から出た汗のせいでどんどん体が冷えていたからだ。

 ようやくストーブは懐かしい音を響かせ、起動した。

 クソ……『あいつ』がまだ見てる……最早どこから見てるのかも分からない……部屋そのものから視線を感じる。そんなにか? そんなに私がルアーとして適材なのか? 私が漫画家だからか? 紙媒体に情報を載せる事が出来る漫画家だからか? それとも特に理由は無いのか? お前にとっては人間は侵食対象でしかなくて、便利なルアーでしかないのか……? ……考えるだけ無駄かな。こいつはきっと私達人間の理屈は通じない……こいつは最早ウイルスだ。人間の認識に感染し、確実な治療法の無いウイルス……宿主を殺さず、都合よく操る寄生体。そして、絶対に滅ぼす事が出来ない……実体の存在しない『情報生命体』……。


「……!」

 目が合った。ストーブの隙間の奥から、『あいつ』の目がこちらを覗いていた。炎が妙な動きをしている様に見えてしまう。

「うわああああああぁああーーーーッッ!!」

 限界だった。私はとにかく全てを掻き消す様に叫んだ。喉が痛む事など気にも留めなかった。私は目を瞑り叫びながら我武者羅に飛び出す様に走り出した。どこに何があるかなんてどうでも良かった。ついには何かに躓き、体全体で何かを乗り越える様に派手に転んでしまったが、もう目を開ける気は無かった。目を開けてしまえば、きっと『あいつ』が見えてしまうからだ。

 その直後、耳をつんざく様な爆音と何かに思い切り押される様な感覚が襲い掛かってきた。私は何とかその現象に耐えようと床にへばり付き、耐えよ








 


 



 どこだ、ここ……?

 私は見た事が無い天井に気付き、体を起こす。体中が痛かったが、ここがどこなのかという事の方が重要だった。

 何となく顔を横に向けた瞬間、見覚えのある顔が目に飛び込んでくる。

「やっ」

「……! 多田敷、さん?」

「いやービックリしたよ。もうホント心臓止まるかと思った」

「え……ごめん、何? 何があったの?」

「あり? 覚えてないの?」

 多田敷さんは丸めていた新聞を広げ、私の前に広げる。

「ほら、ここ読んでみ?」

「『漫画家 樫野優の家で爆発事故』……?」

「そっ。ほら、かしのん骨董品みたいなストーブ持ってたでしょ? 私が危ないから捨てろってずっと言ってたやつ」

 そういえば、そうだったか。そんな物も持ってた気がする。

「あれの中に残ってた石油が揮発しててガスになってたんだって。で、かしのんが何故か点けちゃってドンッ!」

 何で……何で点けたんだろう……? そういう現象が起きるって事は知ってたし、あれは資料用に置いておいただけで、使おうとは思ってなかった。そもそもエアコンがあるし使う意味が無い。

「ねぇかしのん? 何で使っちゃったの?」

「いや……分からない。分からない……」

「でも運がいいよね。丁度爆発が起きた時、かしのんソファの後ろに隠れてたみたいだし、怪我も頭のそれだけで良かったよ」

「頭?」

 頭を触ってみるといつの間にか包帯が巻かれており、僅かに痛みを感じた。

「棚の中に置いてた資料用の分厚い本が落ちてきたんだってさ。ちゃんと片付けないと駄目だよ、かしのん?」

「え? あ、ああうん……。あのさ、私、どれ位寝てたの?」

「二日位かな? レントゲンの結果も異常が無かったみたいだし、心配しなくていいよ。記憶の混濁はあるみたいだけど、その様子だと致命的な障害は無さそうだね」

 二日も気を失ってたのか……。そういえば、私はあの時何をしてたんだっけ? ストーブを点けなきゃいけない程の事って何だろう? 何か……何か忘れてる気がする。その『何か』が原因な気がする……でも、その『何か』が思い出せない。

「あっ、そうそうかしのん。何か変なメールが来てたけど、どこにも変なキャラクターなんか居なかったよ?」

「メール? メール……送ってたっけ……」

「うん。まあ寝惚けてたのかもね、最近忙しかったし。一応編集長に掛け合ってお休みを貰っといたから、少し休んだ方がいいよ」

「そ、そっか。うん、じゃあそうしようかな……」

 何か忘れてる気がするけど、良しとしよう。特に生活に問題を来たす記憶では無さそうだし、このままでも大丈夫そうだ。そもそも忘れてしまう記憶なんて、大抵大した事のない記憶だ。忘れてしまっても問題の無い、それだけの価値しか無い記憶だ。さて、と……しばらくは編集長からの御好意に甘えるとするかな……。







いまからそっちにいくね

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