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『土蔵のジグソーパズル(8)』『親指のキズ(6)』

『土蔵のジグソーパズル』


 そのジグソーパズルは、祖父が様々な骨董をしまい隠していた土蔵の奥で埃にまみれていた。大きな大きな額の中に、二万ピースという気の遠くなるような欠片を組み合わせて、土壁に堂々と飾ってあった。

 僕たちには作った人物が分からなかった。先日他界した祖父がいくら人目を忍んで作り上げたものだとしても、蔵の壁一面を覆うほどの大きさなのだ、誰一人として祖父が作っていた素振りや気配を感じたことがないなどということは考えにくかった。

「誰かから貰い受けたんじゃないか?」

 土蔵の中で兄さんが言った。なるほど、それなら分からないことでもない。祖父は、様々な旧友知友を有していて、更には馴染みの骨董店も多かったし、昔からある街の小さな店とも交友が深かったのだ。

 知人を通じて、出来上がった完成品のジグソーを貰い受けた。ふむ、妥当な線だとは思う。しかしながら、だとしても、どうして貰い受けたのかまでは分からなかった。大きすぎるジグソーパズルは、ただでさえ飾るスペースが限られるし、結果として土蔵で埃を被る羽目になってしまっているのだ。それに、完成してしまっているのではパズルとしての魅力がほとんどないように思えた。

「特別、絵柄が際立っているというようでもないみたいだし……」

 口にしたのは、隣で顎に手を当てていた姉だった。そのとおりだと、僕も首肯した。

 画面には、鬱蒼としたジャングルが描かれていた。上下左右に草木が生い茂り、薄暗い濃緑で縁々を囲んでいる。右下には毒々しいまでに赤い花が密集していて、片や左上部には、にゅるりと、まるで蛇のように変化自在に生え伸びている蔦が描かれている。

 茂みの影から、木々の後ろから、そして枝枝の間から、トラが、ヘビが、サルが、トリが、ゾウが、じぃっとこちら側を凝視していた。

「それに少し気味が悪い。思わないか?」

 兄さんは眉間に皺を寄せていた。姉さんが頷く。

「私も。さっきからぞくぞくするのよね。まるで息遣いが耳許で聞こえるような感じ」

 意見は分からなくなかった。僕も、さっきから怖気のようなものが背筋を走り続けているのだ。ぱきりと、落ちた小枝が折れる音や、茂った草を押し倒すざわめきが鼓膜を震わせているような気がする。実際には微かな物音を勘違いしているのかもしれないのだけれど。

「……取り外せるかな?」

 僕が言うと、やってみるかと兄さんが返事をした。

「陽はそっち。俺はこっちを持つから。うん。じゃあいくぞ。……いち、にの、さんっ!」

 持ち上げて、引っかかってるだろうフックから紐を外そうと試みた。

「んんっ? なんだ?」

「ねえ、全然動いてないんだけど」

「そんな。んっ……。こんなに、力んでるんだぞ……!」

 兄さんと僕は躍起になって、顔を真っ赤にしながら大きな額縁を外そうとした。でも、全然だめだった。動いたという感触すら得られない。社会人の兄さんはまだしも、現役大学生で、しかもアメフト部に入っていて、ベンチプレスでもそれなりの重量を持ち上げられる僕がびくとも動かせないというのは些か異常なことだった。

「……あっ! 兄さん、裏を見てみてよ」

 無理だと分かって一息ついていたときに、僕はどうして動かないのかという疑問に対する決定的な証拠を見つけた。ジグソーパズルの裏から土壁に向かって、びっしりと根が生えていたのだ。

「なに、これ。どういうことなの……」

 隙間を覗いた姉さんが不安そうに口にする。

「ますます気味が悪いな……」

 兄さんも渋面を浮かべてそう言った。

「何とかして捨てられないものか」

 そう兄さんが口にしたとき、僕は確かに猛獣の唸り声を耳にした。驚き背後を振り返ってみる。蔵の角隅は真っ暗闇に支配されていた。一年中決して光の届かない暗闇の中には、確かな息遣いが潜んでいるような気がする。じっと見つめると、決して逸れることのない、得体の知れない眼差しに睨みつけられているような感覚に陥ってしまう。

「陽。ちょっとこれ見てみろ」

 声がして、はっと我に返った。頼りない白熱灯に照らされたジグソーパズルの正面に回っていた兄さんと姉さんに近寄る。

「ここ」

 そう言って指差されたのは、ジグソーの中心に空いていた隙間だった。

「こっちにもあるのよ。大きすぎて気がつかなかったけれど、結構いろんな場所が欠けてるみたい」

 しゃがんだまま姉さんも口にした。僕も二人に習って図柄に目を通してみる。すると、なるほど、確かに言うように隙間がちらほらと散見できた。翼を広げたトリの根付の部分、ぶら下がるサルの長い尾、にゅるりと体をくねらせるヘビの胴体、ライオンの足に、ゾウの牙……

「どうして全部体の一部なんだろう」

 思いついたことを口にすると、そういえばそうだなと兄さんが応えた。

「まるで意図的に嵌めなかったみたい……」

 姉さんが肩を抱きながら立ち上がった。描かれた動物たちは、みなどこかしらの体が、ピースの不備によって欠落していた。

「どうして祖父さんはこんなものを……。俺だったら絶対にいらないんだけどな」

 同感だった。姉さんも頷いている。

「……こいつをどうするかはまた今度だな。それにしても、こんなにものがあるとは思わなかったよ」

「本当に。ここまで溜めてるなんて知らなかった」

 言い合いながら、兄さんと姉さんは他にも様々な骨董品が並ぶ棚を見渡し、そして蔵の入り口へと向かっていった。僕も、その背中を追う。

 入り口付近で兄さんが白熱灯を消して、蔵の中には再び深淵が舞い降りてきた。

 その底なしの闇を、入り口から三人並んで見つめる。自然と息を潜めていた。理由は分からない。あのジグソーがあるからなのかもしれないし、あるいはもっと他の骨董品が言いし得ようのない存在感を闇に溶け込ませているからなのかもしれなかった。

「……閉めよう」

 兄さんが言って、僕と二人、観音開きの大扉をえっちらおっちら閉めていった。

 最中――

「ひっ……」

 姉さんが息を呑んだ。口を押さえ、見開いた目で闇の中央を凝視している。指がゆっくりと持ち上がって――

「早く閉めて!」

 叫び声に、僕と兄さんは弾かれるようにして扉を閉じた。閂を通す。どんと、一回だけ白塗りの扉が脈打った。確かに内側から何かが体当たりしたかのように振動した。

 その後、いくら訊ねても姉さんはあの瞬間に見たものを口にしようとしなかった。ただ、あれ以来あの蔵に近づくことを異様なほどに恐れるようになった。

 僕は今、閉ざされた土蔵の前にいる。曇天の下、不気味なほど大きくそびえる威圧感に立ち向かっている。

 深呼吸をして、目を閉じてみた。白塗りの扉に手を触れてみる。

 ――……ぎゃあぎゃあきーっきーっざくざくここここここりーっりーっえおっえおっえおっえおっ――

 手を離す。目を開く。

 目の前にあるのは、変わらない白塗りの扉だけだ。何ら変哲はない。おかしなところはどこにもない。

 僕は踵を返す。

 曇りの空の下、ゆっくりとじいさんの土蔵から離れていった。


(おわり)


 ☆ ★ ☆


『親指のキズ』


 その日、中学生のリコは右足の親指を怪我した。濡れていたスリッパ。少し高い場所から砂利の上に飛び降りた拍子に、滑った足が石の上を這ってしまった。お陰でずるりと皮が剥けた。

 熱いような、焼けるような、ざわりと突き上げてくる赤い痛み。

 見れば、じんわりと血が滲み始めていた。流れた血液が、ぽとりと地面に丸い染みをつくる。

 家に戻って消毒をして、残っていた皮膚を戻すと、上からガーゼを被せた。そしてそれは、右足を庇って過ごす日々が始まったことを知らせていた。

「リコ、傷はどうなの?」

「うーん、まだ治んないなあ」

 翌日、リコはまるで他人事のように母親に返事をする。腰に手を当てて、母親は心配そうに顔を顰めた。

「もっとちゃんとした治療をした方がいいんじゃないかしら」

「いいんだって。このままにしてたら治るよ」

 答えながらも、実際のところリコは“ちゃんとした治療”が怖くて堪らなかった。だからこのままにしておくことを選んだ。

 例えば、貼り直した皮膚を剥がして、真っ赤に染まった血肉に消毒液をかけること。ひりひりと、神経が剥き出しになった傷が空気に触れること。傷を持っている当人としては、“ちゃんとした治療”を施すことは、つまるところ、もう一度傷を弄繰り回すことと変わりがなかったのだ。

 よくよく、足は第二の心臓と呼ばれることがある。その理由として、一説に、足の裏には全身の重要なツボが集まっていて、足のコンディションを整えていれば健康を保てるからだと言われているのだけれど、実のところ、それは違う。ここで言われている足とはふくらはぎのことで、ふくらはぎの筋肉の収縮機能によって血流が押し上げられているから、足は第二の心臓と呼ばれているのだ。

 でも、そんなことはリコには関係なかった。リコにとって足の裏は確かに第二の心臓に変わりなかったし、それは足の裏の感覚が、足の指の感覚が他の器官に比べて非常に敏感であり、例えば小さい頃親に爪を切られるときとか、冷たく長い人差し指に触れられるだけで居心地が悪くなったからだった。

 だから、リコは傷が内部で膿んでいることに気がつきながらも、土を挟んで黒く汚れてしまっていたとしても、決して手を加えることを善しとしなかった。怖かったから。痛みは、リコが他のどんな感覚よりも嫌いな、大嫌いな感覚だった。

 ただ、代償として長い間普通に歩くことができなくなった。走ることなんて当然できるはずがなかったし、そう言うわけだから大好きな体育も、打ち込んでいる部活も休まざるを得なかった。

 三日目。グラウンドの隅で膝を抱えていると、友達が心配して声をかけてきてくれた。

「リコちゃん。足、大丈夫?」

 答に、リコは少し困った。

「うん。痛くはないよ。でも、歩くと痛くなると思うから」

「そうか。なら無理はできないね。早くよくなるといいね」

 頷いて、集団へと走っていった友達の姿を、リコは複雑な心境で見つめていた。

 本当に、安静にしていれば痛みはなかった。庇ってばかりで、親指を地面に着けて歩いたこともない。痛みは、全て想定上の痛みでしかなかった。現実にはないのかもしれない。その不確定さが、リコに、まるでズル休みをしているかのような居心地の悪さを与えていた。

 部活にしてもそうだった。駆け回り、飛び回り、素早くパスを回して、機敏な動作でゴールを狙う。見学しているハンドボール部の活動は荒々しく、じっとしていると体が疼いた。

「リコ。まだ復帰できそうにない?」

 汗を拭きながら、休憩時間に先輩が尋ねてくる。

「……たぶん、もう少し時間が掛かるような気がします」

「そっかあ。リコは重要な戦力だから早く戻ってきて欲しいんだけど、それなら仕方がないね」

 すみませんと、リコは謝った。すみません、痛いのが怖くて……

 治るまでの数週間。小指の方に重心を偏重させて歩くのは、膝にも足にも、そして全身の負担にもなっていた。そのため、歩いての通学は毎日とっても疲れたし、そんなに運動をしているわけでもないのに、夜はどんよりと眠くなった。

 何もしていないのに。むしろ安静にしているだけなのに。

 それでも、と、お風呂に入りながらリコは考える。私はズル休みをしているわけじゃない。怪我をしているのだから仕方がないのだ。痛いのだから。怖いんだから。だから仕方がない――

 けれど、どうしても腑に落ちなかった。どれだけ考えても、言い訳にしか思えなかった。

 誰に対しての言い訳なのだろう。考えたリコは、たくさんの人の顔を思い浮かべた。

 お母さんに、学校の先生、友達に、部活の先輩。みんな心配そうな顔をしていた。そして最後に思い浮かんできたリコ自身の顔。その顔だけは、原因のはっきりしない恐怖に彩られているように見えた。

 それから更に数日。恐る恐るリコは右足をべたりと全てくっつけて歩いてみた。もうとっくに膿はなくなっていたし、土が入って黒ずんでいた皮膚も全部生まれ変わっていた。

 親指は全然痛くなかった。拍子抜けするくらいに。むしろ、始めから痛みなどなかったと思った方が自然なくらいだった。傷はいつの間にか完治していた。

 普通に歩いて登校できる。大好きな体育にも、ハンドボールの部活にも参加できる。みんなと自然に笑えて、身体全身が快い疲労で満たすことができるようになった。

 けれども。

 一人、帰路を歩きながらリコは空を見る。紫色に染まった空には金星が輝いていて、薄っすらと月も姿を現わしていた。

 けれども私は……。

 ぐっと唇を噛み締めて、前を向く。

 足を大きく踏み出して、つま先でアスファルトを蹴る。

 少しだけ急いで歩くと、わっと全身から汗が噴き出してきた。

 秋は、もうそこまでやって来ている。


(おわり)

個人的に、

>――……ぎゃあぎゃあきーっきーっざくざくここここここりーっりーっえおっえおっえおっえおっ――

この部分が笑いどころかなって思います。どうしたら巧く表現できたんだろう。

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