孤独
僕はいつも以上、握力をかけていた気がする。
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エレベーターを後に、長い廊下を渡り、閑散とする玄関へ入ると、向こう側からは、杏が差していた。
そんな煌々は、よく青春を表すが、僕にとって、憂鬱でしかない。
そそくさと窓に立ち寄り、カーテンを締める。
横目に、机上の時計を見ると、指針は今日もほぼ直線を向いていた。椅子に腰掛け、一旦落ち着く。
綺麗な水平が描かれるのと呼応して、冷血な目をスマホへ向け、手馴れた手つきで、ティッシュ箱を棚から机に移す。
"恋がしたい"そんな思いは、関連付けられて、サッと過ぎるのだが、これで十分だと思っていた。
画面上から、何度も聞いた喘ぎ声、勝手に弾ける腰、乱れる顔、大して好きでないものを知覚しているだけで、次第にボルテージは高まる。
昔は、好きな子を眼に思ったこともあったが、それはいつも行為までへと、及ばなかった。神聖なものであるが故、汚したくないという理性が働いたのだろうか、少なくとも数年において、そのような思考が突き動かされることも無かったので、経験則、帰納的に見ても、恋とは断然、巡り会えないだろう。
少しの時間を使い、行為を終えると、罪悪感、虚無感が襲う。だが心は賑やかになる。"こっちの方が楽しいし、やはり、恋なんて向いていない"。そんな自己完結に、嘲笑さえしてしまう。
これも習慣の一つであるが、僕はその後に、Twitterをぼんやり眺める。
人の考えはおもしろい。中には感情がつき走り、馬鹿な説法を唱えるやつまでいる。最近は論理的にしか行動しないため、自分にとっては不可思議な領域でさえある。
最も、自分がTwitterを始めた理由自体、日頃の鬱憤に耐え切れず、陰に逃げるためであったが、今となっては、皮肉なことだ。
タップしながら更新を待っていると、おすすめユーザー欄にて、人知れず、彼女を見た。昔に、よく絡んでいた人なのだが、それ以来、久しく記憶はない。
何気なく、フォローボタンを押し、通信規制で重いタイムラインに戻ると、すぐさまフォローが返ってきた。
しかし、そろそろ勉強する時間かと、僕は開けていた予備校の教科書と嫌々、面を合わせた。
こんな苦痛を受けるのであれば、通信規制という苦痛の方がマシであろう、そんなつまらないことも考えてみる。
不毛なことを考慮する内、十分も経ち、時計が、晩飯を指すので、上下する箱へと自然に、引き寄せられていった。その時に見た外観は、まだ赤かった気がする。
電灯が見つめる廊下に、満腹感のある腹を抑え、蒸し暑い部屋に戻ると、素早く、カーテンを左右に飛ばし、窓を開けて、風情を楽しむ。
これでも充分かと、ゆったりした後、またしても苦痛と対峙する。
五分もすると、貧乏ゆすりが机を揺らし、無論、ポケットからスマホを取り出す。
Twitterを開くと、そこには、その子が、無邪気に「暇だ」と投稿していた。
すぐさま、返信欄に手をやって、「通話しよう」と送ってみる。
こういう気晴らしも必要だろう。
軽く了承されると、LINEを交換し、五分程経ってから通話をかけた。
喋り方はぎこちなかったと思うが、彼女はそんな僕の話をしっかり聞いてくれた。
特別、話題があったというのではなく、流れに身を任せているのだから、すぐに勉強に戻ると思っていたが、そんな期待は大きく裏切られたらしい。
久々の通話で、女子と話すのもいいものだと、感慨深くなってしまった。
時計が"そろそろ風呂に入れ"と呼びかけてくるので、区切りのいいところを見つけると、「さようなら」の一言で、通話を断つ。
スマホを切り、黒い画面に戻ると、反射からは、くっきり跡を残した頬の皺が見つかった。
風呂場を出ると、すぐさまLINEに手を伸ばす。
彼女はガサツな僕に、優しく応答してくれた。
そんな僕も今では滑らかに言葉が出てくるのだ。
何気ない会話をし、シャワーに浸かる合間、気になった、最近何をしているのか、という疑問を呈する僕に対し、精神疾患に陥り、最近は学校へ行っていない、と。
そう話してくれたのも直角を見た時だろうか。
僕の過去をよく知る彼女は、そんな境遇が同じだからか、辛い話を快く話してくれた。
学校をやめようかな、そう囁いたのを聞くと、無理ならやめてもいい、心体を大事にしてほしい。実際、あの雰囲気に耐えきれず中退した僕は、答えてみた。
それに愛想笑いで反応してくれたが、果たして役に立てたのだろうか。
そんなことが過ぎりながらも、彼女は一枚の写真を送ってくれる。
生憎、陰が僕から妨げる。
僕も盛れた写真を、陰に抗い、送ってやった。ついでに、相手を本名で呼んでやったりもした。
車の往来が聞こえなくなるにつれ、代わりに僕達の声が往来を増す。
普段なら指針が二つ出くわし、"寝ろ"と呼びかけるが、今日はその刹那が記憶になかった。
やがては、互いの体にも限界が来て、脳から、睡眠信号が送られる。
それは外から内にかけ、世界が止まったような静謐で、同時に、彼女は、「現実を頑張りたいし、もうネットやめるね」と呟いた。
「そうか…。」
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静けさが体現されている汚い部屋に戻ると、すぐさま窓を開け、椅子に落ち着いた。
杏はまた僕を照らすらしく、今日くらいは楽しんでやろう、そんな気持ちで浴びてやった。
時計はまたも水平か、即座にスマホを開け、思う。
通信規制というものは辛い。見るものがおもい、だから、そう簡単には見せてくれない。
"やはり恋には向いていない"
わかりきっていることだった。
数分を待ち、眼差しが頑として、スマホを向く。右手にティッシュを包ませ、感情全体を覆い隠す。
これは解放であり、戒めでもある。いわば、自分への卒業の意味に等しく、当然『自慰』という言葉そのものが体現しているようで。
次第に右手も重くなり、左手を凝視する眼も乾燥によって、まばたきを増す。
眼には常にやさしさが映るのだ。
簡単に呪縛は乖離されないらしい。
これだけはやり遂げなければいけないから。
…
漸く、絶頂を迎える。同時に、今日は、虚無、罪悪感なども残らない。
「さようなら」、言葉同じくして、ティッシュから離れていく。
久しぶりに残滓を舐めてみようか、そう思って口に運ぶと、前よりも塩っぱい。
杏が暗闇に変わる頃、カーテンは陰の時間へと備えていた。
そんな時にも冷酷な時計は、いつもと同時刻、晩飯を促すので、『メンバーなし』そんな、たわいない画面を置き、従うことにした。




