第十四話──天使と殺意──
昔は店名の書いた看板が付いていたらしい扉を開ける。
中は祐真の言った通り、バーになっていた。
店内にはカウンターがあり、そのカウンターの奥の壁には、酒を置いておけるであろう棚が見える。生憎……というか当然だが、今はもうお酒などは置いてなかったが、椅子や机はそのままであり、もし営業していたならば、そこで一杯やりたくなるような雰囲気があった。
斗真はまだ未成年だが。
「葵!!」
店内を見渡すと葵はすぐに見つかった。
葵は店内の奥の、バーとは別の机にうつ伏せで寝かせられていた。どうも精神的なショックからか、気絶している様だ。気絶しているとはいえ、手足は脱出防止のために縄でキツく縛られている。
「!!」
急いで縄を解こうと、葵に駆け寄ろうとしたその時だった。
斗真の身体の動きが止まった。
別に身体に異変があった訳では無い。心に異変が起きていた。
突然ある感情一色に心が染められていく。それは殺意。ただそれだけ。
あまりの唐突な変化に、斗真自身が困惑する間も心は殺意に染まっていく。
殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。
目の前の少女を殺したい。
斗真は、いつの間にか左手に握っていたナイフを葵に突き出していた。
その事に気づき、ナイフを持つ手がプルプルと震える。まるで初めて人を殺すような様子だ。
「……祐真のやつが、さっき言っていたのはこれか」
口調は冷静そのものだったが、内心は全然そうじゃなかった。むしろ、殺そうという気持ちを抑えるのに必死である。
ナイフを突き出す左手を右手で抑える。撃たれた右肩を動かすのは、正直言って辛かったが、そうでもしないと今にも刺しかねなかった。
「……クソッ!!」
そのまま右手に強引に力を入れ、左手を降ろさせれる。
カラーン、と降ろしてみるとあっさりとナイフは手から離れた。
殺意は嘘のように消えていた。
「はぁ……はぁ……なんだったんだよ……全く……」
「すいません、私のせいで」
「!!」
その声に斗真は驚いた。見れば、葵が目覚めていた。身体をなんとか動かしたのか、上体を起こし、今は普通に椅子に座っている。
すいませんと謝る彼女。そんな葵に斗真は違和感を感じた。
「葵……起きてたのか。──いや、違うな。お前は誰だ?」
そう聞くと葵(の姿の誰か)は目を見開いて、驚いた顔をした。
「驚きました。まさか、気づくとは……」
「葵とは会ってからまだ数時間しかねぇが、何となく葵と喋り方が違う。まぁそれくらいは気にするほどの事でもないのかもしれないが、生憎数ヶ月前に、殺そうとした相手が、実は全くの別人という事があってな。そういう事には敏感なんだ」
斗真は、適当にバーに備え付けてあった椅子に座った。
「で? 別に葵の偽物ってわけじゃないんだろ? どちらかと言えば二重人格とか意識が乗り移ったとかそういう類いか。わざわざ葵の身体を借りてまで、何か話したいことでもあるのか?」
葵の身体を乗っ取る何かは頷いた。
「そうですね。まず自己紹介からいきましょうか。私の名前は『ラファエル』。現在彼女の身体を借りているあなた方が異能と呼ぶものの一つです」
「ふーん、『ラファエル』ねぇ。確か天使の名前だったっけ? モンスターやオカルトの名前しか存在しないと思ってたから意外だな」
斗真のセリフを聞くと、葵の身体を乗っ取っているラファエルは、意外そうな顔をした。
「思ったより驚かないのですね。てっきり異能が身体を支配するなんて有り得ない!! くらいの反応をするかと思いましたが」
対する斗真は、淡々としていた。
「いや、過去に自我を持つ異能にはあった事があるからな。流石に本体を乗っ取る異能は初めてだが、別に驚くほどじゃねぇ」
「そうですか。それなら話は早いです。先ほど天使の名前に驚いておられましたが、実際に天使の異能は珍しいです。具体的には世界に四つしか存在しません」
斗真は、バーに左肘で頬杖をついた。
「四つ……ねぇ」
「はい、四つです。詳細は省きますが、現在この四つの異能は全世界の異能者──いえ、異能そのものから狙われているのです」
「異能そのものから狙われている?」
斗真は怪訝な顔をした。
「はい。先ほどあなたが、ナイフを向けたのもそういうわけです。あなたの中の異能がわたしを殺せと働きかけたのでしょう」
「『ポルターガイスト』がねぇ……」
はっきり言って斗真には、にわかには信じられない話だった。が、あの時の殺意は少なくとも自分のものでは無いのもまた理解している。
「そんな中あなたは、その殺意をねじ曲げ、今こうして会話するだけの心の強さがあります。そんなあなたにお願いがあります」
ラファエルは、頭を下げた。生憎手が縛られていたので多少不格好だったが。
「私が今いるこの彼女──葵さんを助けてやってほしいのです。私の異能は非常に守りに徹したものですが、完璧ではありませんし、攻撃には向きません。ですから、彼女を傷つけないためにもあなたが守って欲しいのです」
「わかった、大丈夫だ」
斗真は即答した。
「多分だが、俺の今のご主人の望みとお前のお願いは被ってると思うしな。まぁけど、あくまで仮約束程度に思ってくれ」
それを聞くとラファエルは嬉しそうな顔をした。
「ありがとうございます。それで充分です。──そろそろ私は消えますので彼女の事、よろしくお願いしますね」
「あぁ」
斗真が瞬きをする間に、葵はまるで眠るように目を瞑り椅子にもたれかかっていた。どうもラファエルは引っ込んだらしい。
「全く、死にかけたから幻覚でも見たのかね。……流石に違うとわかるけど」
斗真が、椅子から立ち上がると酷い立ちくらみがした。
「うっ……血を失いすぎたか。──葵、起きろ。助けに来たぞ」
斗真が呼びかけると、葵はゆっくりとまぶたを開けた。
「ん……? 斗真? ……助けに来てくれたんだ」
「当然だろ。今縄を解くから」
葵の頬がやや赤く染まった気がするが、今の斗真にはそんな事に気づく余裕はない。
屈むと、再びめまいがして倒れかけたが、なんとか堪える。手間取ったが縄を解くことができた。
「よし、できた。なら、とりあえず外でるぞ」
「うん」
なんとか立ち上がり、葵の手を引くと、ふらつきながら、外へ向けて歩き出した。
ここから先の斗真の記憶はない。
今ここで倒れたらどうなるんだろう、と思ったのだけ覚えている。
敬老の日効果で連日で投稿できてしまった……