第10話:思い出に残る火葬場 その③
やがて木箱を覆っていた炎は鎮火し、完全に消えた。何故か木箱は全く焼けておらず、焦げている様な様子も無かった。
炎が消えると同時に私の体が帯びていた熱は嘘の様に消えた。
「何を……したの……?」
私は多田敷さんにもたれたまま男を睨む。
「樫野様、恐らくもう気付いておられるのでしょう? 私が行ったのは思い出の焼却です。焼却された思い出は個人のものではなく、皆のものになるのです」
私の頭の中に今まで無かった筈の文章が浮かび上がってくる。恐らくは多田敷さんが持ってきたあれで間違いないのだろう。
しかし、何とも……気持ちが悪いな……。自分が持っていなかった筈の記憶だというのに、何故か昔から知っていたかの様な感覚でもある。『知らないという自分』と『知っているという自分』、二つの意思が同時に存在しているかの様な感覚で、どちらを信じていいのか脳が混乱を起こしていた。
私はもたれていた多田敷さんから離れ、しっかりと立つ。
「美しい思い出は皆で共有するべきだとは思いませんか? 辛い事も楽しい事も、全て共有するのです。我々はそのために居ます」
「……悪いけど、私は賛同出来ないな。自分の記憶は自分だけのものにしときたいんでね。それと……そんなに共有したいなら、もっとチラシでも配ればいいんじゃない……?」
「…………そういう訳にはいきません。誰も彼もとやっていてはキリがありませんので」
……何だ? 今の間……何か妙だったけど……。
しかしどうするべきだろうか……? 一応目の前でこいつが持つ異常さは見れたし、多田敷さんも満足しているだろうが、逃げるべきだろうか……? こいつの目的は、思い出の共有……世界中の人間を一つにする事だろう。一見聞こえはいいが、私にとっては大問題だ。漫画が売れる理由は『自分が体験した事の無い事を体験出来る』からだ。皆刺激のある体験を求めて漫画を読む。もしこいつのせいで全ての人間の記憶が完全に統一されたら、誰も新鮮な体験が出来なくなってしまう。そうなったら……私の漫画も売れなくなり、最終的には打ち切りだ。
普段は恐怖が勝る筈の状況であるにも関わらず、私の中には怒りが沸々と沸き上がっていた。
もし打ち切りにでもなれば、漫画が描けなくなってしまう。別にホラー漫画が描けなくなるのは構わないけど、ずっと描きたいと思っていたファンタジー漫画すら描けなくなる可能性がある。
私は自分のためにこの怪異を倒す事を決め、多田敷さんに耳打ちする。
「……ちょっといい?」
「どしたの?」
「ここのチラシ……持ってるよね?」
「うん。鞄の中に入ってるよ?」
「出して」
多田敷さんは不思議そうな顔をしながらも、鞄からチラシを出してくれた。
私は男の方からは見えない様にチラシを折り畳んだ。
「何やってんの?」
「いいから」
「樫野様、樫野様も何か焼却なさいますか?」
私は折り畳んだチラシを持ち、木箱に近寄る。
「ああ。これにするよ」
私は木箱の中にチラシを放り込み、多田敷さんの隣へと戻った。
「ふむ、これはどういった物でしょうか?」
「……燃やしてみれば分かるよ。さっさとやって」
男は相変わらず無表情のまま松明に火を点け、木箱へと燃え移らせた。
木箱は先程と同じ様に燃え上がり、私達の体は熱気を浴びていた。
その時、男の体に突如亀裂が入り、その隙間から光が溢れ始める。
「何ですか……これは?」
「思った通りか。正直、利かなかったらどうしようかと思ってたよ」
「え、何々!? どうなってるの!?」
「……怪異が怖がられる理由、それは普通ではないからだ。自分達が体験した事の無いものを見ると、人間は恐怖するんだよ。人間が恐怖するから、怪異は怪異であり続けられる」
「……私、は……」
「もしこれが利かなかったらあんたは本物の異常存在って事だと思うよ。それこそ、ずっと昔から居る本物の存在って事に。でも……違ったみたいだ。あんたは所詮、人間が作った出来損ないの怪異……不確定要素が無いと存在出来ない……自分の事を知らない人間が居てくれないと存在出来ない奴だった……」
男の体の亀裂はますます増えていき、段々その形を崩していく。
「消さなくては……」
「あんたに消せる訳? あんたは思い出を焼却するのが仕事、そういう風に設定されてる怪異なんでしょ? この世に存在する怪異は皆そうなんだよ。誰も、予め決められた自分の特性に逆らう事は出来ないんだ」
「しょう、きゃ、く……われ、われをわす、れ……」
やがて男の体は眩い光と共に完全に崩壊し、塵の様に姿を消してしまった。男の体が消えると共に、燃え盛っていた木箱も元通りになり、更には巨大な施設もただの廃墟に成り下がっていた。
多田敷さんが慌てた様子で話し出す。
「な、何が起こったの!? あの人は!?」
「……多田敷さん、悪いけど、私の漫画のためにあいつには消えてもらったよ」
「え?」
「おかしいと思ったんだ。あいつが本当に全ての人間の記憶を統一したいと思ってるなら、もっとやり方があったと思うんだ。それこそ、ネットで広めるとかさ……」
「まあ、それは各々のこだわりじゃないの?」
「……でも違った。あいつは、怪異であり続けなければならなかったんだよ。そのためにああやってちょくちょくチラシを配って人を呼んでたんだと思う」
「怪異であり続ける?」
「うん。怪異っていうのは結局のところ、人間が作り出してるんだよ。妖怪とかもそうだしさ。あいつもそうだった。ああやって自分の異常性を発生させて、怪異であり続けようとした」
「いや、でも消えちゃったよね?」
「うん。今やあいつの存在は皆に知れ渡った。誰も知ってるありふれた怪異。今更語るほどの事も無いチープな話になった。何の恐怖も覚えない存在にさ」
今やあいつはビッグフットと同じだ。出始めの時は注目されてたし、テレビで捜索隊が組まれて真面目に捜査もされてた。でも今ではただの客寄せパンダ。見た目も分かってるし、居ない可能性の方が高いから真面目に捜査もされない。出来の悪い合成写真やらを売るための存在に成り下がった。
「……帰ろう。もう調べる程の価値も無いよ」
「え、ちょ、ちょっと!?」
私は用済みになった施設を出るために歩き出した。
思い出の共有なんてしたくない。私の記憶は私だけのものだ。誰にも踏み込ませない。
私達は鳥居の下を潜り、元来た山道を下っていった。




