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『月夜の下でラッタッタ(6)』『四年後の僕ら(6)』

『月夜の下でラッタッタ』


 街の灯りは煌々と夜を照らし出すのにどうしてこんな寂しくなるんだろう。ざわざわと木々を騒がせる十月の夜風が異様に冷たく感じられるのはどうしてなんだろうか。

 暗い暗い街外れの高台で、ひとり手摺にもたれ掛かっていた私は、そんなどうでもいいことを考えていた。答えなど、もうとっくに出てしまっているのに。思考は太陽の周りを回る惑星のように、同じ軌道を規則正しくぐるぐると巡る。

 夜風がスカートから覗いた足を撫でていく。首筋もびょうとなぞっていく。肌寒さに思わず首を竦めてしまった。マフラーを持ってくれば良かった。こんな場所、来なければよかった。少しずつ後悔した。

 空には三日月が懸かっていた。


 さっきまで一人でフルコースを食べていた私。出てきたフランス料理は片っ端から平らげていった。ワインは二本空にした。

 素敵な記念日になるはずだった一日は、たった一本の電話によって別れを告げられて、瞬く間に不幸な一日となってしまっていた。笑って、共に料理を口に運ぶはずだった向かい側のあいつの席には、温もりさえ宿らなかった。

 予約したレストランで、ひとり料理を貪る私。不思議と悲しみは込み上げてこなかった。黙々と料理を口に運んでいた。

 一体いくらしたんだろう。払った料金は覚えていない。カードで支払いを済ませた。最中、背中に、他の客たちの好奇な視線を感じた。作業を終えた従業員は笑顔でカードを返してくれた。何だか腹が立った。

 見世物じゃないんだ。馬鹿にすんな。

 カードを奪うようにして従業員から受け取り、店の入り口へと進む。真っ黒なガラスに私が映っていた。少し気合を入れてしまった服やアクセサリーが、馬鹿馬鹿しかった。


 その後、どうやってここまで来たのかは分からない。気が付けば、私はこの高台にいた。かつての二人が愛を誓ったこの高台に。

 私は今あの時の景色を目にしている。変わったのは、あの時はふたりぼっちだったのが今はひとりぼっちになっていることだけだった。

 あいつは今、何をしているのだろう。光の街を見てふと考える。テレビを見ているのだろうか。友人の所に行っているのだろうか。もしかしたら、もういる新しい女の所に身を寄せているのかもしれない。

 よく分からない。

 でも、何となくだけど、それらは違う気がする。そんなこと、あいつはしない。出来るわけがない。そう思う。

 あいつは今、ビールを飲んでいるんだろう。暗い寒いアパートで、一人壁にもたれかかってビールを飲んでいるのだ。多分、それが一番正しい。別れた私のことなんかを思い出しながらちびちびと缶ビールを傾けているのだ。

 もしそうだとしたら。あいつがそんなことをしているのだとしたら。

 私は堪らず手摺にもたれかけた腕に顔を埋めた。

 あいつ、笑ってる。寒さに震える私を想像して笑ってる。

 考えて、思わず噴き出しそうになった。何だか無性に可笑しくなってしまったのだ。

 今日まで、どうしようもない人間同士が馬鹿みたいに愛を語らって、上辺だけの感情で付き合っていたことが。いつだって自分が傷つくことを恐れ、欺き付き合ってきた二人が、最後の最後まで本心を見せることもなく、陳腐な別れ方をしたことが。そしてようやく、別れた今更になって、本心で向き合っていることが。

 この上なく、くだらなくて馬鹿馬鹿しい。

 自虐的な笑いが、次第に声となって溢れ出してしまう。月だけが淡く青く照らす広場に笑い声が響き始めてしまう。

 ああ、何てくだらない! 何てつまらない毎日だったんだろう!

 私は手摺から崩れ落ちるようにして蹲ってしまった。笑いすぎて、膝に力が入らなくなったのだ。腹を抱えて、笑い続ける声は、広場にこだましていた。

 誰もいない、光もほとんどない広場。望む夜景は美しい。私はひとりここにいる。

 笑い疲れて、自然と手は目尻を拭っていた。指先のに付いた涙は、寒さをより一層身に染みさせた。

 息を整えて立ち上がる。輝く街を見下ろす。笑いはもう治まっていた。

 眠らないこの街のどこかにあいつがいる。私と同じ、くだらない人間がいる。

 二人共に生きてきた街は、こんなにも大きく、明るく、そして綺麗だったのに。そんな些細な事実を教えてくれる景色を、二人で見ることはもう二度とない。

 風が吹く。随分と数の減った虫の鳴き声が細々と聞こえてくる。季節は変わらず巡っている。

 何だか無性に回りたくなってきた。誰もいないこの広場。今夜ぐらいここで主役を演じてもいいんじゃないだろうか。

 くるくるくるくる回りながら私は広場の中心へと移動していく。小さく、くだらない歌を歌いながら。手にしていた荷物を遠心力に任せて放り捨てながら、誰かが見たら気味悪がるようなことを一人始めた。


 ラッタッタラッタッタ 愚かな私

 ラッタッタラッタッタ 今夜は一人

 ラッタリララッタリラ 月夜の下で

 ラッタリララッタリラ くるくる回る


 所詮私たちは似た者同士。私たちは実にくだらない人間同士。そんなこと最初から分かっていた。

 馬鹿馬鹿しさのためか、それとも悔しさのせいなのか、また目尻が滲んでいるような気がした

 何よりも大切なことは、大切だったことは、失くしてからようやく分かったんだ。

 夜空に歌声だけが響いている。


(おわり)


 ★ ☆ ★


『四年後の僕ら』


 光が殺意を持つことがあるなんてこと、君は想像もしたこともなかったはずだ。

 ずっと閉じ込められていた施設の蛍光灯は無機質で冷たく、四方を全て白に覆われた君たちの“世界”をただ照らしていただけだったから。だから、こんな風に深く暗い夜の森の中を舐めるようにして走る光の姿は、とても奇妙で恐ろしいものだった。意志を持って君たちを追う光の存在は、まるで底のない沼のように君の余裕をじわりじわりと削いでいた。

 君は仲間の五人にと一緒にただ走ってる。施設にいた時と同じ、味気ない水色の布を身体に巻いて、目印もない、出口も分からない森の中をひたすらに逃げている。

 緑が濃い、力強い森だった。足元には日中に射し込む僅かな木漏れ日を浴びようと、草木が貪欲に生い茂っている森だ。走ってきた道筋など、とうに呑み込まれてしまっているだろう。彼らも懸命に生きているのだ。

 そして、そんな草を見下ろす木々は、その太い幹をどっしりと大地にすえて君たちを見つめている。動けない彼らは、しかし明確な意志を持って、君たちを迷わせようとしている。命あるものの体内に流れる力を得ようとしている。

 彼らは生きているのだ。闇夜に包まれた森の中に動物の声は響かない。

 逃げ続ける君たちを幾筋もの光が追う。枝が張り巡らされた頭上を、右へ左へと往復しながら森を照らし出している。君たちを探しているのだ。光筋が森を明るく照らし出すのが視界に入る度に、君たちの筋肉は一瞬縮こまって、息が詰まる。足並みがばたついてしまう。捕まって施設に送り返されてしまうかもしれない――そんな絶望的な未来が脳裏をよぎる。表情に差し込む影が、また一段と濃くなっていく。

 けれど、それでも君たちは走り続けることをやめない。逃げ出すために、自由を手にいれるために、そして何よりも僕らの家族を奪い去った奴らにいつか復讐するために、君たちは走っている。先の見えない森林の中を、闇雲に走り抜けながら。

「あっ」

 そんなか細い声を発して、君たちの中の一人が盛大に転倒した。張り出していた木の根に躓いてしまったようだ。君たちは数歩走った後で一斉に立ち止まる。転んだ仲間の下へと素早く戻ってくる。

 一番生の高い少年が、しゃがみこんで状態を確かめる。転んだその子は、右足首を両手で包み込んで苦痛に表情を歪めていた。額に浮かんだ汗の粒は、次第にその数を増していっている。見たところ、年齢は君たちの中では一番幼い。女の子だった。彼女は泣き声ひとつ上げる事なく痛みに耐えている。涙が目尻に浮かんでいた。

 少年が彼女に患部を覆っている手を解くよう指示する。彼女はゆっくりとその掌を解いた。そこには真っ赤に腫れ上がった足首があった。

「挫いてしまったみたいだ」

 しばらく熱心に足首の状態を診ていた少年はそう呟いた。

「走ることは出来ないと思う」

 その瞬間、君たちに降り注ぐ森の闇は、一段とその濃度を増したようだった。

「……わたしはここまでだね。でも、みんなはすぐに逃げて。あいつらがやって来るから」

 彼女は、痛みに耐えながら、同時に残酷な運命をも受け入れて懸命に微笑んだ。こんな状態では足手まといになってしまうと悟り、諦め、自ら脱落することを選んだのだ。仲間を思うが故の自己犠牲。君たちの心は、とりわけ君の心は、そんな彼女の表情に強く反応した。みんなで逃げるんだ。絶対に。そう君がみんなに約束したんだったよね。

「俺が負ぶっていく。ここからは二手に分かれよう」

 君は力強くそう言った。周りのみんなも同じく力強く頷き返した。彼女だけはぽかんとした表情だった。

 君は足首を押さえ君を見上げる彼女に向かう。

「そう言う訳だ。まだ終わりじゃない」

 あの時の約束は、今の君たちを繋ぐ一番暖かな温もりになっていた。

「ごめんね」

 君がしゃがみこみ彼女を負ぶった時、背中で彼女はポツリとそうこぼした。少し湿った声だった。

「気にするな。これは俺たちのエゴなんだ。君を残したまま逃げたくはないという、君の気持ちを踏みにじる我侭なんだ。君が気を病むようなことじゃない」

 君は立ち上がり、周りを見渡す。足音と奴らの声が遠くから響いてきている。時間はもうそんなに残されてはいない。

 君は突然みんなの名前を呼んだ。君たち自身が自らつけた名前だ。自分を確立する、大切な宝物。君はそれらを一人ひとりしっかりと呼んでいく。

「またいつの日か。必ず、この仲間で」

 君たちの目には希望が輝いている。力強い、閉じ込めておくことなんてできはしない未来が輝いている。

 そんな眼たちが、一斉に頷いた。

 そして君たちは別れ、走り出していく。違う道を歩んでいく。君は三人が反対側へと走り去っていくのを見届けると、踵を返して別方向へと駆け出した。

「ありがと」

 背後から彼女が呟いた。君にしがみつく彼女の腕は少しだけ震えていて、それでもしっかりと君に抱きついていた。

 君は何一つ答える事なく走り続ける。言葉なんてなくても、伝わる想いはあるのだと、君は知っている。だから君は返事をする代わりに、強く強く大地を蹴ったんだ。

 漆黒に覆われた森の中で、光の筋は君たちの姿を探している。その動きは執拗で、怒りに満ち溢れていて、心恐ろしい光源となって、森を蠢いている。

 でも、僕には分かるんだ。君は、君たちはきっと大丈夫だってことが。君たちの意思は、なにものをも障害としない強さに裏付けられているのだから。

 だから、いつか時が経ったとき、君が約束した復讐を遂げる時に

なったら思い出してほしい。君たちが逃げることを決意した最大の理由となった僕の死のことを。共に笑い合って、なんとか耐えてきた仲間が死んでしまったことを。

 ずっと、ずっと、見守り続けてあげるから。

 森が裂けて、すぐ近くを車が走っている音が聞こえてくる。君の、君たちの日々はようやくスタートラインに立ったんだ。


(おわり)

今ではほとんど稼働してないお題企画に書いた小説に加筆修正を加えたものです。二つ目は二人称。ちょっと面白い文章になりますよね。文章と全く関係のない余談になりますが、PC投稿ならばそれで統一させたかったです。パソコンを立ち上げるのが面倒だったのが最大の原因なのですが。

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