第十六話──決戦の裏で その2──
結果から言うと、亮が引き金を引くことは出来なかった。
「まぁ、天使を殺そうとする気持ちはわからんでもないけど、やめた方がいいよ。イレギュラーは起きないに越したことがないし」
引き金に指をかけた瞬間に、亮にそんな声をかけられたからだ。
ガバッと振り返ると、そこには昼間の少年がいた。
どこに置いてきたのか、昼間は竹刀袋を持っていたはずだが、今は竹刀袋は見当たらず、日本刀を直接手に持っている。
「お前……一体どうやって……」
「どう侵入したかという意味なら、普通に正面からと言うしかないね。別に鍵もかかってるわけでもないしね」
そう飄々と答える少年。亮は、険しい顔をしながら、本来は葵に撃つはずだった拳銃をしっかり握った。
この少年は怪しい。というか、昼間から突如現れて邪魔するなど怪しい所しかない。
普通に考えると、亮が一人になった所を見計らって、葵を奪いに来たと言ったところだろうか。
今ここで、葵を奪われてしまってはウロボロスへ合わす顔がない。
昼間は、少年の謎の異能によって、まともに戦うことができなかった。
ならば、先手必勝。
拳銃を構えようとした時である。
階上から、凄まじい音が階下であるこの部屋まで響いてきた。何か積んでいたものが落ちたと言ったところだろうか。
「はじまったみたいだね」
少年はそんなことを呟く。
「何がだ」
「戦いだよ。上に侵入者がいたみたいだね」
そう言うとにっこり笑った。
「ちっ! こういう時に和泉がいたら……」
彼女が入れば、的確に侵入者に対処できた──いや、そもそも侵入者が入る前に、その存在に気づき、場所を変えることで、こんな状況にはなっていなかっただろう。
そう、心の中で思ったのだが、思わず呟いていたらしい。
意外なことに少年は、その名前に反応を示した。
「イズミ? へぇ、あの女性そんな名前なんだ」
少年は、あの女性と言った。まるで会ったかのような言い方だ。
いや、もしかしたら──
「……お前もしや……和泉を殺したか」
思った事をそのまま口に出した。
亮も京介もずっとそうではないかと思いながら、口に出さなかったことだ。
別に、ただの思い過ごしならそれでいい。ただこの少年と和泉が偶然道端であった程度ならそれでいいのだ。
そう思うのは亮の甘い希望的観測だろうか。
対する、少年の答えは──
「あぁ、そりゃもちろん。僕が殺したよ」
あっさりとしたものだった。
まるで、今日の朝食はパンでしたみたいな軽さだった。
「まぁ、やっぱりああいうサポートできる能力は放置しておくとめんどくさいからね。やっぱり殺すしかなか──」
「お前ぇぇぇ!!」
後半の少年の言葉は、亮には入ってきてなかった。
殺した。その一言で頭に血が上った亮は、叫びながら拳銃を構える。
そして、少年へ向けて撃──
「危ないなぁ」
気づけば、少年は目の間にいた。
数メートルは距離は離れていたはずなのにだ。昼間からさんざん使われた、謎の異能だろうか。
さらに、おまけに蹴りのモーションに入っていた少年は、そのまま拳銃を蹴り飛ばす。
拳銃は、一メートルほど離れた地点まで飛ぶと高い音を響かせながら落ちた。
「何? もしかしてその女性が、君の恋人か婚約者だったりしたの? それか、ただ仲間だけど君が仲間を大切にする性格なのかな? まぁ十四歳の僕にはその心中は測れないけどさ」
ブツブツと言う少年。その様子は余裕に溢れていた。
一切こちらに負けることなど考えていないからこその強者の余裕。
「このおぉ!!」
武器を失った亮は、思いっきり目の前の少年に殴り掛かるが、その時には再び少年は視界から消えていた。
それに気づいた時には背中から、衝撃を感じ、体勢を崩していた。背後から蹴られていた。
そのまま、ゴロゴロと床を転がる。
またこれだ。亮はそう思った。昼間もこの意味のわからない相手の異能に手も足も出なかったのだ。
このままだと、殺られる。
そう確信したが、それでもただやられる訳にはいかない。
怒りで闘志を燃やしながら、相手を睨みつける。
「まぁまぁ、そんな怖い顔で睨みつけないでよ。僕は、ここで君を殺してもいいけどさ。君にちょっとした提案があるんだ」
少年は、亮を追撃したりはせずにそんなことを語りかけてきた。
提案という言葉に、亮の動きも止まる。
「提案?」
「そう、提案。別に簡単なことさ。僕はなるべく人は殺さないようにしてるんだよね。具体的には一つの仕事につき、一人。まぁ自分で決めたルールなんだけどね。で、今回は和泉さんを僕は殺しちゃったわけだから君をなるだけ殺したくないんだ。──だからさ。君が、今すぐここから逃げるというなら見逃してあげるよ」
少年はそう言うと、どう、悪い提案ではないんだけど? と、そう言わんばかりの顔で首を少し傾けた。
「もし断ったら?」
「この日本刀で君を斬る。生憎一仕事につき一人しか殺さないっていうのは自分のルールでしかないからね。どうしようもないならこんなルール破るよ」
「ずいぶんあっさり破るんだな。……ただ俺もそうあっさり提案を受け入れるわけにはいかないんだよ。任務失敗よりは死を選ぶさ」
そう言いながら、ギュッと手で拳を作る。
この少年は得体がしれない。勝てる見込みはおそらく無い。
それでも諦めるつもりはなかった。
あわよくば上で戦ってる京介が勝って、そのまま少年にも会わずに生き残るのを期待するのみだ。
「あぁ、君もこれが仕事だもんね。負けるにしろ、ただ負けるのじゃなくて理由がいるのか」
少年は納得したような顔をした後、首を少し傾けて、考えると振りをする。
「うーん……そうだな……なら、こう言うといいよ。──『七つの大罪』の一つ、怠惰の能力者に邪魔された、と」
「なっ……」
亮は絶句した。
『七つの大罪』。世界最古にして世界最凶の能力。そのうちの一つ、怠惰の能力者と己を名乗ったのだから。
つまり、今まで突如消えたり現れたりするのに使っていた謎の異能も『七つの大罪』によるものなのだろうか。
しかし『七つの大罪』なぞ、都市伝説レベルの異能である。普通に考えれば少年は、嘘をついている可能性も高い。
けれど、自分がその怠惰の能力者なんて普通嘘をつくだろうか? それに、怠惰の異能者と言われると、亮は妙に納得した。
「どうせ、今こうして『四大天使』に手を出すということは、そっちのウロボロスのリーダー格にも『七つの大罪』のどれかあるんでしょ。……そうだなぁ、この急進的なやり方は傲慢か憤怒……もしくは暴食辺りかな?」
「知らねぇよ」
ブツブツと呟く少年。亮には、はっきり言って内容はイマイチ理解出来なかった。七つの大罪のどれかをリーダーが持っているなど聞いたこともなかった。
「まぁ、首謀者か参謀か、そこら辺のウロボロスの中でもかなり立場が上の人たちに、怠惰の能力者に負けたと言えば、一考の余地があると思うよ。恐らく、この情報を伝えた事でプラマイゼロとまではいかなくても多少は失点を消せるんじゃないかなぁ」
「……」
こちらの考えてることや理解などお構いなしに喋り続ける少年。
亮は悩んだ。
確かに、今ここで死ぬよりは、逃げて生き延びた方がいいに決まってる。
けど、今ここで逃げたら、上で戦う京介を見捨てるような気がした。
「……」
「さぁ、決めなよ。僕の気が変わらないうちにさ」
悩み沈黙する亮に、少年が返答を急かす。
「……分かった。お前の提案を受けよう」
ゆらりと立ち上がるとバーの扉を開けた。
「あぁ、もちろん上の階へ行くのは禁止だよ。行くなら即殺す」
少年に釘を刺される。
結論、亮は逃げた。
もちろん後で逃げた後に、この少年には復讐する。これは大事な情報を伝える為でもあり、無駄死しない為だ。
心でそう言い聞かせても、亮の心の中は京介を捨てて逃げた。その事実は変わらないし、それに対する後悔と罪悪感しか湧いてこなかった。
その後、あの電話をかけた街外れのビルまで行ったはずだが、どうやって行ったか覚えてない。
──☆──☆──
「──と言うことです。あのビルには少し前に細心の注意を払いながら戻りましたが、そこに京介の死体があり、目標の少女は消えていました。これで以上です」
亮は、スマホに向かってそう言い切った。
もしかしたら、話の後半は言葉が震えていたかもしれない。逃げた時は、後悔と罪悪感しか無かったが、今はそれとは別の感情がある。怒りだ。
逃げた亮自信に対してか、それともあの少年に対してか、はたまた京介を殺した誰かに対してかはわからないが、どす黒い怒りが腹で今にも噴火せんと煮えたぎっているのを感じる。
「ふぅん。なるほどね。まぁ確かに怠惰が介入したことには間違いなさそうだ。わかった。お前への扱いは後で言う。今はさっさと帰ってこい」
「はい」
リーダーは、そんな亮を知ってか知らずかいつも通りの冷たい声で対応した。
「報告は以上か? なら切るぞ」
ツーツーという音を響かせながら、電話が切れる。
元のホーム画面に戻ったスマホの電源を切り、ポケットに入れる。
ポケットから手を取り出すと、いつの間にか手は拳を作っていた。
爪が皮膚に食い込むくらい、強く握る。
「俺の仲間の命を奪った奴らめ。必ず殺す!! 首を洗って待ってろ」
そんな呪詛みたいな呟きは夜の闇夜へ吸い込まれていった。